大人の武道塾

【反射神経】その6 分離と統合、親子関係について

その1 もう一人の自分がいた

その2 わからなくても、大丈夫!

その3 指先がかってに動いた

その4 もう一人の自分との出会い

その5 「自由な自分」と「困っている自分」

この時、一つの言葉を思い出しました。「分離」という言葉です。それまでずっとこの体を一つにまとめて動きを作ろうと工夫をしていいました。しかし人間の意識はたくさんのものを同時に意識する事を苦手としています。それでもバラバラに動くよりは一つにまとめた方が大きな力が出ると信じて稽古してきました。

しかし、この体はもともと、繋がっていたのです。一つにしようと考えなくてもちゃんと最初からひとつの体だったのです。必要なのは恐怖や不安に負けずに最初の一歩踏み出すことでした。

赤信号みんなで渡れば怖くない、そんな言葉がありました。いや、でもこれ怖いですよね。怖い怖いと体を固めて動くのではなく、パッと勢い良く行ってしまえばいいんです。怖いとか安心だとか考えている暇はありません。一旦動きが始まってしまえば、そのあと体はちゃんと指先にひかれて必要な動きを完了させることができます。

ちょっと、ここから精神論になるかもしれません。でも、ぜひ聞いていただきたい事です。今、手のひらは自由を獲得しました。でもその自由は、動けない体があってこその自由なのです。自由を感じるためには不自由も感じなければ、知っていなければいけません。不自由な自分がいるからこそ、自由になった事を楽しく軽やか考える自分が見えてきます。

これ、親子関係と似ていませんか。私はそう、思いました。手首を境に手の平が子供、そしてこの体が親です。親は子に幸せになってもらいたいと思う気持ちから、つい、子供を自分が思うとおりに動かしたいと思ってしまいます。でも大人である親はいろいろなものに縛られて自由であり続けることはむつかしいですよね。自分が持っている不安から行動を起こしてしまう場合もあります。でも、それは不安を押し付けて、心配を感じさせる行動になっているかもしれません。

心配する、というのは、その「子」が動けないと思っているから。「手」は動かない、と思っていた時と同じです。でも、「手」はものすごい能力を持っていました。反射的な瞬発力です。初めてのことでも、バッとやり遂げてしまう能力です。親である身体のままでは手を認めることは出来ません。だって、動かない体に乗っているんですから、心配です。手はそんな体を心配しません。ただ、自由に、手が動きたい事をするだけなのです。親である体はその手についていけばいい、と教えてくれています。まぁ、見守るってわけです。

子離れした瞬間(自分が体でなく、手に移った瞬間)、子供(手)は自由に自分の世界を飛び回ります。ただし子供(手)に「自分は自由にどこにでも行けるんだ」という思いがなくてはいけません。親(体)に依存したままでは1人になった瞬間、恐怖で体が動かなくなってしまいます。いわゆる迷子ですね。

この手と体でその親子関係を考えてみると、動かない体があってこそ自由な手が生まれるようです。そして自由な手(子)が活躍していくことが、結果として動かない体(親)をよりハッピーにしてくれるのです。

私も親ですから、子どもたちにとってどういう親がいいんだろうかとよく考えます。その答えは自分のこの手に、体に教えてもらいました。

【反射神経】その5 「自由な自分」と「困っている自分」

その1 もう一人の自分がいた

その2 わからなくても、大丈夫!

その3 指先がかってに動いた

その4 もう一人の自分との出会い

反射神経の活用の方法が見つかったわけですが、その過程でひとつ大きな気付きを得ました。動き自体は反射神経の動きに任せてあげれば、より速く、そしてパワフルな動きを実現することができます。反射神経の動きを通して「もう1人の自分」に出会えたことを思い出してください。自分の中に「自由な自分」と「困っている自分」が同居していたのです。いざとなれば自由な自分が働き出すことがわかりましたが、普段からその自由な人を主役にして動けないかと考えたのです。

自由な自分は指先から動くことで感じることができます。ただ、指先だけを動かすということは現実問題として難しく、もう少し手前の手首にその、分かれ目がある事がわかりました。

指先から!と意識しすぎて手首が固まってしまえば、逆に不自由な自分が主役になってしまいます。最初からこの、手首を境に動きをコントロールするとうまくいきそうだと感じました。

手首を動かしてみてください。どうでしょう?自分は今、どこにいますか?どこから自分の手を見ているでしょうか。おそらくこの目で、自分の手を見ているかと思います。

でもそれは大きな方の自分です。つまり、不自由な方の自分です。手を掴まれた時はそこに不自由さを感じる自分です。

指先に意識を集中してみてください。手の平を開いてひらひら蝶々が舞うようにに動かしてみます。その手の中に乗って動かされている、揺らされているという意識を持ってみてください。

だんだんと不自由な方の大きな自分ではなく手のひらに乗って揺られている自分も意識できるようになってくるかと思います。

この時、手首が柔らかければ、柔らかいほど良い動きにつながるかと思いますが、大丈夫です。みんな手首って、柔らかくなっているのです。もちろん、個人差はありますよ。でも、たくさんある関節の中でも、手首は初めからかなり柔らかい部分なんです。

プラプラっと振ってみてください。結構早く動くと思いませんか?この時の動きは、意識的なものではありませんね、脱力をした事で手はブラブラと動いているのです。

意識が手のひらに移るようになってくれたら、かなりゆっくり動いたとしても、自由な時間も自覚をして動き続けることができるはずです。

【反射神経】その4 もう一人の自分との出会い

その1 もう一人の自分がいた

その2 わからなくても、大丈夫!

その3 指先がかってに動いた

早速、道場にいたみんなにこの発見を伝えました。普段、体全体で動こう!と指導していましたから、全く違う言葉で興奮を伝える私を見て、誰もが戸惑っていました。(古い付き合いの人はまたか、と笑っていましたが・・・)

それでも実際に技を受け、自分で、指先で動くことを試してみると、みんな私と同じようにその効果に驚いていました。

ただ、この時はまだ「もう1人の自分」への入り口に過ぎなかったのです。
指先から動く方法はこれまでの動かし方とは全く違う動き方ですが、それでもその動きを「しようとする自分」はこれまでと「同じ自分」です。

しかし、自分の中はも1人普段、影に隠れて自分をサポートしてくれている自分がいるのです。

冬の寒い時期でした。道場の中のストーブの上でヤカンが湯気を上げて私たちを温めてくれていました。ふと指先がヤカンに近づいたんです。その瞬間、ものすごい速さで指がヤカンから離れ、戻ってきました。なんのことはない、熱いものに触れて反射神経が働き、勝手に指が動いたのです。

あれ?
この動きはどこかで…、そうです、指先から動かしていた「あの動き」とそっくりだったのです。

何度かヤカンに指を近づけて反射神経を確かめました。はぁ、これが反射神経かぁ。そんな、当たり前のことに感心している自分が不思議でなりません。全く知らないことを習うから楽しいのではなく、自分が無意識にしていたことを体で確かめられた瞬間程、幸せな時はありません。

私は子供の頃から「運動神経はない」と考えて生きてきました。でもそれは間違いだったかもしれません。熱いものに触れそうになって、自分の体が勝手に動いたこの反射神経。自分は速く動くことができる存在だったのです。にもかかわらず、子供の頃の経験から自分は速く動けない、どんくさい人間なんだと思い込んでしまったみたいです。

おそらくその動けないと思い込んでしまった思いが、自分の中に硬い先入観を作り、それがブレーキとなって自分の体を縛り付けていたんでしょう。周りから、大丈夫、大丈夫と言われても実際に速い自分を経験することなしに大丈夫と信じることはできませんでした。

偶然が重なり、指先から動くことが反射神経を活用する鍵になることに気が付きました。速く動ける自分がいる、それだけで今見ている世界はガラリと変わってきます。どんくさい自分とはおさらばです(笑)。

これからも苦手なもの、怖いものは自分の目の前にやってくるでしょう。でも、困っている頭はそこに置いておいて、この身体に動きの指揮権を渡してあげることが解決につながる事がわかりましたから、もう怖くありません。誰の中にもあるんです、この働きが。そして、いつまでも、歳を重ねてもです。

反射神経の話。

今、アップしている「反射神経の話」は講座や稽古でお配りしている小冊子のものです。忘れないうちに書きとめておかないと・・・と書き残しているものです。それでも、これを書いたのが、反射神経を見つけてから、3ヶ月ぐらい経ってから。その頃はもう、次の事を考えていました。

その「次」というのが上腕から動くという事です。

これまでブログにもあれこれ、気づいた事を書き残してきていますが、反射神経とはまったく、正反対の意識の仕方をしています。

それでも、おかしいのは、反射神経の時に子供たちを眺めていたとき、まさに、そこに、指先から動いているように見え、今、上腕や心臓を意識して観察してみると、彼らはより、身体の奥の方から動いているように見える、という事です。

全く違う見方でありながら、同じものをみているって、不思議だなぁ・・・と思うばかりです。もちろん、ここにも疑問としての問いは持ちますが、答えは求めません。いつか、自分の中に答えが沸いてくるのを知ってますから。

 

さて、反射神経の冊子のアップはもうしばらく続きますので、興味があればごらん下さい。

【反射神経】その3 指先がかってに動いた

それでは気づいた時の事から順にお話をしていきたいと思います。

手順としてこうやればいいよという、目安はありますが私自身が、その動きが現れた時に驚いた気持ちも一緒に共有してもらえるとより楽しい気持ちになれるかと思います。

気づきは本当に唐突でした。それまで全く考えたことない動き方だったのです。その頃の術理は「点の術理」でした。屈筋と伸筋をしっかり意識して、どちらかに偏ることなく、その間に動かない点を作るように動くという使い方でした。

人間はいつまでたっても欲深いものです。どんなにすぐれた技であっても、不思議と飽きてしまいます。動きにも紅葉のような瞬間があるんですね。その退屈感が新しい出逢いをまた作り出してくれるのです。

ぎゅっと掴まれた手をどうにかしようと考えた時に、ちょっと動きたくなったんです。きっと手が退屈していたんだと思います。動きたくてしょうがない状態だったんですね。

ふと指先が、相手の手を巻きつけるように、クルっと動き出しました。その瞬間、それまで感じたことのなかったような軽さに気がつきました。

一瞬信じられませんでした。掴んでいる相手が気を抜いたのかなと思ったんです。もう一度相手にしっかり用心してよ、と頼みながら、指先から巻き込むように動いてみました。何度やっても相手が抑えようとする気持ちをするすると、抜けだして行けるのです。

指先から動いている時は自分の中に困っているという感情が全くなくなります。動き始める前にはこんな状態抜け出せるはずがない、そう不安だらけな状態なのに、いざ動き始めるとまったく、不安が消えているのです。

いや、もう少し丁寧に表現すれば、不安な自分はそこに置いたままもう1人の自分、指先の自分がドンドン相手に向かっているような気がします。

その勢いのある指先に引かれるようにして、不安な自分も結果的に相手の中に入って行くわけです。

いったい、この指先から動く動きはどこまで有効なんだろう、そう考えて自分が知っている限りの動きに応用してみました。必要なのは指先が動くだけです、どんな動きにも使う事ができます。

・・・驚きました、それまで自分ができない技も、まったく、不安無く、するすると、こなすことが出来てしまったのです。