リアルタイム報告

7/25、26 甲野善紀先生の名古屋・浜松稽古会報告 中編

背骨は消える

昨日のブログで伝えたかったのは「背骨は消える」という事でした。長々と書き連ねてしまったのは、自分の体の中に生まれた感覚がまだ全然、言葉になっていなかったからです。

いつもそうですが、もやもやと自分の体の中に感覚的なものが生まれます。それを材料に何日か稽古をすると、だんだん、言葉になっていきます。言葉にするときはシンプルにするのを望んでいるようで、昨日の何千字かの文章も「背骨は消える」という単純なところに落ち着きだしています。

 

言葉が単純化すると、その動きを再現するのに時間がかからなくなります。これはメリットのように思われますが、きっと、モヤモヤとした感覚のある一面だけをクローズアップした結果で、その他の働きから目をそむけてしまっているかもしれないなぁ、とデメリットの部分もありそうです。

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7/25、26 甲野善紀先生の名古屋・浜松稽古会報告 前編

先週の土曜日曜、名古屋、浜松に甲野先生をお招きし、稽古会を開催しました。

世話人としてもう何回もお招きをしていますが、毎回、新しい気付きを与えてくれます。

 

ただ、私は先生の「言われること」がわからない人です(笑)。身体感覚から生まれている言葉を理解するのにはどうしても、時間がかかるみたいです。

最近、その頑固さの理由がわかりました。首から下の緊張が強くって、頭がウン、ウンと前後に振れないんです。気持ちの問題ですが、原因は体に見つかっていくから不思議です(笑)。

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脱呼吸法のススメ

呼吸法を捨てる勇気

今日のタイトルは見る人にとっては過激なものかもしれません。本当はもっともっと、過激にいらない、と言いたいぐらい。でも、喧嘩の仕方も知らないので、いつものように今、感じていることをそのまま書かせてもらいます。

当たり前ですが、呼吸法は捨てられても、呼吸は捨てれません。順番として、まず、呼吸そのものを受け入れてからでないと、ダメじゃないかい、という事です。ダメというよりも、もったいない。今日の話を時間たっぷりに体を使って感覚的に伝えさせてもらえるのならば、捨てる、という表現でなくてもいいと思います。ちょっと横に置いておいて、と。

しかし、感覚がわからないまま、横においても、つい、それにまた頼ってしまいます。だから、「捨てる」決意を持ってほしいんです。

よし、捨てるぞ、と決意をすれば見えてくるものが違ってきます。そこで見えてきたものにまた呼吸法を掛け算するのは自由です。でも、どうやら、呼吸法を知っているから、それ以外のものに気付けないようなんです。もし、今、壁にぶつかっているのなら、騙されたと思って、呼吸法を捨ててみてください。呼吸なんてなんでもいい!って。

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たったの数センチが風格、自信をつける足元の秘密

視点を上げる

顔を上に上げると上が見えます。下を見れば地面が見えます。当たり前ですよね。その当たり前すぎることが時々、あれ?と壊れる時があります。先日もまさに、そうでした。こんな事で自分が変わってしまうんだ・・・と。性格がこんなにも簡単に変わるとわかったら、取るべき行動が変わってきます。自分の性格について考えるチャンスになるかもしれません。

なにをしたかといえば、イスに立ってみました。

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1月、2月の展開、骨の隙間、筋肉の隙間、上への重力

現時点での研究をまとめておきます。

今年に入り、毎月どころか、毎週のように新しい使い方が見つかって、それぞれを深く掘り下げる余裕もないまま、今に至ります。

 

 

 

1月の半ば、骨と骨の間にある「隙間」に気づきました。

 

その「隙間」を動かすようにすると結果として隙間を構成する二つの骨が同時に動きます。その二つに連れられ、他の骨ももともと持っていた関係によって結果として動く事に。

 

 

 

隙間を「意識」しているだけで、他の全部がきれいに動くんです。隙間自体は「形のないもの」ですから壊れにくいです。自分でも見つけにくいぐらいですから、相手からもなかなか見えません。だからこそ、相手に先んじて一つ早く動く事が出来ます。この隙間を動かす感覚に気づいて筋肉で動くのではない動き方がわかりました。筋肉だけの世界から骨の世界へと広がりました。

 

 

 

 

 

その隙間への理解がきっかけとなって、いろいろな所に隙間があることにも気づくようになりました。どうしても「形あるもの」を見てしまっていたんです。

 

しかし一度「隙間」の存在がわかればもともとあらゆるところにある隙間です。見つけるたびに新しい世界が広がっていきました。

 

 

 

その中でも大きく違ったのは「筋肉の隙間」です。

筋肉は繊維で、束です。小さく細いものが集まって出来ている、そんなイメージありますよね。

その筋肉の一つ一つをばらして使う感覚に気づきました。

筋肉の束をばらしたとき、その間にあるものが隙間です。

 

 

筋肉にも隙間があるんだ、と気づいてみると、それまで、ぐっと力を入れていた自分を冷静に観察する事が出来ます。

 

緊張しやすい性格も、疲れやすいのも、不器用で細かい事が苦手なのも、全部、筋肉を固める事しか知らなかったからなんだ、そうわかります。

わかっただけで心が晴れやかになり、軽くなるんですから不思議です。

 

 

 

考えてみると、筋肉は「ほぐす」といいます。でも、ほぐれた瞬間の自覚がなかった私は意識をしてほぐす事が出来なかったみたいです。もしかしたら何十年もの間、ずっと、緊張させてしまっていたのかも。

 

 

 

筋肉の隙間を意識する事で筋肉をバラバラに使う事ができます。

もともとは無数の細い繊維状のものですから、バラバラにできる、と知れば動きは全く違ってきます。身体はそういう風になっているんです、認識が変わればすぐに動きは変わります。

 

 

 

 

 

筋肉をバラバラに使う事で普段の生活の中での力みも格段に減ってきました。むしろ、普段の生活の中では力むか休むかしかなかったみたいです。リラックスっていうのはほぐれた状態を言うんでしょうね。でも、自己否定が強かった私はずっと、力み、身体を固めていたみたいです。

 

 

ほぐれる自分を眺めるように生活をすると、気づかなかった小さな力にも敏感になれるみたいです。ふとした瞬間、足裏に小さな力を感じました。そして、それが

重力」なんだと気づいたとき、また、それまでの自分の考えがひっくり返る事になったんです(笑)

 

 

 

重力は上から下に考える事が多いはず。上からの圧力です。

武術的にはよく、膝を抜いて、といわれるように踏ん張りを消した瞬間のタイミングで動け、と言われます。上から下の流れを作った瞬間に「乗る」んです。

 

不器用な私は当然のように乗れませんでした。だからこそ、余計に力む筋肉にたよってしまったのかも。

 

その上から下という常識が、足裏に感じたわずかな力がきっかけで「真逆」に思えました。

身体の重さがあり、重力が掛かります。当然といえば当然ですが、地面があり、そこで「跳ね返って」くるわけです。その「瞬間」だったんだと思います。

 

 

 

それまでの私の身体は力み、小さな力を感じる事ができませんでした。リラックスが進んだ事で、重力が身体に一番最初にかかる瞬間を見つけたわけです。しかも、跳ね返ってからの力ですから、力まなければ跳ね返った後の余韻にも乗る事ができます。タイミングを逃してはいけない、そういう考え方も力みを生んでしまっていたみたいです。

 

 

 

 

簡単にですが備忘録として書かせていただきました。

そして、ここからさらに研究は進みました。動物から人へと進むためのものです。気づく事が多すぎてなかなかブログにまでまとまりませんが、興味を持ってくださる方はツイッターを覗いてみてくれるとうれしいです。

 

 

 

次回、互い違いの動きについて報告します。なるべく、早くに(笑)

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