上達のための足跡

【身体感覚の足跡】筋肉以外の力で動く

力といって思い浮かぶ力は何でしょうか?
きっと、「筋肉」の力が最初に思い浮かぶと思います。
では、次は?
リラックスが上手な人は「重さ」もそうだ、といわれるかもしれません。
しかし、重さの力を使うには「コツ」が必要です。
その「コツ」のお話です。
重さを使うためにはなにかを「しよう」という気持ちを捨てる事が必要です。
しかし、なにかをしようと思う気持ちを捨てる事は簡単ではない・・・と思っているかもしれません。
その簡単ではなかったために、これまで、見つけられずにいたわけです。
しかし、今日お話しする「コツ」は簡単でした。
なぜ、見つからなかったのか不思議なぐらいです。
歩く、という動きでお話をしましょう。
左足を一歩踏み出して、歩くとします。
この時、まず動くのは「左足」です。
その左足を持ち上げるのに、「筋肉」を働かせます。
そして、その時、身体は筋肉モードになってしまうのです。
この時、最初に動かす手順が間違っていたのです。
歩こうとしてしまうからダメだったんです。
筋肉の力から重さの力に動きを変えていくには最初の動作が肝心です。
左足を前に出したくても、心を鬼にして、あえて、真逆の部分を動かしていきます。
左足に対して対角線にある、右肩を「後ろ」へと引きます。
この時、身体が少し捻れても気にせず、引いてください。
重心が右足に乗り、左足が少し「浮いて」きます。
身体の中で振り子の運動が起き、後ろへと引いたはずが、今度は前へと身体が転がっていきます。
後ろへ引く、という動作がバラバラだった身体を一つにまとめてくれたのです。
この時の感覚をよく、覚えておいてください。
やりたい事とは真逆の動き、それが重さモードで動くコツです。
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【身体感覚の足跡】首の7番の使い方

両足を踏ん張ってしまうと、身体が歪みます。その歪みと力みは大抵の場面で嫌われます。
だからこそ、リラックスが大声で叫ばれていますが、緊張する場面でリラックスができないからこそ、みんな困っているわけです。
なにもない「平時」の場面でリラックスができても、人生という荒波の中ではまったく役に立ちません。
どんなキツイ状況でもリラックスできる「動き方」を身につけなくてはいけません。
今日はそんな動き方のお話です。
首には7つ骨があります。
その一番下の骨、7番目の骨の使い方です。
まさか、首の骨がない方なんていませんよね。
そういう意味で、誰にでも「できる」動き方です。
ただ、知らないだけ、というわけです。
もったいない話です。
なにかをしようと思った時にはついつい、両足を開いて、力を入れて踏ん張ってしまいます。踏ん張る事はそれなりに有効ですが、どうしても、その踏ん張りから、跳ね返る力で身体が歪み、崩れていきます。
この時、首の付け根の骨、7番の骨を意識してぐるりと首を廻してみると、背骨と首の骨がピタッと揃うところが見つかります。
難しい動きはなにもいりません。
ただ、首を廻す。それだけです。
この時、首の筋肉に力を入れて廻すよりも、首の重さを使って、遠心力で廻してみると、分かりやすいかもしれません。
結果として、両足と首の付け根の3点でバランスが取れ、お腹のあたりが浮いてきます。
ちょうど丹田の辺りでしょうか、そこから力が流れ出てくる感覚が見つかります。
お試しあれ。
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【身体感覚の足跡】小さな足で動く

かかとを踏むのか、つま先で動くのか・・・
武術の世界にはたくさんの教えがあります。

宮本武蔵が踵を強く踏み、つま先をすこし上げておけ、と伝えてると聞くと、つい、それが「正しい」事と考えてしまいます。
でも、実は、ここに落とし穴があるようです。
 
・・・という事を実感したので、自分への戒めと思って書きますね。
 
 
 
以前、「足指を固めて、コンパスにする」という事を書きました。
普段、なにげなく使っている足を良く観察して、感じてみると、どうやら、足、足指の構造を生かしきれずにもったいない使い方を皆してるぞ!という事が分かったんです。
 
 
すこし、意識をして、指を固めて、その強くなった部分で動くと、精度が上がり、スピードもあわせて上がってきてしまうのです。
でも、これは武蔵の言っている、踵・・・とは正反対なんだよなぁと、迷いが出てきました。
 
 
 
人間誰しも、間違いたくはありません。最短距離で進みたいものです(笑)。
でも、寄り道、回り道をして思いました。
これは、経験してみないとわからない・・・こんな事でもそうなんだから、世の中にある教えってのはそのままを聞いてはダメなんだろうなぁ、と身にしみました。
 
 
 
いや、分かっていたんですよ、頭では(笑)。
でも、ようやく、体で分かりました。
 
 
 
働きを感じられるうちは、自分の信じているものをしっかり、見ていこう、そう思ったんですね。
そして、大切なのは教えそのものに縛られないように、自分の感覚、センスを伸ばしていくこと、つまり、変化する事を恐れずに生きていこう、という事です。
 
 
 
踵で動くのではなく、つま先をじっと見て、感じてみてください。
足の親指の付け根をみると、それ、カカトに似ていると思いませんか?
 
 
 
親指の付け根を小さな足のカカトとして使ってみると、つま先立ちが楽に出来ます。
ぎゅっと足指を締めて、体を作らなくてはいけないのかな?と思っていましたが、同じような働きを足指の付け根を使って、小さな足で動くようにすると得る事ができるのです。
 
 
 
画像や動画が無くってすいません。
分かりにくいかもしれませんが、まずは、ご自分の足指をじぃ~っと見て、試してみてください。

【身体感覚の足跡】コンパスを作る

コンパスを知っているでしょうか?
 
 
 
そんな事を聞いて・・・馬鹿にするな!と聞こえてきそうです。
コンパスとはどういうものか、あなたももう、知っているはず。
そして、どういうコンパスがいいのかも、どう使うのかも知っているはずです。
 
 
コンパスで大切なのは軸となる針の部分。
その針がしっかりと地面を捕らえているからこそ、もう片方の脚、そしてコンパス全体がくるりと動き出すのです。
 
 
 
あれこれ複雑な仕組みを作るよりも、このシンプルな仕組みの方が故障も少なそうですし、制御も簡単なのは分かるかと思います。
 
 
 
問題はこのコンパスをどう、身体で表現するかです。
 
ピボットターンというのがあります。バスケットボールの用語かと思ってましたが、各種スポーツにもあるようです。
もちろん、武道の中にも親指を軸にして、廻るという体捌きがありますから、形としては一般的なんだと思います。
 
 
 
しかし、この軸に当たる部分の大切さはあまり聞きません。
今、ある使い方によって足指が丈夫になり、地面にさせるようになり、余分な力が身体へと戻ってこなくなりました。
結果として、くるりと抵抗無くスムースに廻れるようになってきました。
 
 
 
単純に廻る、という動きをしただけでも、その速さが違ってきているのです。
これまで「困って」来た事は、自分の軸がつぶれて、回転が無かっただけだったかもしれません。
その遅さを自分のせいだと考えず、廻り方が悪いんだ、となにか別のものを探し回っていたような気がしています。
幸せの青い鳥ではないですが、本当に、すぐそこに、解決策は眠っていたみたいです。
 
 
 
動きの面だけではありません。
軸が決まり、丈夫になる事で、抱えるような動きも楽になりました。
しっかりと相手の重さを受け取った際に、相手の体重と自分の体重、二人分の重さが軸の一点にのしかかってきます。
この一点が丈夫であれば、重さに負けずに、くるりと動き出す事が出来ます。相手の重さが動きを止めるマイナスなものから一転、遠心力を生み出すんでしょうか、力に変わっていくのです。

【身体感覚の足跡】脳みそを考える

心地よい音楽を聴いたとき、想像をぜっする風景を見た時、緊張感のある場に居合わせてしまった時、普段とは違う、自分がいることに気づく時があります。この時、私達のカラダにはなにが起こっているのか・・・その原因に違いない!と思った経験がありました。
 
甲野先生をお招きして稽古をつけてもらった後、ファミレスで3次会をしている最中に、かけてもらった技があります。その時、十分に注意を払って抑えていたにも関らず、すぅ~と手を上げられてしまいました。その時、自分の後頭部がビリビリと痺れるような感覚があったんです。
 
まぁ、こんな事を書くとオカルトチックな気の世界が・・・となりますが、そのダークサイドには入り込まないようにしていますから、どんな不可思議な事があっても、身体の感覚として、捉えるように、今、その瞬間に起きた事を分析しました(笑)。 
 
その後頭部の痺れで考えたものが「脳」です。脳については魅力一杯で、今でも、ブームは続いています。ブームの域を超えて、真面目に取り組める対象になったのかもしれません。このブームのおかげで、私のような素人でも、脳の働きや機能、不思議さについて、多少の知識を持つことが出来ました。
 
 
そのにわか知識を総動員してみると(笑)、今、十分注意して崩されないようにしていたにも関らず、すり抜けられてしまった理由がありそうです。普段の「注意」の仕方は「表面的」なものだったと考えました。その表面的なものはもっと浅い部分で感知でき、そしてそれに対応するように、また手足に指令を出していきます。しかし、自分が普段使っていない部分に入り込まれると、どうしようもないんじゃないか・・・、そう予想をしました。
 
それでも、こんな理由は要らないものかもしれません。誰かを説得するのであれば、別ですが、自分が生きていく中で、自分の持てる能力をしっかり発揮して、楽しく生きる、それができればいいんです。
 
技を通じて感じられた自分の脳が動き出す感覚。今度はそれを経験として、こちらが「行う側」としてやれないだろうか?と試しました。相手に押さえてもらって、その手を上げます。普通に上げると、普通に考え、動いてしまいます。この「普通の時」には普段と変わらない部分の脳が動いているはず。でも、それは当たり前すぎて、感じる事もできません。ただ、違和感が「ない」という感覚です。
 
そこで、後頭部を痺れさせるのです。どうやって?っていうのは経験に助けてもらいます。先ほど、崩された時の感覚を呼び戻すのです。うまく行くと、普通に「考えることなく」手を上げる事が出来ます。一対一で相手と対応していない感覚が相手をすり抜け、技を効かせているようです。 
 
 
 
その後、この痺れる感覚が他にもないかと探してみました。
リラクゼーション音楽とか、小川や風といった自然の音、へミシンクのような脳を活性化させる音楽にはその兆候があるみたいです。左からも右からも入り込んでくる音。その音に居つくことなく、次々頭に入ってきます。情報が溢れたところで、普段とは違った意識で、その音を認識する事ができるようになるんじゃないか・・・そんな事を考えました。
 
意識というのは不思議ですね。
当たり前のものだけが永遠と続くならば、当たり前に勉強して、知識を貯えていけば良いでしょうが、イザという時は大抵、思考が止まります。知識が役に立たない事も多いです。その役に立たない事が分かっていて、勉強していればいいのですが、役に立つ、と思って学び続けると、裏切られた時には全部、自分に戻ってきてしまいます。
 
色んな自分がある、それを感じられるきっかけになった気づきでした。
それでも、説明も実技も妖しいですから、そうそうにこの技からは離れましたけどね。
今やるとどうなのかな?また、聞いてください。