【思考実験】

【思考実験】イチロー選手のものさし

そういえば、大リーグで大活躍のイチロー選手にも独自のものさしがある、というのを聞いたことがあります。【ヒットの数】です。 
その年、200本というヒットを頭においてプレーをするそうです。
 
イチロー選手が出てくる前、打者の優劣はホームランの数、打率ぐらいでした。でも、イチロー選手はそのどちらでもなく、ヒットの数なのです。
 
なぜかというと、積み重ねる数字は減らないからモチベーションが保ちやすいとの事。もちろん、もっと複雑なものがあるでしょうが、私には十分すぎる理由でした。
 
みんなが競っているから、という理由で同じものさしで競い合うことしか知りませんでしたから。でも、やればやるだけ、どんどん自分が楽しくなれるものさしを考えた人だけ、普段見ない数字を意識できることが出来るのかもしれませんね。
 
そういえば、営業も、成績のいい人はそんな感じだそうです。
 
断られるのがいやだと考えてしまうと、どんどんやる気はなくなっていきます。でも、話を聞いてくれる人に出会うために、聞いてくれない人を見つけたら、すぐにその場を立ち去る。そう考えると、営業成功率では低くなるものの、最終的に契約数では上がっていきます。
 
これなんかも、そうしろ、ではなく、自分で自分がどのものさしを選ぶか、というところから始めなくては意味がありません。我慢して、契約数、と口にしたところで、心にはちゃんとばれていますから(笑)。

【思考実験】スランプがない生き方を感じるために

常に自分のピークで死ぬ、という変な話をしましたが、そんな変な話はどうでもよくても、スランプがなくなればいいなぁ、と思っている人は多いかもしれません。そのスランプをなくすために必要なことを考えてみました。
 
まずは、私自身、もともとポジティブだったかといえば、全然違います。不安と心配だらけだったわけです。言ってみれば、常にスランプ状態。いや、スランプであればいつか上を向くかもしれない希望が持てたかもしれません(笑)。あきらめてましたからね、ほんとに。できる自分を想像すら出来ませんでした。
 
それでも、今こうして、スランプをなくす方法を伝えることができるのは、はっきりとしたものがあったからです。
 
それが「動き方」、「術理」です。
 
自分の動き方がわかってきて(だれでも、意識していないだけで、動き方を持っています。)、その動き方をもっと、もっと、軽く動けるように工夫をしていきました。
 
その工夫の足跡をまとめておきたくってはじめたのがこのブログにある、【身体感覚の足跡】です。
 
見ていただくとわかると思いますが、とにかく言っている事がグルグル変化をします。一貫性がありません。正しく言うことを聞こうとすると、きっと、怒りがわいてきます(笑)。
 
でも、実は、一貫性があるんです。それは、

「変化しつづける」

という一貫性です。私はそれを成長だと思っています。大人になっても、自分は成長できるぞ、って楽しいですからね。
 
人生、なにを物差しにするのかで全然違ってきます。一応、社会ではお金や学歴など、ものさしになりそうなものはあります。でも、それをものさしにできる人って多くありません。死ぬときにまで・・・と私は考えています。きっと、死ぬときにはこの身一つで死ぬはずです。学歴もお金も持っていけません。もしかしたら友達の思いは持っていけるかもしれません。そう考えることができれば、それもものさしにできそうです。
 
自分の未来を考え、今なにをすべきか、自分なりのものさしを作っておく、というのもひとつの方法だと思います。身体は目に見えて、感じることができるので、ものさしにはお勧めですよ。

【思考実験】あぁ、自分は自分の一番のピークで死ねる

甲野先生に出会い、技を受け、身体があることを実感し、湧き出てくる感覚で大きなもののひとつに、「スランプがない」というものがあります。
 
通常のスポーツではまったく変な話です。スランプの波があって当たり前であり、その波を試合にあわせていく事が大切だといわれていますからね。
 
でも、甲野先生の稽古は違ったんです。常に自分の中の自分に向き合い、今、なにができて、なにができないかを追っていくと、どうも、動きには進化しかない、事がわかります。
 
うまくできない時があった時、それは調子が悪かったのではなく、悪い動きが見つかったわけで、それよりもさらに気持ちのいい動きが見つかるよ、というサインなんだとわかりました。
 
今、私はまだ40前ですが、今が一番いい動きができます。今が一番いい動きができるということは、動いていて、一番楽しく、幸せだという事です。生きていると言うことは動くということ、つまり、人生で一番いい時間を今この瞬間、生きている事になります。  
この言葉を皆さんはどう聞かれるでしょうか?そんなバカな、と聞こえるでしょうか。それとも、強がっていると聞こえるでしょうか?それを実感する前であれば、私は「そんなはずない」と思っていたはずです。だって、自分の周りで、それを感じ生きている人を見ることが出来なかったのですから。
 
それでも、甲野先生という人を見ることが出来ました。言葉以上に、出会いの大切さを痛感します。
 
インターネットなどのおかげで、現代は出会わなくても仕事ができ、生活ができる時代です。そして、講座やセミナーなど、簡単に出会える時代でもあります。つまり、自分がしたい事をより、自由に選べる時代です。
 
出来る動きが増えたとは言え、自分の周りには自分よりももっといい動きをし、もっと自由に軽やかに、楽しく生きている人がたくさんいます。外に目を向ければ、自分と相手との比較になりますが、自分が常に、その瞬間、これまでで一番いい自分を出していると考えられるのです。
 
ふと、あぁ、これはいつ自分が死んでも、それは自分のピークで死ぬことが出来ることなんだ、と思い、うれしくなりました。
 
生きている以上、いつか死ぬわけです。いつまでも、怖い怖い、といっているわけにはいきません。なんとか、死に負けないように搾り出したわけではなく、そういえば、このままいけば、どう考えても、「ピークで死ぬよなぁ」と思ったんです。変ですね(笑)。

【思考実験】成功体験を渡せる人

にわか野球知識でもバッティングの際に「腕を折りたたむ」というコツがあるぐらいは知っています。手先で打って力がでるはずありません。今工夫している肘先を消す動きはまさにこの「腕を折りたたむ」ことなんじゃないかな、と考えました。
 
ただ、その誰でも知っている技術がなぜ、生かす人と生かせない人に分かれるかが不思議です。
 
水泳でも体幹部を使うためでしょうか、肘を折りたたんで身体から腕を動かすトレーニングをするそうです。
 
荷物を持つときにも、肘を折り、身体に近づけて持ちます。そんな「あたりまえ」の技術です。
 
荷物の時など、確かに自分と荷物の重心が近づき、効率はよくなります。アタマで考えれば、それ以外の方法で上げる事など、「バカな事」に思えるかもしれません。
 
しかし、それを考え、説明できる頭のいい人がちょっとした力を発揮しなければいけない時に、バカな事をするわけです。
 
問題はバカを認めていれば改善策を試せるものをその重さを当たり前として、認められないところかもしれません。自分の動きで悪いはずがない、と思うからこそ工夫をする気にならないのです。
 
自分の動きの悪さを自覚して、もっといい方法があるはずだ、と気づけば、どうにかしてそれを身につけよう、と動けるはずです。でも、なぜか、自分の動きが悪いのではなく、周りの人が特別「できる」のだ、と考えてしまいます。
 
自分にもできる、と考えようとしてもなかなかそこに「成功体験」をつかめない時があります。この時はつらいです。出来ると思いたいけど、実際にはできないわけですから。自分が苦労したからこそ、ここを脱出させるお手伝いができます。簡単に腕を折りたたんだり、体幹部で動ける人にはわからない悩みです(笑)。
 
一つはこの肘先がブレーキになっているという事。上腕、体幹部に任すよりさきに、つい、この肘先が動いてしまい、力が肘でぶつかってしまいます。その衝突を先に体験してしまうからこそ、成功体験に気づくことが出来ません。
 
でも、これを乗り越えるのは簡単です。肘先をもたれるのではなく、上腕を持ってもらえばいいのですから。
 
まずは、この成功体験。自分が軽く、自由に動ける、という事を知ることです。出来る自分がいて、始めて自分の持っている技が活かされてきます。何度でもいい続けますからね、ちゃんと、この身体は、だれでも自由に動くように出来ています。
 

【思考実験】スポーツは平和の時にするもの、武術は非常時に使うもの

甲野先生がおもしろいたとえ話をされていました。
 
スポーツは平和の時にするもの、武術は非常時に使うもの。
 
これを聞いて、なるほど・・・と、うなずいてしまいました。自分がなぜ、スポーツに向かなかったかです。
 
どうも、自分の中で「平和な時」がなかったんだなぁ、と思いました。どういう事かといえば、常に「不安」があったからです。不安というのは、自分にはできない、という自信のなさです。人は、スポーツくらい気楽にしなよ、というかもしれません。
 
でも、その遊びの中でも、できない自分を感じて仕方なかったのです。
 
いつ、それが作り上げられたのかはわかりません。でも、成長する過程で自信を持つ経験を得たことはなかったのです。
 
おにごっこをすれば、すぐにつかまり。鉄棒は苦手。なわとびも辛うじて二重跳びが出来たぐらい。周りの友達は簡単にそれをこなしています。そんな中で自信を持て、というのは苦痛でしかありません。
 
難しいルールのあるスポーツになれば、さらに「自分はできない」という思いは加速されます。
 
いつも、「非常時」だったんですね。
 
武術はその非常時にはまってしまった自分をちゃんと見つめなおす方法を教えてくれました。そのおかげで、自分の持っているものを改めて、ゆっくり、考える事ができたのです。
 
ですから、なんでも得意、という人はゲーム感覚で試していく方法がいいんだと思います。ただ、いつまでも、そのゲーム感覚を楽しめるかどうか、考えてくださいね。人は誰でも、歳を取ります。老いるということです。死ぬ直前も、スポーツ感覚で、それを楽しめるかどうか?人生の中で起こる様々なトラブルもスポーツ感覚で楽しめるかどうか?
 
世の中は安全第一をモットーに、危ない事をシステム的に解決してきました。そのシステムが働かなくなった時に自分は大丈夫か?と考えてみると、武術的な自己を観る方法も「アリ」だと思います。