7/25、26 甲野善紀先生の名古屋・浜松稽古会報告 前編

先週の土曜日曜、名古屋、浜松に甲野先生をお招きし、稽古会を開催しました。

世話人としてもう何回もお招きをしていますが、毎回、新しい気付きを与えてくれます。

 

ただ、私は先生の「言われること」がわからない人です(笑)。身体感覚から生まれている言葉を理解するのにはどうしても、時間がかかるみたいです。

最近、その頑固さの理由がわかりました。首から下の緊張が強くって、頭がウン、ウンと前後に振れないんです。気持ちの問題ですが、原因は体に見つかっていくから不思議です(笑)。

守・破・離の稽古 

甲野先生はそのわからず困っている出来の悪い自分を認めてくれた人でした。20年間、わからない、わからない、と言って先生の技を受けつづけさせてくれるってなかなかできません。ただ、その自分が困っている姿を参加される他の受講生の方に見せるのも申し訳ないので、いつしか、受付へと引きこもり、積極的に講座に参加することがなくなりました。

 

普通、そんないい加減なスタンスであれば上達はあり得ません。そこに答えを持っている人がいるのに、聞かないのはなんともったいないことでしょう(笑)。でも、私の場合はそれがどうやらすごく良かったみたいです。なぜなら、先生の稽古を受けるまでは基本的にずっと、「受け身」の受講生だったからです。

 

私が稽古してきた少林寺拳法にはたくさんの言葉があります。そして、学校では先生の話をしっかり聞くように、と学んできました。自然と、言われたことを淡々とやる、そんな学び方が身に付きました。手順を覚える学び方は限定されたルールの中ではある程度の成果を残すことができます。でも、ほんの少しでもルールの枠を超えると、学んだ知識が全く役に立たなくなります。むしろ、学んでしまった手順に縛られます。私は完全にその罠にはまっていたのです。

 

しかし、そういう事はもう、長い文化伝承の歴史の中では当たり前のことなのでしょう。「守・破・離」という教えがあります。学び、身につけていくには段階が有り、その段階の節目ではそれまでのものを手放さなくてはいけない瞬間がある、という事を教えてくれているのです。私もそれは「知っていました」。ただ、実際に壁をどんどん乗り越えていく様子を見たことがなかったので、なにがなんだかわからなかったのです。

 

甲野先生はこの「壁を乗り越える」姿を見せてくれる名人です。名人、達人、と評価されることを甲野先生は嫌いますが、壁を乗り越えていく力に関していえば、間違いなく、名人、達人です。これまで、何回先生の稽古を受けたかわかりませんが、一度たりとも、同じことを言われている姿を見たことがありません。先生が一生懸命解説してくれる術理はよくわかりませんが、何度も繰り返しお会いすることで自然と、今の自分がこだわっているコツを手放すという事は学べたみたいです(笑)。そして、実はそれこそ、自分の中に生まれるたくさんの問題を次々と解決していく力になっているんです。ありがたい事に、名古屋・浜松には年に何度か来ていただいております。わからないからと言ってがっかりせずに、ぜひ、また参加してください。

 

「ただ立つ」「ただ歩く」「ただ手を上げる」を求めてきた結果

さて、今回はたまたま参加者が少なめでしたので、私も先生と手を合わす時間をたくさん取ることができました。今自分が持てるすべてを使って止められる相手は先生以外にはありません。世話人という立場ですから、たくさんのいろいろなジャンルのプロの方と手を合わせることができます。みんな、そのジャンルでは一つ頭が抜けているんでしょう。しかし、どうやら、それは「才能」によって身につけているようで、専門のジャンルから離れて「ただ立つ」「ただ歩く」「ただ手を上げる」という人間としてのシンプルな動きを通してみると「普通」になってしまうようです。

 

私は逆にルールに決められたものはほとんどできません。でも、だからこそ、「ただ立つ」「ただ歩く」「ただ手を上げる」という単純なものに興味が持てたのかなぁ、と。ただ立ち、ただ抑える、それを全力で行ってみると本当に困らなくなりました。体が倍近い人と相手をしてもです。困らなくなると、意志の力でもっともっとを作らないとなかなか変化は生まれません。意志の弱い私にとって、甲野先生はできない自分を見せてくれる本当にありがたい存在になっています。

 

背骨の厚みを使って先生に挑む

今回、私が一番の武器として先生に向き合ったのは背骨の厚みです。呼吸を通して前後の方向に力が動くことに気付き、井桁術理が立体化しました。平面的に相手を抑えていた時とは比べ物にならないほど余裕が生まれました。その立体を維持していくのにカギになるのが「呼吸」でしたが、呼吸は自分よりも強い相手と出会った時には使いにくいものです。相手の呼吸に飲まれて、自分のリズムが作りにくくなるからです。

 

その弱点を補ってくれたのが、背骨という間違いなく存在しているものです。もうすでに、背骨は前後に厚みをもった立体的なものだ、と気づいてから、呼吸に頼らなくても、身体に前後の方向を出し続けて、立体的な動きを続けていくことができるようになりました。これまで、何度も動き方を変えてきましたが、平面から立体へと次元が変わったのですから、甲野先生に対しても使ったならばどうなるんだろう・・・とワクワクしていました。

 

しかも、今回、名古屋稽古会の前に行われたNHKカルチャーセンターでの講座の折に耳にした新しい手の内の動きもヒントになり、体幹の強さに加えて、親指付け根にも新しい使い方を得ていました。この体を使って、先生の動きを止めるんです。みんなが3時間の稽古、おいしいご飯を食べて談笑し、気が抜けたころ、先生と手を合わせられそうなチャンスがありました。ドキドキしながら手を抑えさせてもらうと、まずは自分の思う通りに押さえられそうな感じです。もちろん、先生の動きには気配がありませんから、打たれる事もしばしば。実際、先月の手合わせではその見えない突きに身体の軸、中心が過剰に反応してしまい、触れる前から崩れてしまいました。その崩され方がヒントになり、背骨の存在に気付くことができたんです。今回、見えない突きを前にしても正中線を崩さず、ずっと、見ていられることがなにより、うれしかったのです。見れてはいるものの受けられないのは受けの技量が足らないからだと思ったからです。逆に言えばどんなに技量を高めたとしても、びくびくしてしまう弱い気持ちのままではたとえ、その場を生き延びたとしてもその後の人生には怖れいっぱいになってしまいます。

 

背骨の実感が有効なのを確かめながら、先生の動きについていきました。そのやり取りが何分続いたのかわかりませんが、こちらは汗だくです。それに対して先生は平然とこちらの動きを感じながら、今のご自身の動きから新しいなにかを探られているようでした。言葉としてなにを教わるわけではありませんが、この接触を通しての経験がなによりの宝物です。

 

自分の技が効かなくなる瞬間を喜べる稽古

そして、変化は突然やってきました。

具体的には先生が抑えられている手とは反対側から出されている蜘蛛の糸のようなもの(この辺りも???)を、相手にではなく、自分にかけて動きを止めてみたそうです。きっと、こちらが背骨を強く意識することで外からの力に対して「鈍く」なれていたからだと思います。問題を相手ではなく、自分にあるんだ、と思われたからの行動なのだと思いますが、実際にそれを動きを通してすぐに変えられるんですからすごいです。

 

蜘蛛の糸を自分の首から背中辺りにかけてみた、と言われた瞬間、目の前にいるはずの先生の体が消えたんです。もちろん、そこに「ある」身体は消えません。でも、認識していたはずの身体が消え、見失ってしまいました。意識の中で見失ってしまうと、自分の身体も消えていくようです。そのあと、強かったはずの自分の背骨はすっかりと消えてしまい、あれだけ、対応できていたものがあっさり、崩されてしまいました。

 

きっと、この様子を横で見ていた人は私の集中力が切れてそれを突かれたに違いない、そう思ったはずです。しかし、実際は違います。「目の前から人が消えて、その瞬間、崩されてしまっていた」です。言葉に自信のないままこの状況を言葉にするのは非常に心苦しいですが、ありのままに書いています。むしろ、このまま数日置いてしまうと、頭の中でなにか違う理由をつけてしまいそうです(笑)。

 

自分が一番大切にしているものを手放す、というのは難しいことです。それが有効であればあるほど。手放しなさい、と口にしながら縛られている人は多いです。しかし、それが有効ではない、とわかれば案外素直に「次」に向かうことができるものです。そして、その「いらない」と心に決めるまでの時間がどんどん短くなっている気がしています。これこそ、稽古の成果かもしれません。

 

役に立たないとわかった後のその後の展開

申し訳ありません。感じたことをそのまま書いていたら、ぜんぜん、話がまとめられなくなりました。実は、この後、翌日の浜松の稽古にて、背骨を消すための具体的な動かし方にヒントが生まれて、またその翌日、背骨を消したことで働いてくれる両腕、そして、さらに親指の力みを消したことから生まれた指使いに発展しました。それによって、これまで得意としていなかった「気配」のない動きにも自信が持てるようになってきたんです。なるほど、これなら気配もないし、動きも早い、迷う必要もなくなるぞ、と。

 

いったん、ここでまとめて、また、改めて続きは書きます。よろしくお願いします。


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