【リアルタイム】真ストレッチ

ストレッチはいつの時代も人気だ。
 
 
 
簡単に気持ちよさが体験できる。
 
 
 
しかし・・・、そのままで、いまのままのストレッチでいいのだろうか?
ストレッチを興味を持って研究するようになって1ヶ月。
ただ、伸びて気持ちがいいだけではなく、そこにはたくさんの大切な事があることに気づいた。
 
 
 
身体と心は一つのもの。
そんな事、いまさら言われなくても・・・、なんて人が多いはず。
でも、身体を伸ばして「なぜ」気持ちがいいのか?
それに答えられる人はするない。
身体を伸ばして気持ちいいというのは、その瞬間、心が気持ちよさを感じているわけだ。
じゃあ、逆から考えれば、心を先にその状態にしてあげたら、身体も同じように気持ちよく動くようにならなければ「おかしい」。
 
 
 
嫌な事に出会ってしまった時、それを嫌というのは簡単だ。
誰かに助けてもらうというのも一つの手である。
しかし、その誰かがいなかったらどうだろう?
いったい、誰が自分を助けてくれるのだろうか?
助けてくれた人にはありがとうと感謝すればいい。
でも、誰もいなかった時には自分で自分を守らなくてはいけないのだ。
それが身体だと思う。
 
 
 
身体を信頼するために、心から眺めてみる。
ストレッチの気持ちよさを使って、心の方から考えてみるのだ。
そこで気づくのは「限界」という事。
実は人間はこの限界ぎりぎりのところがなにより、楽しいんじゃないだろうか?
そんな仮説が生まれてきた。
 
 
 
身体を「楽」にしようと「安全」で「痛くない」状況に置き続けていると、やがて「退屈」という強敵が現れる。
どんなに周りが贅沢だ、と言っても、自分の中に生まれてしまった退屈さは消えない。
皆、自然と、ストレッチを試しているんじゃないだろうか?
 
 
 
嫌な事に出会って、身体がのびのびとする事はありえない。
しかし、身体を運転し、のびのびと伸ばしてみると、予想に反して、良い動きが生まれ、結果もそれなりについてくる。
では、この「嫌な事」を「ギリギリでドキドキして楽しくなるかもしれない事」と再定義してみたらどうだろうか?
その上で、そのちょっと楽しそうな事を加速させるために、身体をさらに伸ばすのだ。
これはもう、試すしかない。

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