【身体感覚の足跡】分離から生まれる自由感

自分の中に反射神経が「ある」というのを身体で感じてから、なんとか、この動きを「落ち着いて」使いこなせないかと工夫をし始めました。反射神経は思わずする動きに近く、どうしても制御が難しく感じたのです。
 
いつも、次の工夫はこうして始まります。出来なかった技が出来るようになって、嬉しいんですが、どんな技もそのうち当たり前になり、最初の感動がなくなります。飽きてくるんですね。その気持ちがあって、今度は冷静にその動きを観察し、足りないところ、次に繋がりそうな部分を見つけられます。今回もやはり、そうでした。
 
ゆっくり、落ち着いて、自分を観察してみると、反射神経に気づく前では感じられなかった感情がわいてきます。以前は、掴まれた瞬間、危ない・・・と警戒モードに移るわけですが、実際にその状況は反射神経を活用するとクリアできる、つまり、困らない、というのを知っている自分がいます。じっと、内観してみると、手首を境に困っていた身体と困っていない手に分かれている事がわかりました。
 
それまでの自分は腕にいたようです。でも、手首から先の手に意識を持っていってみると、どれだけ抑えられていても、実は全然、困っていない、という事に気づきました。手首の関節はものすごく細かく、精妙に出来ています。単純な力ではその動きを止める事はできません。
 
にも関らず、これまでは頭のほうが、まず、思考停止になってしまっていたようです。それまで、漠然と「腕」と思っていた部分を手首で「分離」して考えてみたら、どんな事があっても自由な手がそこにありました。邪魔をしていたのは、自分は自由ではない、という先入観でした。
 
自由になるには、それを担保するものが必要みたいです。どうも、これは「親子関係」に似ています。子である手を自由に働かすために、親である腕がどっしりと見守る事が大切・・・そんな感じです。
 
一旦、自由を感じた手はそれほど意識しなくても、楽に動かす事が出来ます。自分は大丈夫、という事が経験できればいいんでしょう。お説教じみた術理ですが、「浮き」に繋がっていくものですから、ぜひ、受け取ってもらいたいと思います。

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