【稽古日誌】出来ないっていうのも才能かもしれないな

昨日、火曜日は大垣での大人の武道塾。
この自由な研究稽古の場もどうやら1年過ぎたみたいです。
ただ、なにかを習い、練習するだけではなく、目からうろこをドンドン落とす、そんな場所にしてもらっています。
ありがたいなぁ・・・。
 
 
 
さて、昨日は久しぶり(1年ぶり?)の方も寄ってくれて、改めて、今の動きがプロの目から見ても自然に近いんだって事を感じさせてもらえました。
なにも持たない自分がこうして、動けるようになってきた事こそ、勇気や自信をあたえられるんじゃないかなぁって思っています。
 
 
 
本当にね、子供の頃はなにも出来なかったんです。
得意な事はもちろん、好きな事もなにもなかったんだから。
 
勉強、運動、スポーツ、図画工作、音楽・・・あ~もう、なにもかもです(笑)
そういうものがずっと、コンプレックスで、しかも、それを認める事すら嫌ってました。
それが、こうして、自分の身体が変わっていくのを眺められるようになって、できなくて良かったのかも・・・なんて思うぐらいにもなりましたから。
 
 
 
なにかが出来る人ってかっこいいですよね。
うまく出来ない私は憧れと嫉妬でいつも、心揺らされてました(笑)
 
でもね、ちょっと、あれっ?って思ったんです。
・・・というのは、もし、私が甲野先生と出会ったとき、なにかが出来てしまっていたらどうだったんだろう?って。
きっと、その自分の「出来ている」モノを大事にして、捨て切れなかったかもしれない、って思ったんです。
 
 
 
古武術って、とにかく、普通とは真逆なんですよね。
とにかく、今、自分が持っている常識をどんどん壊していくもの。
普通、常識が壊れるって怖いことじゃないですか?
人間って、変化に対して弱いから。
 
でも、自分の身体の中に見える可能性に気づくと、もう、居ても立っても居られなくなるんです。
今までがどうであろうと、今ぼんやり見える光に興味深々に成ります。
 
 
 
でもね、なにか「出来て」いたりすると、今度はそれを失う怖さがあると思うんです。
自分の中に見つけた変化、光ならそこにドンドンいけるんです。
でも、渡されるものは光に見えても、自分にそれができるかどうか、心配が出てきちゃうんです。
心配が出てくると、守りたくなるのも人情だから。
 
手に入れられない時の事を考えると、つい、今の自分の持っているものにしがみつきたくなっちゃったりするもんです。
 
 
 
こういう事を考えていた時、あぁ、出来ない事があるってのは才能だぁ、って思えるたんです。
自分にとってできないことがあるから、求めたくなるんだなぁ・・・って。
 
 
 
昨日の稽古に来ていただいた方は踊り、舞台の方。
もう、本当にきれいに踊られます。それを見て、あぁ、いいなぁって思っちゃうんです。
自分にはできない、ってわかるから。
でも、心に刻み込まれたその思いがあるから、なにかにまた、気づいていける気がするんです。
 
 
 
昨日、稽古の後、初めての忘年会をしました。
普段は時間の関係でほぼ、身体に向き合う事ばかりですが、昨日はお酒を酌み交わしながら、いろんな話を聞かせてもらいました。
そしたら、もう、やっぱり、みんな魅力的で!
 
なにが良いかって、みんな自分にとって好きな事、大切な事をちゃんと持っているんだなぁ・・・って。
今、私は古武術を通して体の楽しさを知って、はまりましたけど、それまでは本当になにも、なかったですから。
 
 
 
昨日話を聞いたらもう、出るわ出るわ(笑)
着物が好き、石が好き、自然な暮らしが好き・・・。
もう、その好きのレベルが違うんですよね。
本当に、自分の中から湧き出てくるものを感じますもん!
 
 
 
きっと、僕の場合は「できない」って力をもらったんです。
好きなものはないけど、出来ないって気持ちはもう、本当に大きかったから。
だから、ただ手を上げるっていう単純な事にも喜びを感じられたんだなぁ、って思います。
 
 
 
古武術の動き、感覚を使えば、本当に何でもレベルを変えていくことが出来るんです。
それは日常の生活の中にも、オリンピック級の選手でも、病気や怪我のような苦しみにも、心に生まれる悩みにも、全部。
そして、ほぼ、全て、楽しいほうへと解決に向かうんです。
なぜなら、その解決策は自分の内側から出てくるものだから。
 
 
 
いつもいつも、ありがとうございます。
 
もし、興味を持ってくださるのなら、ぜひ、遊びに来てください。

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