カラダが割れる感覚

甲野先生は「カラダを割って使う」と表現してカラダを教えてくれました。

95年のことです。

「割れる」という表現はまったく分かりませんでしたが、自分の中でこんなかんじかなぁ、と思い描きながら稽古を続けてきました。

先日これまでとは違うカラダの感覚に気づきました。カラダが割れるように・・・ではなく、割れている実感があるんです。

「割れる」、という表現と同じように「小魚の群れがいっせいに向きを変える・・・」ということも言われていました。最近「勢い」という事を考えて稽古をしてきましたが、「勢い」の動きは「小魚の一匹」の生きの良さの工夫と言えそうです(笑)。

腕を見ればそこに「一匹」しかいないように「みえます」。これまではそうでした。

でも割れる感覚を持ってからは、腕は多くの小魚が集まって腕の形になっている、そんなように「みえます」。

あまりにも常識とは違う考え方に、怖くなりますが、技の利きを便りに稽古を進められるのが武術のよさです。またアドバイスをよろしくお願いします。

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