心と体

親指を隠せ

先ほど爆笑問題が出ているテレビの中で「霊柩車をみたら親指を隠せ」という話が出ていました。

そういえばそんな事もあったなぁ。

ふと何気に親指を隠してみたところ、いつもと違う・・・。

親指の隠し方にもレベルがあるのかも。そう思った。

胸鎖関節でも感じた事だけども、今の人の体の動かし方は繋がらない。だからこそ手先や足先だけを動かしてしまうわけです。末端である親指を隠してみる事はおそらく誰にでも出来るはず。ではこの親指を隠した力がどうカラダをめぐっていくのか・・・それを感じてみました。

細かいところは省きますが、カラダの奥のほうへと進んでいくのは間違いない。その進んでいった先に現れる感覚にそっと耳を傾けてみるといろいろとアタマに浮かぶ事がある。そこに何かがあるのではないだろうか。

と、良い稽古が出来た後は何気ない一言からでも妄想が広がり人生が楽しくなります(笑)

交差する胸鎖関節

もちろん実際には胸鎖関節は交わらない。

ただ、その感覚は「交差」しているんです。
この「交差」によって何が変わるかといえば上方向へと体重が動くという事。体重が動くというのは最近の話で言えば自分の全力を上方向へとそのまま移動させる事が出来るようになったのです。

上へと向かっていけばその先にあるのは指先になるのですが、手の平に自分の体重が全部集まるような感覚が・・・。

そして「感覚」だけではなく実際にそこに「重さ」が生まれてくるようです。この感覚で崩されると結構楽しいみたいです。次の稽古会、ちょっと期待して良いかも知れません^^

胸鎖関節で気づいた「全力」

胸鎖関節に興味が出てきて1ヶ月。よくぞここまで動きが変わってきたものだ。アタマで想像していた事とはまったく違った感覚があるからこそ、新しい自分の世界をもてたように感じる。

カラダラボを始めたのはカラダを通して自分の世界を拓いていく楽しさを伝えたかったから。胸鎖関節を意識してただ振り子のようにする稚拙な動きでも楽しさを感じる事ができる。この先、「術」と呼べるほどにまで展開して行ってくれるだろうか?

さてなにがそこまで楽しませてくれるのだろうか?

一つは胸鎖関節を意識できた事で、自分の「全力」を考える事ができた事にある。「全力」とは簡単な言葉だし、これまで何度も耳にしてきた。普段道場で子供たちにまずは「気持ち」を入れなさい、と指導もしてきた。

でも「全力」を使うというのはどういうことだろう。自分が「全力」を使っているのを実感できていただろうか。なかなか「全力」では動けない。

先日北京オリンピックが閉幕したが、マラソンのような長い時間を使ってうごけば「全力」を使い切る事ができるだろうか。

私の場合、たぶん無理。途中でアタマが「辛い」と思ってしまい、あきらめてしまうだろう。全力を使い切るまでどれだけかかっても良い、と無限の時間を与えられても「全力」を使えるほど根性は無い。

例えば根性がすごくあったとしても、ただ「一歩」脚を踏み出すだけに「全力」を使いきれるだろうか?ただ箸に手を伸ばすだけに「全力」を使い切る事ができるだろうか?

当たり前の生活の中で「全力」を使い切っている実感を得る事はやっぱり難しい。アタマで「こうしよう」「こうするべきだ」と分かっていても、ついつい別のことを考えてしまう。ただ目の前の事に「集中」するのは難しい。

「全力」と「集中」は似ているのかもしれない。カラダの力を全部使う「全力」とココロを集める「集中」。胸鎖関節の動きはココロまで届いていく気がする。

胸鎖関節が動く事で感じられるようになったのは自分の「体重」。体重がわずかな操作で動くようになったということ。そしてその体重に方向性を持たせることができる。これまで体重を操作するのには膝を抜く事が多かった。最初楽しかった膝を抜く動きも、動きを重ねていく中でやはり慣れていく。この慣れを感じて楽しくなくなっていくのはたぶん成長しているからだろう。過去の技術に囚われることなく楽しさを道しるべに自分の中をもっと拓いていきたい。

まとめ切れなくてちょっと長くなってしまいました。また続きは今度。

胸鎖関節その2

胸鎖関節が動く事でなぜこれほど変わってくるのか?

人間の事だから「ココロ」の働きは絶対にあるはず。動く事で楽しさを感じ、未来に可能性を期待する。期待の前借をしているのかもしれない。このまま終ってしまえば、前借した分のお返しが必要なので、楽しさ以外のところで成果を残しておかないと、後で苦労してしまう。

「術」というと難しさを感じるけれども、単純に胸鎖関節間の距離が短い、という事が働きを生む一つの原因だと思う。左右の切り返しがこの2つの間で行なわれるのだから、早いに決まっている。デンデン太鼓や竹とんぼをイメージしてもらうと分かりやすいだろうか?軸の太い竹とんぼは廻しにくいですよね。

そういう意味で考えると、「背骨」は「正中線」となり、背骨で回れば軸が作りやすいような気がする・・・。でも今までは難しかった。背骨を正中線として軸にするというのは武道で言えば「当たり前」になるかもしれません。でもなかなかうまくは使えない。働きが無かったんですね。その正中線が結果として出来たものではなく、背骨ありきで作ってしまったからかな。

胸鎖関節を指で触りながら左右に振ってみる。

「意識」しようとしても難しいですが、「触れて」いれば自然と意識が向いていきます。股関節の時と比べてもずいぶんと意識しやすいと思います。振っていくと遠心力なのか、肘が外へと飛び出していくような力に気づくはずです。自分の中から「生まれてくる」力は大切ですから、これを大事にしてください。ブンブン、と振りながら飛ばしてみましょう。動きがあれば支点が分かりやすいはず。

これであってる・・・?と聞くよりも何が楽しいかを探すつもりで、工夫してみてください。

胸鎖関節について

分かりやすそうで、わかりにくい「らしい」胸鎖関節について・・・

この胸鎖関節の使い方は「術」と言って良いのか、ちょっと迷っています。というのも、使い方としては「ムチ」の原理だから。ムチというのはあの猛獣をてなづけるためのムチ。ピッチャーがボールを投げる時に使うムチの原理です。

つまり「術」と呼べるかどうかわからないレベルなわけです。

でも、これが効く。体験した人は分かりますが、重いし速い。無駄が少ない・・・ムチなのに。

考えたのはこれこそ人間が持っている構造のチカラだという事。つまり誰でも胸鎖関節という構造をもっているわけで、それをちゃんと使うとこれぐらいは出来るでしょ!という事。運動オンチだから関節が無い、という事はないしね。

おそらくここが新しいスタートなんだと思います。
このムチの原理からどう術に展開していくか。そこがこの先の楽しみでしょう。

あまり考えずに素直にカラダを楽しんでみてください。
ポイントはまず「触ってみる」という事。やはり感覚は重要で、気にしなくても気になりますからね。そして振り子のように手を振る、胸鎖関節を支点にして。