心と体

今だからこそ、気づける事

震災から1ヶ月。
時間が解決してくれる・・・とはよく聞く言葉ではありますが、今回はそうも行かないみたいです。
昨日も大きな余震(M7で余震ってのも・・・すごいです。)がありましたね。

私は今回の地震で、生まれて初めて、体で恐怖を感じました。(事故も病気もなにも無かったんです・・・)

考えてみると、生まれてから、ずっと、人が作ったシステムの中で平和で、安全に暮らしてきました。世界的にはたくさんの災害、戦争がありますが、全て、ニュースとして頭に入ってくるものばかりでした。大変な事が起こっている・・・と思っていただけで、実際には「恐怖」というものをカラダでは感じていなかった事に今回初めて気づかされました。
 
 
 
3/11の地震の後、体中から力が抜けて、動く事ができなくなりました。頭ではこういう時こそ、頑張らなきゃ、笑顔でいなきゃ、と思いつつ、目の前に拡がる世界はそれをさせてくれませんでした。情報を探して、朝も昼も夜もない数日が過ぎましたが、「目覚めると悪夢」という世界がある事を知りました。
 
 
 
先の見えない恐怖に押しつぶされそうになりましたが、救ってくれたのはやはり、この自分のカラダでした。幸い、予定していた講座がありましたので、気分は乗りませんでしたが、稽古する事ができたんです。そこで、カラダを動かし、感覚を言葉にしていると、「今、自分に出来ること」というのが感じられてきました。甲野先生が言われていましたが、まさに、恐怖とは「体」が生み出すものだったんです。つまり、体が動かないからこそ、心はそこに恐怖を感じてしまうわけです。

私自身、今まで何度もそれを言葉にもして伝えてきました。それでも、目の前の大きすぎる恐怖にはなす術がなかったのです。・・・でも、やっぱり、我々は今、生きています。生きていれば、必ず、体がまた動いてくるようです。これまで、稽古してきたものはまさに、「今」使うためのものだったんです。そして、今を生きるのは、今大変な事が起こっているからではなく、これまでもずっと感じてこなければいけなかったのを改めて学びました。一生懸命生きているつもりでしたが、全然生きる事に向き合えていなかったのを痛感しています。もっと気づいていれば、この試練は経験しなくてもすんだのか・・・今はもう、わかりません。
 
 
 
この地震が無かったとしても、この日本では年間3万人もの人が自ら命を投げ出しています。その事について、具体的な解決策はありませんでしたね。後へ後へと問題を先送りにしていたのかもしれません。しかし、この震災を経験し、今なら、真剣に自分はどうこれからの人生を生きていくべきか、そう考えている人が多いはずです。
 
 
 
自分がこの先、どう生きていくのか?この問いに「正しい答え」はありません。それでも答えを出していかなくてはなりません。そう、私達一人一人がです。この数十年で私達は「幸せとは○○でる。」と押し付けられてきました。学歴や仕事、お金や名誉・・・今自分が求めたいものはそれでいいのだろうか?本当に求めているもの、必要なものはなんだろう?そう問いを発してみてください。「今だからこそ」気づく事ができるかもしれません。
 
 
 
きっと、数年もすれば、また日本は復興を遂げ、人間の持っている底力を感じるようになるはずです。でも、それは自分の中にある底力ではなく、自分とは違う誰かもものと見えるかもしれません。
 
 
「自分には出来るはずが無い・・・」
 
 
そんな事をずっと、考えてきました。
でも、今はちょっと違ってきています。
「自分に出来る事をするしかない・・・」
 
 
 
これまで、カラダの事を伝えようとしても、それは必要ないよ、といわれる人も少なくありませんでした。便利な機械やサービスがありましたからね。でも、この震災で人はいつでも、全てを失う事もある事を知ったはずです。なにも無くなってしまっても、自分は笑顔でいられるかどうか?その事を問いながら、また、稽古に励みたいと思います。
 
 
 
人間が生きるべき道の答えをくれる人はたくさんいます。聞きたい人は彼らからどんどん聞けばいいと思います。その中で、まさに、自分がそう思っていた、という答えに出会える人もいるかもしれません。
私自身は甲野先生に出会い、自分の中を掘り下げる、という方法を知りました。
自分の中を掘り下げるのですから、必ず、自分にピッタリの答えが出てきます。
そして、それは歳を重ねるごとにまた深くなり、どんどん自分らしくなっていきます。

当たり前の毎日はない、それを地震は教えてくれました。
今、自分が一番したい事はなにか?それを体にどう問えばいいのか?それを出会った人に伝えて行きたいと思います。長々と書きましたが、お付き合い下さり、ありがとうございました。

そういえば、思うところがあって、ブログのタイトルを変えました。
これからも、よろしくお願いします。

山口 潤

自分らしさと心と体

昨日の天使のサロンでの講座とは打って変って、日曜日は少林寺拳法の道場を借りての定例稽古。参加者も男性5人に女性1人。同じことを伝えているつもりなのに、こうも違うかなぁ・・・と驚きつつ、よく考えてみると、全く「違う」ように見える人たちが「同じ」ものを稽古できるってすごい!

きっとそれは心と体が一つのものだから。心と体が一つ、という事はよく聞くけれどもなかなかそれを「実感」できる事ってありません。昔であれば、とにかく体を使ってくたびれれば休む、という自然の流れがあったはずです。

体を使っていくことで気持ちのいい疲れ、というのを最近は感じる事が少なくなっている気がします。小さな子供達は全身をしっかり使って、疲れたらばたっと眠ります。小学生ぐらいになると、ちょっと眠るのが下手になりますね。そして、大人はもっと下手です。

武術を通して体を実感し、心と体が一つになってくるにつれて良く眠れるようになりました。そして喜びや楽しみ、幸せも以前よりも感じられるようになりました。感度が高まるにつれ、不安や悲しみも大きくなりますが、そこは武術の一番得意なところです。どんなマイナスな状況でも、そこからプラスへと発想を変えていく訓練をさせてくれますから。

どんな状況も自分の見方次第でプラスにもマイナスにもなるんです。そういうことは「知って」いましたが、最近ようやく、体でそれを感じるようになりました。なかなかそれを上手く伝えられずに、困っていますが、これもやっぱり稽古だし、自分と縁が出来た人たちがその人らしく生きているのを見聞きする事でまた、元気をもらうことが出来ます。いい循環もすぐそばにあるんですね。

心と体が一つだ、とわかれば自分らしさ、その人らしさが生まれてくるのかもしれませんね。証明はできませんが、感じることはできるはず!それを信じてこれからも一生懸命に生きていこうとおもっています。

そういえば、甲野先生の2次会の会場決まりました。
いつものしゃもじ屋さんに無理をいい、営業時間前に入れていただける事になりました。ありがたいことです。
今回懇親会にも20名を超える方がみえそうで、盛り上がりそうです。みんな待ってたんですね。

では、また!

古武術に学ぶ身体感覚 その5

さて、それでは身体感覚から生まれてくるもう一つのもの「幸せ」について考えて見ましょう。武術においての幸せ感って単純です。武術の場面においては、自分のカラダがイキイキとして力がみなぎってくるのか、恐怖でカラダが固まってしまうかのどちらかなんです。そして、もちろん幸せとは力がみなぎっている状態です。

自分の体に力がみなぎってくる状態をじっくり体験する事ができるのが稽古です。普段、忙しい生活の中ではどうしても流されてしまって気づく事ができません。自分の感性にあっているかどうか、という判断よりも、より「結果」がともなう事を選択してしまう事ってないですか?

体を使うこと、意識を変える事、そんな方法で自然と体に力がみなぎってくる事にぜひ、気づいてください。

古武術に学ぶ身体感覚 その4

とはいえ、私たちはストレスに対してあまりにも無知です。ストレスに対して「良くないもの」という先入観を持ちすぎてしまいました。ストレスに対して学ぶ機会として「武術」を使うことが出来るのです。でも、「戦う事」にしか使えないと思っている人も多いですよね。こんなもったいない事ありません。

とにかく世の中にあるものほとんどが今自分にとって不便なもの、大変なものを無くすために作られています。快適さを求めるのもそうです。車はただ、移動するものというよりも、より快適に移動できるように進化していますよね。

新しく生まれているものもあります。携帯電話やインターネット。ほんの少し前にはありませんでした。しかし、もう、この社会には無くてはならないものになってしまいました。便利でしかも、楽しくて、さらにまだまだ進化をし続けています。

ただ、この便利なものを通しての豊かさは本当の強さ、幸せとはちょっと違うと思うのです。幸せとはなんだろう、というのはまた後にお話しする事にして、まずはストレスへの見方を変えて行きましょう。

今、ストレスってありますか?どんなストレスを持っているでしょうか?このストレス、いくつ合っても、一番大きなストレスに私たちの意識は向かうようになっているとしたらどうでしょうか?

ストレスをとる事にがんばって、怖れや不安がなくなって幸せになれれば良かったのですが、世の中こんなに便利に快適になっても、新たな不安が止まりませんよね。そろそろ逆の方から考えてみた方がいいかもしれませんよ。私の「感覚」でいえば、どんどん恐れや不安が無くなっていっているんです。なんとか、この逆発想を伝えたいのですが・・・感覚の事だけに、一人一人に手渡しでしか伝えられません。

今日、この場を共にし、感覚を伝えられる事を嬉しく思います。

さて、ストレスの見方ですけども、ストレスが外からやってくるのが一番嫌ってしまう原因です。もし、ストレスを自分で作ったとしたら、どうでしょうか?簡単な実験をして見ます。

どんな実験かといえば、「ただ手を上げる」実験です。もちろん、ただ上げるのであれば誰でも出来ます。この上げる手をしっかりと抑えてもらいます。普通、この状態になると、「上がらない」という気持ちになります。そういう気持ちになると、力を入れたくなります。この時の相手が抑えてくる力がストレスです。そのストレスが無けりゃ、上がるのに・・・そういう状況です。

この時、そんなストレス気にしなきゃいいのに・・・と考えてみてもなかなか、そこに「ある」ものを消す事は簡単ではありません。でも、私たちは他人のことになると、よくこの手を使います。嫌いな相手や苦手な事に向かっている人に「気にしなければ」とか「楽しんでこればいいのよ」、なんて、軽く言ってしまいます。なかなかそれってキツイ言葉かもしれません。

気にしてしまったものをどうすれば、気にしなく出来るのか・・・。その方法の一つがストレスを生み出してみる方法です。これまで、ストレスは嫌なもの、と定義づけてきました。それをまず、変えてみます。今、相手に抑えられている力が気になっています。具体的に「痛み」という形で出ているかもしれません。これは、今、自分の中に気になるところ、つまり「痛み」や「圧力」がない平和な状況だったからこそ、相手からの力が気になっているんです。

もし、相手からの力以上に、自分の中に問題があるとしたらどうなると思いますか?例えば、こんな状況です。隣に大嫌いな人がいるとします。でも、外は台風です。今にも家が飛ばされそうな状況だとしたら・・・嫌いな人よりも、まず、自分の安全の方が気になると思いませんか?「より気になるもの」に人の意識は向かうのです。

自分が平和だったからこそ、自分の持っている本当の強さが発揮されていなかった、と考える事ができます。あなたのカラダはあなたが考えている以上の力を持っているのです。今は信じられないと思いますけど・・・。

実験を続けましょう。相手に抑えられてます。今、相手の力が気になっています。自分の中が平和だからです。そこで、「圧力」を作り出してみましょう。抑えられている手ですが、もう一つの手を使って、自分で自分の手を力いっぱい抑えてみてください。

左手と右手は釣り合うように出来ています。釣り合ったところでちょっと状況を感じてみてください。相手からのストレスはどうなっていますか?自分も相手と一緒に抑える側になったわけですが、意外と丈夫ですよね、反対側の手は。なかなかつぶれないのです。

・・・でも、相手だけの力だった時には弱気が出ていたはずです。頭が働きすぎて、本当はその体は耐えられるはずなのに、ダメだ!と勘違いしてしまっていたのです。

釣り合いを保ったまま、手を上げてみると、さっきまでぶつかっていた力がどこかへ行ってしまったようです。

ポイントは自分の中に、自分でストレスを作り上げる事です。今、反対の手で抑えてもらいましたが、もっと小さく、コンパクトにする事も出来ます。具体的には抑えられている手の親指で、人差し指の先をギュ-っと潰してみるのです。これは、結構痛いです。でも、自分で作った痛みですからね、大丈夫なんです。相手からの力を忘れちゃうぐらい、ギュッとやって下さい(笑)

今、具体的に体に刺激を与える事で、相手からの力を忘れる工夫をしましたが、もしかしたらアタマの中でより強いストレスを作っても可能かもしれません。例えば、人生の問いになるような重いもの。生きるとはなんだろう・・・運命って決まっているのかなぁ・・・なんて、答えの無い問いを真剣に持っているとしたら、目の前の力なんかは気にならなくなるかもしれません。なんとなく、ストレスが小さくなっていく気がしています。

この辺りは私も研究中です。また、面白い発見があればお知らせしますね。

古武術に学ぶ身体感覚 その3

さて、身体感覚という言葉を頭だけで考えていても始まりません。身体感覚から次に来るものがあります。ストレスと幸せです。自分にとって心地良いのか、排除したいものなのか、プラスかマイナスかを考えて見てください。

例えば、武術的な場面、戦いの場面で考えると、よほど戦いでワクワクする人以外は戦いの場面で得る感覚(怖さとか不安ですね)はストレスだと思います。精神的なものだけでなく、直接痛みとしてやってくるストレスもあります。武術においてはこのストレスをどう扱い、自分にとって力に変えて行くかがポイントなんです。

ストレスはどう扱っていけば良いのか・・・。今はストレス社会という言葉も当たり前すぎて使わなくなってきました。現代に生きる子供達はたくさんの習い事、自由の無い遊びなどで、常にストレスにさらされてきます。それでいて、ストレスをどう考えるのか、という事について学ぶ機会はほとんどありません。

社会全体でストレスは悪だ、との認識で、ストレスを溜めずに、どうとっていくかを追い求めています。でも、その効果はといえば・・・ほとんどありませんし、むしろこれだけがんばっても・・・と出口が見えない状況です。

このストレスも私たちが持っている先入観によって出来ている、としたらどうでしょうか?武術で考えると、ストレスというのはとっても簡単に見えてきます。自分にとって嫌なものをどうすればありがたいものに変えていけるかだからです。武術は常に一番ネガティブな所から考えます。どういう事かといえば、不意打ちに会うかもしれませんし、相手が大勢かもしれません。ルールがないのが武術であり、その稽古は常に自分の中にある余裕を消しながら行くのです。

もうそれ以上、ネガティブに考えられないところからスタートするからこそ、ポジティブに考える事ができるようになるのです。