集中力をつけろ!その3

今日は相手をおなか一杯にしてやろう!というお話です。

集中力が大切ですよ、という当たり前の話にもそろそろ飽きてきた頃かもしれませんね。ただ、いまこうして、当たり前とも思える集中力の話をこんなにもしているのは、僕がそうであったように、先入観で大きな気づきを得る事ができなかった悔しさがあるからです。

いまこの日記を書いている僕は「凡人」です。体だけは大きいけれども、感受性や手先の器用さ、リズム感等は恐らく人並み以下。子どもの頃からずいぶんと劣等感を育ててきました(笑)。

それでもいま各地で講座や仕事をいただくようになり、先生、と呼ばれています。以前の事を思えば気分のいいものとも言えますが、同時に、先生しかできない、と思われる事があり、困ります。

凡人、と書きましたが、人間には素晴らしい能力が与えられている、稽古を続けて来れたおかげでそう確信しました。いま、こうして恥ずかしながらも色々と外に出しているのも、誰にでも備わっている力を伝えていきたいからです。

言葉で伝わるのなら、いくらでも書いていきます。ただ、言葉では伝わらないモノもあるのが現実です。その微妙なニュアンスの違いが怖くてこれまで、出してこれなかった部分も、それを認めて必要としてくれる人もいる事もわかり、こうして言葉にしようと思いました。

そうココロに決めて日記を書くようになってうれしいメールもいただくようになりましたが、それ以上に分からない!といっている人も多いはずです。でも負けません(笑)。
 
 
 
講座の中では「話半分で聞いてください」と言っていますが、これは冗談ではありません(笑)。自分流にドンドンと作り変えて行ってくれればうれしいです。
 
 
 
さて、改めて集中力のお話です。これまで気づかなかった力があるよ、というのはお話しました。結果として、自分の中により大きな力が存在するという事があると思ってください。この力の大きさを「体感」するのとしないのとでは自分に対する信頼が全く違ってくるんですね。
 
 
 
相手と向かい合い、なにかをするというのは自分の力と相手の力がぶつかり合うという事です。つまり、力の奪い合いです。

これがゲームであれば自分のエネルギーと相手のエネルギーとを目でみて比べ合う事ができます。そしてそのエネルギーのゲージがゼロになれば負けになりますよね。それと同じような事が、実際の場面でも行われているんです。
 
 
 
いつものように、そういうものだと仮定して話を進めますね(笑)。
 
 
 
とにかく、相手は力をよこせ!と襲い掛かってきます。自分が対応できる間は余裕を持って対応ができますが、自分の限界を感じるようになれば、必死に自分の身を気にするようになります。当たり前ですよね。
 
 
 
この時、なぜ自分に焦りがでてくるのかといえば、自分の持っている力がなくなる事を感じてしまうからです。どんなにアタマで「相手の為」と思ってもいざ、自分の身に自分の認識している以上の力が降りかかってきた時には逃げたくなるのが人間らしさですよね。自分を犠牲にして行動できる人って多くありません。

武術に魅力と可能性を感じているのは、アタマでわかっている事を身体で体感できると思うからです。

師匠の甲野先生はできねば無意味、と言われました。言葉どおり受け取ると乱暴なようにも聞こえます。しかし、どんなに正しいと思える事をアタマで考えたとしても、それを身体で表現ができなければこの世の中では意味がありません。

良い事悪い事は小学生でもわかります。しかし、大人になって悪いとわかっていてもやめられない事は山ほどありますよね(笑)。

人間はそういう弱い存在なのかもしれません。それでも、稽古を重ねて行くと、自分が成長している事を実感できます。歳を重ねて行くと、衰えも感じますが、それ以上に自分の中にある力の使い方が上手になるんです。
 
 
 
また話が脱線してしまいました(笑)。
 
 
 
とにかく、よこせ!という要求があるわけです。集中力を実感して力を集めていたら心境の変化がありました。ようやく、今日の本題にたどり着きました(笑)。
 
 
 
欲しいならいくらでも持って行って…
 
 
 
そんな気持ちが生まれていました。

相手は奪いにくるのです。でもこちらには余裕があります。力がたくさんあるような気になっているんです。

この集まった力は筋力や構造の力はもちろんですが、自分は応援されている、恵まれている、といった背中を押してくれるココロの力も含みます。むしろ、ココロの力の方が大きいのかもしれません。
 
 
 
力の在庫が多いからこそ余裕がでたんですね。根が大雑把、という事もありますが、きっちりと自分の力は自分のもの!として扱いたい人はどうかわかりませんが(笑)。
 
 
 
余裕で対応したい、と念じても実際にその余裕を身体で感じていなければニセモノになってしまいます。

あっ、でもプロ並の演技力があればそれも可能なのかな?しかし、そんなものは私にはありませんでしたから(笑)。演技は苦手、という人用の話だと思って聞いてください。
 
 
 
問題は力の在庫の量ですが、考え方によってはとてつもなく大きな力になりそうです。どこまで幸せを拡げていけるかですからね。それこそ自然を相手に高い感受性を持っているのなら無限に近いかもしれません。

改めて書きますが、思っているだけで力にならなければ全く無意味です、厳しいようですが。環境破壊と科学の恩恵のようなものです。どんなに弁が立っても、実際にどう動いているか、つまりどんな変化がカラダに起きているかが大切です。。この矛盾した考えを受け入れているかどうか不安になりますが、そこを確かめられるのがカラダなんですよね。

相手が求めるだけ全てを与えてみると、相手にも心境の変化が生まれているようです。「お腹いっぱい!」という表現でわかりますでしょうか(笑)。どんなに求めたとしても、自分の中に蓄えられる力には限りがあります。奪ったつもりであっても、それを使いきれずに蓄えてしまった事で、逆に身動きが取れなくなってしまうような感じです。
 
 
 
こういう喩えはどうでしょう。嫌がらせをしてくる相手に、敵対せずにニコニコまっすぐに付き合っていたら、自然と争う気持ちが相手から抜けてしまっていた。

相手を打ち負かせて勝負を決めるのとは違った終わりの形です。

相手にも感謝をしなさい、自分が許せない相手も許す努力をしよう、というのはこんな感じなのかな?と考えました。
 
 
 
稽古とは研究だと思っています。自分の知っている知識をフルに活用して、より納得の行く生き方を探して行く事が楽しいんです。もちろんそこには答えはありません。理想はあるかもしれませんが、その理想を受け止めるだけの器が求められている気がします。

せっかくメールを頂いてもうまくお返事を返せない事もあるかと思います。それでも頂いた言葉一つ一つがこの先の気づきにつながっていると思っています。感謝します。ありがとう!

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