【稽古日誌】感性を使おう!

水曜日、今日は鳴海の中日文化センター。
実はこの講座にはもう一人の師匠がいるんです。操体法という技術を教えてくれた恩人。
私は師匠と思っているけど、なぜか、講座にも来てくれる。もう、なんと感謝を伝えたら良いものか・・・恩に報いるには自分の知っている事、やれる事を全部、持っていってもらうしかないと思ってます。
 
 
 
操体法は体のバランスをとる技術。
体のバランスは力技で整えるのではなく、本人の力を引き出す形で整えていくもの。
普通と違うのは痛みを消す事に専念するというよりも、痛みがある事で気づく、痛くない側、気持ちの良い自分に働きかけて、調整していくんです。
 
 
例えば膝が痛いとするよね。その膝は動かなくても痛いかもしれないけど、動かしてみたら、もっと痛いところがわかるでしょ。
僕らって、動かないでいられないからね。必ず、動いているんです。
動いているとね、つい、痛みの方にばかり目が行っちゃうけど、その痛い側とは反対側って「痛くない」って事なの。
 
その痛くないってのはね、考え方を変えると、動くと「気持ちが良い」とも考えられるんだよね。
そして、その気持ちよさを追求していくと、あら不思議、痛かったはずの側の動きまで改善されて行っちゃう!
 
その不思議な技に魅了されて、学び始めたんだけど、考えて見ると、この時の経験が今の自分にはとっても役に立っている事を、今、思い出しました。
 
 
 
そうだ、自分の体を感じて、動いて、変わっていく、というのを操体法で学んだんだ!
特に、武術家であれば、体ぐらい治せなきゃ、とも思っていたし。
今はそのおかげで自分の体に具合の悪いところが出てきても、気にならなくなったもんなぁ・・・。
 
 
 
師匠の話に限りませんが、人には「特技」というものがあるよね。
まぁ、私にはその「特技」がない、と思っていたんですけど、最近、ようやく、武術が特技と言ってもいいかなぁ、と思いだしたところです(笑)。
 
みんなが当たり前にしている仕事なんかは、特技そのものです。
仕事で治療をしている人、人の痛みをとってあげられる腕ってのは、なかなか手に入れられません。
そういう仕事をされている方で本当に腕がないならば、決して続けて行く事ってできないでしょ?
だって、治らないところ、リラックスできないところへはお客さん行かないもの。
でも、仕事としてやれる、ってのは、ちゃんとそこに自分の腕を喜んでくれる人がいるから、仕事になってるんだよね。
 
 
実は、みんな気づいていないだけで、すごい事をしているんです。
周りの普通の人たちが出来ない事を自分はやっている、そう考えてみると、今、出来ている事が必ず、身体感覚という事を教えてくれるはず。
 
そして、それは人を治療する、って特別な事でなくてもいいの。
音楽を聞く事でも、絵画を観る事でも、趣味のようなものでも、そこに「違い」が見つけられるのならば、絶対に、「感性」があるんだから。
 
 
 
そういう違いを見つける感性が私にはなかったんです。
いつも目に付くのは「数字」。
だって、はっきりしているから。
速さやボリューム。それって数字で計れるものでしょ。
でも、使いやすさとかって、感性じゃないですか?そういうモノサシがなかったんです。
 
私の場合、だからこそ、探し続けていられるともいえるけど、もう、すでに、感性が自分の中にあるのなら、ぜひ、そいつを生かして、どんどん、広げていけば良いと思うな。
 
 
 
自分が「いいな」と思う事を信じてみるのが感性です。誰にも遠慮はいらないです。むしろ、感性を黙らせて、教科書どおりに学ぶってのが今までのやり方だよね。でも、それでうまくいかないとなれば、今度は感性に従ってみたら良いと思うよ。
 
感性って、趣味や仕事の世界では絶対に大切にしているはず。
好きな音楽を聴いてうれしいって事は、そうじゃない感動しないものも分かるでしょ。
私はわかんないもん(笑)。
言葉は悪いけど、みんな一緒に見えちゃうし、聞こえちゃう。
いや、悪い意味じゃなくって、なにを見聞きしても自分よりも「上手」に見えちゃうんです。もしかしたら、いつも、嫉妬してるのかもしれません。
 
 
 
武術の稽古で使うのは、その「感性」。
ほんの少し、体を動かした事で変化している事はないかを探ります。
最近の術理で言えば、両手の連動性。左手と右手がつながって、ハサミのような関係があるって書いたよね。あれは、右手を動かした時に、左手「も」動いている事に気づいた事から見つけたものなの。
まぁ、紙を破いた時にタマタマ(笑)。
 
そのタマタマ、偶然を見逃さずに、ハッと気づけたのは運だとおもうけど、それも感性のトレーニングである稽古を続けてこれたからじゃないかなぁ、と思うんです。
 
 
 
仕事の時にはみんな、すごく冷静にちゃんと、動いているでしょ。
でも、生活になると、結構感情的になっちゃって、自分を見失っちゃう。
 
仕事になれば、失敗を改善するためになにをすればいいのかをちゃんと考え、工夫して、結果を出しているはず。
弱音を吐いている暇なんてないですよね。
たくさんの経験の中には失敗もあると思うけど、その失敗に負けずにちゃんと学んで、力をつけてますよね。
その成長してきた自分を使わない手はないですって!
 
 
 
仕事しながら、どうして、これをやれるようになったんだろう?とか、趣味の世界を楽しみながら、なぜ、自分はこれが好きなんだろう?とか、色々と自分の心のうちを探るのも立派なお稽古です。
むしろ、その何気ない日常の自分を感じられるようになれば、イザという時にも冷静にそこへと戻っていく事が出来そうでしょ。
平気な自分でいられるようにする、ってのが私が求めている武術です。
 
 
 
頑張るって事も大切だけど、頑張りが必要ってことは、今、目の前にあることはちょっと、自分には難しい、ってことだもん。
そして、それは目の前の事を難しい、と思ってしまった理由があるんだよね。
どうして、それを簡単だと思えないんだろう・・・そんな事を考えているだけで、ちょっとワクワクしてしまえるようになりました(笑)。
 
 
実は幸せには二つあって、結果が出て、手に入れられたからうれしい、と言うのと、なんだか新しいことが見えそうだ・・・という期待感の幸せがあるんです。
形ある結果は手に入れると、すぐに、次を求めてしまって、大変ですが、期待感の方の幸せは今この瞬間から、手に入れるまで「ずっと」幸せが続いちゃうんですよ(笑)。
 
 
武術の稽古で「わかる」のはこの両方です。欲張りなんです(笑)。
自分が工夫しつづけると、必ず、動きが変わります。動きが変わると、それにあわせて結果も変わるんです。だめなものはだめ、とすぐに分かります。逆に、うまくいってしまう時には、理由はわからなくても、これで、いい、というのがわかるんです。
 
 
今日は「感性」の話になっちゃいましたね。
その日気づいた事、感じた事をそのまま書こう、と思ってブログを書いています。
まぁ、ダラダラ書いてますので、サラッと流しながら、気が向いた時にまた、読んでくれればうれしいです。
 
 
ありがとうございました。
 
 
そうそう、私の操体法の先生は栄中日文化センターで講座も持ってます。
治療に興味があればぜひ、そちらにもどうぞ。
栄中日文化センター「からだのバランス整える操体法」です。

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