震災を境に変わった事がいくつかあります。
1つはテレビに興味がわかなくなった事。いや、もっとキツイ言い方でもいいかも。テレビが見れなくなったのです。特にバラエティが。
笑いを通して心を明るくしよう、というのはわかります。・・・でも、その笑いで妥協をしているんじゃないか?と考えてしまうんです。
生きていくのに明るく、楽しく過ごしていければ幸せです。ポジティブに生きよう、ってのには大賛成。でも、笑いの中には色んな笑いがありますよね。今、テレビのバラエティで仕掛けている笑いが自分と合わないんだ、と気づいてしまったのかも。
今日も芸能人のテストのバラエティがやっていました。子供達は大笑いで見ていました。たぶん、震災前には僕も笑っていたはず。でも、なんか違うんです。おかしな答えを取り上げて、笑う。そんな事もわからないのか、と笑っています。平方根や展開図、英訳・・・学生時代に覚えた事だから「知って」はいるけど、知っているだけで、全然生かしていない自分がいるんだと思うと、知っているだけ、正解というだけでは喜べないんです。
武術を通して学べる事、気づける事は、新しい知識というよりも、自分が知っていた知識を身体を通して経験し、再確認できるという事です。気づく事は、自分が知っていたことばかりなんです。
そうして気づいた事は単なる知識ではなく、どこから攻められても対応可能なものになっているような気がします。だからこそ、武術で気づき、育てた動きがそのまま、介護の人の質問に答えられたり、スポーツの動きに応用できたり、生きていくうえでの悩みや不安の手助けになり、相談にものれたりします。
昔から記憶にはコンプレックスがあるせいなのかもしれません。
いくら覚えてもそれは単なる知識でなんの自信にも変えられませんでした。
わかってもいないのに「覚えている」。これは違うんじゃないか・・・と思いつつも、流されるように受験勉強をしていました。
案の定、大人になり、うわべだけの知識は全く役に立たないし、新しい知識を入れ続けていかないと世の中のスピード間に合いません。この勉強法をしながら幸せになるって想像がつかないです。
そんな性格だったの武術が合ったのかもしれません。記憶、勉強というコンプレックスも身体と心の事が分かるにつれてドンドン無くなっていきます。
頭には期待できない分、身体と心を磨き続ける武術がものすごく楽しく、向き合う事が出来ています。もし、身体と心の事が知りたければ、全力でサポートする覚悟はありますので、遠慮なくどうぞ。知っている事は全部、伝えますから。