小乗と大乗の話

図書館で密教の入門書を借りてきました。
なにが仏教でなにが密教なのかも分からないレベルですから、とっても楽しく読むことが出来ました。
興味を持って「入門」を読むときが一番楽しい^^
逆にいえば、興味のない入門書ほど眠くなるものもないと思いますが。

その中で小乗仏教、大乗仏教の解説もあり、喩えが面白く、なるほど!と思ったので紹介します。

その本の中では「ウサギとカメ」の話しで喩えられていました。
ウサギがサボって、カメがコツコツがんばってるやつです^^

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幼稚園で講師を呼び、園児に話をしてもらったとします。
講師はウサギとカメの話をして、最後に園児にうさぎになりたいか、かめになりたいかと聞きますと、園児はかめになりたいと答えるでしょう。これは、話す者も聞く者も努力して勝った方に拍手をおくり、自分がその勝者であり、善者でありたいと思う心を引き起こしたのです。この時の園児の心境を小乗(自利)といい、その園児を羅漢といいます。
しかし、園児と一緒に聞いている先生や父兄は、油断してはいけない、なまけてはいけない、努力しなければいけないと教えている講師の心がわかります。これが大乗(利他)です。この時の先生や父兄を成仏といいます。

(西村公朝著・密教入門・新潮社)
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なるほど、そうかぁ・・・
そして、こうありました。

「釈尊は、無知な大衆には小乗的な話から大乗の内容を説いたのです。」

仏教の歴史をみますと、この小乗の教えは理解しやすいものの、大乗の教えはやはり難しいらしいんですね。
そして、それが一時期の仏教の衰退原因になったらしいのです。

いくら立派な教えや理論であっても、それを押し付け、体感の伴わない知識だけではダメだったのでしょう。

これが「おもしろい」と思ったのは、僕が甲野先生から学んだ順序がまさにこんな感じだったからです。

もともと僕は子供の頃から少林寺拳法を学んでいました。
甲野先生に出会った22歳の頃、自分の技の限界・・・というか可能性に行き詰まり、なにかないかと探し始めたんです。
その中で見つけてのが「井桁術理」でした。
円の原理を見直したその原理に自分にも出来るかもしれない、という希望を見出したのです。

つまり、なにがしたかったかというと、自分の技をとにかく向上させたかったのです。
ちょんと触れただけで相手が飛んでいくようなマンガの世界の技をです(笑)

以前にもお話しましたが、甲野先生が武術の世界に入られたきっかけは、「運命は決まっている、そして自由だ」という気づきを体で確かめたいというものだったそうです。
目先の技がどうこうよりも、どう自分が生きるかを真剣に取り組まれていました。

しかし、その技がきれるんです。
もう、本当にマンガの世界だな、って思いましたもん(笑)
すっかりその技の虜になり、稽古の道へと行くのですが、いつまでたっても「自分」の事ばかりでしたからね。

それが、自分の技が進むにつれて、結果的に、自分はどう生きていけばいいのか・・・という事を考えるようになりました。
そして、自分の技を磨き上げるためには自分の事だけではなく、自分と関係している他人の事を真剣に思うことが必要なんだと気づきました。
今では自分がより、納得し、楽しく、幸せに生きるためには、他人の幸せも同時に考えることである、それを「武」という戦いの状況であっても考える事ができるかどうか、が大きな稽古のテーマとなっています。

結果的に最近、僕が講座で話す内容が以前と比べて、抽象的になりすぎているような気もしますが、今自分が本当に楽しく、真剣に研究できるテーマがそこですから、仕方ないかなぁ、と諦めています(笑)
僕の説明が分かりにくい分、古くからの仲間の皆さんが、以前はこうだった、ああだった、こんなのもあるよ、と丁寧にお話をしてくれるようになり、助かっています。
この場でいいのか分かりませんが、ありがとう、と言わせてください。

1ヶ月程度であっても、気づきを得て、動きやカラダが変わると、みている世界も変わるんです。がらりと。
もし、体が変わらないとすると、外の世界が変わらなくてはいけません。
でも、なかなか職場や家庭などの周りの環境が物理的にかわるのって難しいです。
ニュースで流れてくるのは目を覆いたくなるような不安ばかりですし。

自分がなにを見たいかで世界が変わってくる。
だからこそ、「口ぐせ」が大事だ、と知っている人は多いです。
「でも」、難しいですよね。
「でも」は言っちゃいけない、そう思っても「でも」ですから(笑)

私は武術とは無理に「ありがとう」「幸せ」と口にするのではなく、体を通して本当にそこにある事を「嬉しい」と思い、心から体全体で「ありがとう」と言うための「稽古」だと思っています。
体ってすごく、素直でだませないんですよ。

カラダを通して新しい感覚に出会うとイヤだったものががらりと変わって見えます。
「痛み」は当事者である患者側からみれば嫌なものですが、治療するお医者さん側からすると、とっても大事な目安になります。わかりますか?
見方を変えてくれるんでしょうね、きっと。

これからも常に見方をどんどん変えていこうと思っています。
これは言っちゃまずいかなぁ・・・そんな不安になることもしょっちゅうです(笑)
それでも、どんな事も楽しく愉快に聞いていただけてますから、それがどれだけ励みになり、力になっているか・・・ありがとうございます!

では、また。

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