【心を軽くするために】対気功師

先日、友人が街で気功師に遭遇したそうです。美人な彼女に痛いところがあったら治してあげる、といわれて手を差し出したそうです(笑)。彼女の集中と共に、右手の痛みは左手へ移り、けだるさと変わったそうです。それを伝えると、彼女は困惑、そこまで効果を言葉に出来る人はすくないんでしょうね、また、自分でも驚きの成果だったのかもしれません(笑)。そして、痛みがなくなったことを、いいでしょ、いいでしょ、と聞いてきたそうです。
 
この友人、一緒に稽古をしていても、常に楽しく、なにかを考え、アイデアをくれます。「気功」=「不思議な力」の先入観はありません。それぐらい、あたりまえじゃん、って感じです。でも、感覚に慣れていなければ、きっと、驚いてくれる人のほうが多いはずですよね。だからこそ、その「おかげ」を通じて、その道の仲間を勧誘できるわけですし。
 
で、その彼女、ね、痛みがなくなったから凄いでしょ、嬉しいでしょ、と聞いて来たそうです。でも、痛み=不幸せではないよね、と言ったそうです。その痛みがなくなったからといって、自分の中にある問いや幸せに繋がるわけはないし、そんな単純じゃないよね、って話したらしいです。
 
それで困惑。でも、仕方ないかもしれません。その人はきっと、末端の人、気の力っていうものが特別なものとして「ある」というところにいる人なんでしょう。ただ、「気」という言葉を使ってしまったことで、そこで完了してしまい、自分で考え、工夫するのを放棄しているんだよね、とは友人の言葉です。
 
漫画や映画で育った僕ら世代はどうしても、そちらに憧れがあるのかもしれません。今研究している上腕や心臓から動くという事も、手順だけをおっている人からすれば、十分オカルトに見えます。だからこそ、ありがたがってはいけない、守ってはいけない、捨てていかなくてはいけない、と思っています。笑い飛ばしていっちゃうよ~。

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