毎月第3水曜日はとよはしの中日文化センターでの講座。
今日も例の「板」を持って行きました。
私の稽古というのは仮説を作って、それを壊すための稽古です。
カラダの使い方によって生まれてくる働き、主には強さなんだけど、なぜそこに強さや優しさがでるんだろうかと考えていきます。そして今ある強さを崩すにはどうしたらいいのかと考えています。
甲野先生がそういう姿勢だったからですが、とにかく稽古の中には遠慮はいりません。もちろん「研究」のための遠慮ですが・・・。お互いがより動きを高めるために最善を尽くして研究するのは企業が新しい商品を徹底的に開発している姿勢に似ています。決して売れそうだからと安易に販売に走るのとは違います(笑)
・・・で、「板」の話なのですが、あまり説明をせずにとにかく試してもらう事にしているんです。なぜか、といえば私自身なぜ乗るだけで動きがよくなるのか分からないから。私も不思議、乗っている人も不思議、その不思議を外から眺めているのが楽しいからです。
今日は板への食いつきが良かったせいか、新しい使い方まで見つかりました^^
今一番きつい稽古といえば、片手を両手で床へと力いっぱい押し付けてもらい、それを上へと上げる稽古です。相手の押し付けてくる力に「つい」反応してしまうのですね。
気にしないぞ!と思っても、カラダは無意識に抵抗します。その抵抗は「力み」として表れてきますから、どんなに頭が固くても認めざるをえません。この辺りが頭や心だけで自分を探す作業とは違うところです。
つい相手を意識してしまうわけですが、この時、足の下に「板」を置いておきます。すると、なぜか手をあげることができるんです。「上がる」という現象は結果です。「なぜ上がるのか」を考えなくてはいけません。
そしてここからはいつものように「仮説」です。
足の下に置いた板は正体不明の感触です。もちろんただの板ですから感触としては普通です。ただ、手彫りというランダムなカーブのおかげで無意識の興味をひくようになっているのではないか・・・。自分の中にある意識と無意識の大きさを比べれば無意識の部分の方がはるかに大きいはずです。その大きなものが全部足に向かっていきます。すると余分なエネルギーがアタマに上らずに、抑えられている手に対して過分に考えすぎる事がないのでしょう。意識する力が少ない分、カラダが協力せざるを得ない状況を生んでいるような気がします。
簡単に言えば、教室を掃除してくれる女子がいれば男子は遊ぶ、という話です。