精神世界、宇宙の法則

【心を軽くするために】対気功師

先日、友人が街で気功師に遭遇したそうです。美人な彼女に痛いところがあったら治してあげる、といわれて手を差し出したそうです(笑)。彼女の集中と共に、右手の痛みは左手へ移り、けだるさと変わったそうです。それを伝えると、彼女は困惑、そこまで効果を言葉に出来る人はすくないんでしょうね、また、自分でも驚きの成果だったのかもしれません(笑)。そして、痛みがなくなったことを、いいでしょ、いいでしょ、と聞いてきたそうです。
 
この友人、一緒に稽古をしていても、常に楽しく、なにかを考え、アイデアをくれます。「気功」=「不思議な力」の先入観はありません。それぐらい、あたりまえじゃん、って感じです。でも、感覚に慣れていなければ、きっと、驚いてくれる人のほうが多いはずですよね。だからこそ、その「おかげ」を通じて、その道の仲間を勧誘できるわけですし。
 
で、その彼女、ね、痛みがなくなったから凄いでしょ、嬉しいでしょ、と聞いて来たそうです。でも、痛み=不幸せではないよね、と言ったそうです。その痛みがなくなったからといって、自分の中にある問いや幸せに繋がるわけはないし、そんな単純じゃないよね、って話したらしいです。
 
それで困惑。でも、仕方ないかもしれません。その人はきっと、末端の人、気の力っていうものが特別なものとして「ある」というところにいる人なんでしょう。ただ、「気」という言葉を使ってしまったことで、そこで完了してしまい、自分で考え、工夫するのを放棄しているんだよね、とは友人の言葉です。
 
漫画や映画で育った僕ら世代はどうしても、そちらに憧れがあるのかもしれません。今研究している上腕や心臓から動くという事も、手順だけをおっている人からすれば、十分オカルトに見えます。だからこそ、ありがたがってはいけない、守ってはいけない、捨てていかなくてはいけない、と思っています。笑い飛ばしていっちゃうよ~。

【心を軽くするために】お化けと人

オカルトやスピリチュアルには惹かれるものがあるんです。そのくせ、なにも見えないくせに。ただ、暗い夜道を歩いていると、ガタッとなにかが動いたことで、体にぞぞ~っと震えが来ることもあります。気弱ですからね。
 
これ、武術として考えるとどうなるんでしょうか?
相手に対して、怖がっている、恐れを頂いている、ただ、それだけです。
相手が見えるか見えないか、その違いだけです。 
 
今のこの時代は「敵」がいません。姿を見せません。
ブログが炎上する、という現象があります。あれは姿のない相手です。面と向かっていないからこそ、強気になれる人もいるし、逆に顔をあわせていないと相手と意思疎通ができない、という人もいます。
 
そういえば、以前、車に乗ると性格が変わる、という人が多かったような気がします。最近は言われないですね。運転、というのが当たり前になったからなのか、みんな、安全運転になったのか分かりませんが。自分の中には知らない性格を持っている自分がいると考えてみるとどうでしょう?
 
 
さて、見えない敵と対峙する方法があります。普段から、目に見えるもの、手に触れられるもので生活をするのではなく、その間合いや感覚を通して生活してみると、良いみたいです。そして、その間合いなんかを受け止めるのは、この自分自身のカラダです。このカラダに起こった事を解決していくようにすれば、暗い夜道の寒気も何とかなります(笑)全部、自分の問題として考えられるようになると、楽になりますよ。

【心を軽くするために】ありのままで良いなんて信じない!

皆、本当に今のままでいいのかな?時々、そんな事を心配してしまいます。今日はそんな日です(笑)。あまりに気になってしまったので、言わせてください。聞きたくない人もいるかもしれません。ちょっとでも嫌な意見だなぁ、と思ったら、サッとページを閉じちゃってくださいね。
 
よく、ありのままの、今のままの自分で良いんだ、と言われている人がいます。今の自分を心配すれば、その心配が現実のものとなってしまうよ・・・と。だから、わるい事は考えずに前をむいて、上を向いて笑っていこう、と言います。
 
でも、それが本当の自分を見ないためのいい訳だとしたらどうだろう?そんな事を考えてしまうのです。私が心配性だからなのかもしれません。私は、武術に出会い、自分の身体の存在をしりました。心と身体は一体です。心に生まれた心配は身体にも現れます。その身体の見方、扱い方があることを知った事で、不安が生まれても、それを解消すればいい事を知りました。
 
生まれては乗り越え、変わっていく事を経験すると、実は、心に不安を見つける作業というのは、自分が成長していくためには必要なものなんじゃないかな、と思うようになりました。世に溢れるポジティブシンキング、宇宙の法則、引き寄せの法則はその自分が成長していくためのきっかけを見ない事だと間違って伝わっているかもしれないなぁ・・・なんて。
 
今日のこれは、聞きたくない人は聞かなくて良いです(笑)。そんな気がする、というだけですから。
 
実際、私は人間、なにがあっても大丈夫、と思っています。どんな人でもです。でも、それはつらい事がなくなるわけではありません。つらい事と出会って、心が折れそうになっても、ちゃんとまた、楽しく笑っていけるようになるし、大きなものを乗り越えたら、それだけ強くもなるし、優しくもなれるよ、という事です。
 
ただ、つらい事が起こらない、やってこなくなる、と思っている人が多いんじゃないかなぁ?
 
考えてみると、この数十年はものすごく「幸せ」な時です。特に、この日本は。でも、電化製品に溢れ、便利になり、自由が保障され、文化的になりました。
でも、その平和は自分の外側の進化です。自分自身はどうでしょうか?今あるものが何もなくても、幸せを感じられる事ができるでしょうか?今あるものを失ったときに自分がどう対応するのか、想像できるでしょうか?
 
武術はそのイザというときの経験を先にさせてもらえます。
心を安らかにする運動や考え方ってたくさんあります。でも、それは「平和」な時に「気持ちの良い」ところで、「好きな仲間」と「楽しく」行うものが多いと思います。でも、実際の「イザ」という場所は非常事態です。果たして、そのまま役に立つんだろうか・・・すぐに、そんな心配をしちゃうんですよね。悪い癖です(笑)。
 
でも、考えてみてくださいね。本当に、自分はこのままで大丈夫だろうか?と。

【心を軽くするために】おたがいさま

おかげさま」という良い言葉があります。
陰に隠れた存在、力が自分を助けてくれて、今、様々な事をやり遂げることができるんだ・・・と考えてみると、なんだかホッと心の奥が暖かくなります。
 
ちょっと前に自分はものすごく嫉妬深い人間なんだ、と気づいた事がありました。
目の前に現れる人に対して、どうしても、憧れや劣等感を感じてしまうのです。
いや、人間は対等、平等だから・・・と「考えても」、その見たいくない感情は消せません。
 
そういうところから逃げ出すために、稽古をして、良く動く身体を作っていたのかもしれません。
でも、神経や上腕の可能性に気づきだして、不思議と余裕が出てきました。
自分の中にも達人が入っていた、という事が分かったのですから。
自分だけではありません。誰の中にでもです。
素晴らしく動ける身体を持ちながら、肘先を使ってしまうことで、衝突が起こります。
じゃあ、肘先を使うのをやめて、この上腕や神経に身を任せるだけで、自分のやりたい事は出来上がっていく、と考えざる得なくなりました。
 
自分の中に「おかげさま」というバランスをとってくれている存在(身体)があり、そこを認められたことで、相手の中にもそれを見ることが出来ました。
その最高のものがお互いの中にあると、嫉妬するのでもなく、見下すわけでもない、真っ直ぐ相手と向き合う事が出来るのです。
 
なにをしても、「おたがいさま」、そんな感じです。

【心を軽くするために】おかげさまのちから

日本には「おかげさまで」という言葉があります。
自分ひとりの力でなしたわけではなく、「おかげ」の力を借りる事で、できました、という言葉ですね。
ちゃんと、自分以外の力をいつも考えてきていたんですね。
 
その「おかげさま」という習慣をちゃんと受け入れているはずなのに、なぜか、事が起こったときには「自分の力」に頼ろうとしてしまうのはなぜでしょう?
 
「かげ」の力ですから、当然見えないものです。具体的に見えてしまえば、おかげさまではありません。見えない力ってなんでしょう?
 
そこに「バランス」を考えてみると、腑に落ちました。なるほど、バランスが取れた結果、姿はみえるけれど、バランスそのものの力は非常に見えにくいです。
しかし、バランスを体感した人にとっては確かにそこに感じられるものになると思います。
まさに、おかげさまという言葉がぴったりです。
 
バランスをとるには陰に隠れて、姿を見せない方が楽チンです。
姿を見せれば相手に思考がうまれ、こちらに依存をするか、逆に拒否されてしまいますから。なかなかぴたっと合う人には出会えません。

まずは、自分自身のなかにおかげさまの「実感」を得る事、そして、今度は自分がおかげになり、誰かを助ける事、これ、ものすごく楽しそうです。