相手の気持ちと自分の気持ち、その境にあるのは皮膚

今週、道院長を勤めている少林寺拳法の道場でも鏡開きの儀式を行い、これでいよいよ、新しい年が完全にスタートしました。
 
3歳から始めた少林寺拳法。
当然、なぜ修行するのかなんて意味なんかわかりません(笑)。ただ、気がついたら道場にいました。
 
少林寺拳法は身を守るための技もたくさん身につけて負けない強さを養うものですが、それ以上に、自分とはなんだろう?って事を考えさせてくれる武道です。
しかし、その意味を考えるようになるまで、ずいぶんと時間がかかりました。大学生の頃、ようやく、考え始めたぐらいですもん(笑)
でも、それでいいと思っています。無理に、頭でっかちになっても逆にその教えに苦しめられてしまいますからね。
私にとって必要だったのは「経験」だったのかな、と思っています。
 
 
 
少林寺拳法では、鏡開きなどでは「儀式」を行います。
厳かな雰囲気の中、今年一年、どう歩んでいくのかを道院長、そして門人の代表が決意をあらわします。
その後、おいしいぜんざいを頂くのが流れですが、その儀式が子供にとってはもう、退屈で(笑)
 
近隣の先生、またはお世話になっている方々などを来賓としてお迎えしていますから、当然、祝辞を頂きます。
もちろん、今でこそ、わざわざお越しいただいた、というのがわかりますが、当時、小学生、中学生の頃は、話が長いし、寒いし、正座で足はしびれるなど、早く終われ終われと念じてました(笑)
 
 
 
当時、無駄のように思えた儀式も、大人になって自分の中を反省して見ると、あれは「経験」なんだとわかります。
なぜ、あの儀式が必要だったのだろう・・・と、考えるきっかけになりますから。
 
考えるというのは、なにもないところからは生まれないものです。
自分の中の経験だけが手がかりになるんです。
当時、めんどくさい、と思っていた儀式。それが今、自分が話をする側になって見ると、こんなにもみんなに伝えたい事があるのか、と驚きます。
話を短く、早くおいしいぜんざいを食べさせてあげたいと思う反面、伝えたい事も山ほどあって、そこで板ばさみになっています(笑)
きっと、子供の頃の来賓の先生たちもそんな気持ちだったんだろうなぁ・・・って。
 
少林寺拳法の道場を引き継いで10年。
これまでも、それに気づくチャンスもあったはず。
ただ、こうして言葉にする機会がなかったのか、ふと、思った事がものすごく新鮮な気持ちにさせてくれました。 
小学生の頃思っていたイヤだった事が、今、年月を経て、大切な事だったとガラリと変わってしまったのです。まぁ、気づくのに30年ほど、かかってしまいましたが(笑)
 
 
 
よく、私は過去は変わる、という事をいいます。
そして、未来はかわらないって。
 
自分自身、気がつかないところで自分の過去を嫌っていたんだなぁ、と確かめました。
子供の頃、聞きたくも無い面倒な話を聞いた、なんて事は別に、今の自分の生活の中でトラウマにもなっていない事です。
話が長いし、寒かった、というのはそのままでも自分がこの先幸せに生きていくうえでそんなに関係がなさそうな気がします。
 
でも、そういう小さな事が積み重なって、つい、自分中心でものごとに当たってしまっていたかもしれません。
ものごとに当たるというのは、そこに必ず、観念が生まれます。
自分に起こる全ての事が幸せで必要と思えることなら幸せですよね。
でも、実際に、いろんなことに心揺らされ、これで良いのか、つい、迷ってしまいます。
そんな時、見方を変えていくんです。
今の自分では分からない事も、立場を変えてみたらわかる事があるんです。
それを改めて感じたのが、今年の鏡開きだった、というわけです。
 
 
 
でも、これは武術の中では常にやっていること、知っていたことです。
武術は常に、一番の危機を身体を通して経験させてくれるわけです。
頭ではもう、なにもできない、という状況の中でどう生き延びるか、と求めた時に、助けになるのは、自分自身の身体なんだ、という事を教えてくれています。
 
そして、ここからが今、一番気になっているところですが、その自分の身体は同時に、相手の身体でもある、という事なんです。自分が気持ちよく動く事はもちろんですが、その場を乗り切るためには相手が気持ちよく動く、というのも重要な方法の一つなんですね。
 
相手の気持ちよさを考えた時、自分と相手の間にあった壁がすぅ~っと、消えかかっている感覚が生まれつつあります。もちろん、まだ武術の場面でだけですけど・・・。
 
 
 
すこし、書いておきますね。
ずっと、丹田や骨格、筋肉を意識して自分の身体を作ってきました。
より速く、より強くなろう、と考えた時に、どうしても骨や筋肉、丹田が有効に見えちゃったんです。
でも、この時、相手との間にはとてつもない壁があるんです。
それが「皮膚」です。
 
いくら、こちらが筋肉、骨、丹田を生かして向かっていっても、相手の皮膚のセンサーに止められてしまうわけです。
この皮膚のセンサーってのがものすごいんです。特になにも稽古、修行していなくてもです。
 
皮膚の事を意識しないままであれば、きっと、いつまでも相手との一体感を共有する事って出来なかったんじゃないかなぁ、と思います。
今、皮膚の事が分かってきて、わずか2週間の間にこれまでの考えをガラリと変えさせてくれる事ばかりです。ちょうど、年も変わりましたが、それ以上に、自分が見ている景色がドンドン変わっていて、不思議です(笑)
 
 
皮膚って外の世界と接しているまさに、そのものです。
相手と触れているのは、この皮膚です。
その皮膚が気持ちよく動けば、相手にとっても気持ちが良いはず。
 
そんな事をまず、武術の世界で感じられると、これは自分の頭がどんなに否定しようと、自分の身体で感じてしまった事ですからね。もう、ゆるぎない、確信になります。
確信を「先に」与えてくれる事が武術の良いところでしょうし、勉強して知識はついたんだけど、行き詰っている人(今、多いと思うんですけど・・・)にとっても、明るい希望になるものだと思います。
これまで見てこなかった自分の体を再確認するだけですからね、楽しいですよ。勉強とは真逆で。
 
 
もちろん、ここからいかに生活の中で武術で得た確信を生かしていくか、なんですが、特に何かをしなくても、時間は過ぎ、日々、色々な事が私たちの周りには起こってきます。
その一つ一つの事を当たり前だと思わない事はもちろん、自分にとって嫌な事に思えるものも、見方を学ぶチャンスと思い、自分を掘り下げていこうと思っています。
 
 
 
全てに感謝する、そんな事、口ではいくらでもいえます。
しかし、それを口にした時、自分が一番、それが出来ているかどうか分かっているはず。
自分の中にわずかでも嘘があるとき、それは身体や心に出てきます。そのギャップも身体があるから気づく事ができるのかな。
そして、そのギャップが解消できた時の楽しさって、たまりません。
価値観が壊れる経験が毎月のように体験できるんですから・・・。
 
 
 
このブログも、さっと、今感じている事を一言、二言で伝えられればいいんですが、やっぱり、ダメですね。
自分にとってうれしい事、楽しいこと、それを伝えようとすると、もう、止まらなくなりますもん。
また、感じた事、考えた事を勝手に記させてもらいますので、よろしくお願いします。
いつも、支えてもらっているのを感じています。ありがとうございます。

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