火曜と金曜はいつも、こんな時間に帰ってくる。
6時から9時までは少林寺拳法の練習、そして9時からは古武術「大人の武道塾」だ。
その大人の武道塾はいつの間にか終わる時間が1時ごろになってしまった。それも、こちらでそろそろ終わりますよ、という雰囲気を出してやっとだ(笑)。皆、仕事があるにもかかわらず、「楽しい」ものに向き合っていると疲れないらしい。
今日もこのまま寝ようかと思ったけど、記録的にでも書いておきたい、と思ったのでパソコンに向かうことにした。
とにかく、義務感ゼロ、興味100パーセントの仲間たちに囲まれていると、毎回、新しい発見が出てくる。以前ほどブログや小冊子を書かなくなったのは、その発見のスピードに書くスピードが追いつかなくなってしまったからだ。
それでも、今日はちょっと、ターニングポイントになるかも、という発見があったので、言葉に残しておこうと思って、がんばって書いているのだ(笑)。
その発見とは甲野先生が重要視されている「屏風座り」に手がかりが見つかったということ。
私の講座や稽古に出られている方はお分かりだろうが、私は師匠である甲野先生の技をほとんど練習しない(笑)。なぜかというと、できないから。そして、できそうにないからだ。
ただ、勝手に工夫をしていくと、時々、あっ!と気づくことがある。今日の稽古のまさに、帰りがけ、それがあった。
それまで、屏風座りはまったくできずにいました。そして、今もそう(笑)。
それでも、この発見がこの先、屏風すわりに近づく大きな発見になる確信がある。
そのポイントは「立たない」という事。
自分の中の無意識が「一人で立たなくてはいけない」というものを大事にしている、事に気づいたのだ。
自分の目の周りにはたくさんの人がいて、モノがある。頭の中には明るい未来もあれば、ありがたかった過去もある。そういうものに頼る事無く、自分の力で立たなくてはいけない、という力みが自分の中にあったのだ、と気づくことができた。
私の稽古はいつも「柾目返し」だ。片手を片手、もしくは両手で十分に押さえてもらう。その「自由」を奪われた中でどう「自由」を感じて動くか、ということが稽古できるすごい技だ(笑)。
「立たない」という事を意識してその柾目返しをやってみると、これまで感じたことのない滑らかな動きが生まれてきた。
武術はすぐに答えが出る。頭の中ではまだまだ未整理でよくわからないものも、身体を通してこれは「なにかある」という結果が出てくれるのだ。結果が出ているのだから、後はそれを完全に信頼し、その意味を求めることができる。
この稽古の仕方でどれだけの人生の秘密に納得が行ったかわからない(笑)。まさに、大人の武道の楽しみ方だと思う。
ちなみに、この立たない立ち方で動くと、それまで練習したことのなかった背中合わせの相手抜きも楽にできるようになった。練習せずにできるようになる、という事が「身体にはある」のだ。
また、この気づきからの展開はなるべくこまめにご報告します。
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