針の穴に糸を通す話

 最近の稽古に出られた方は
 「針の穴に糸を通す」喩えを聞いたと思います。
 よく「目が見えにくくなって・・・」、
 糸が通りにくくなるという事を聞きます。
 
 本当か?
 ちょっと考えてみてください。
 目がすごく良い、今、
 簡単に針に糸を通す事ができるのでしょうか?
 
 私は眼鏡ですが、裸眼で大丈夫な若者に
 針と糸を渡して楽々、
 自然に通していけるのでしょうか?
 
 針に糸が通らない理由は「目」だけではなく、
 「手」が使えない、細かい動きができない、
 という事も考えられないですか?
 というお話でした。
 
 先週、奥さんの実家に行って来ました。
 古い家で、使ってこそいませんがかまどがあり、
 お風呂はいまだに薪も併用との事。
 
 薪を割りながら考えていました。
 こんな生活が「日常」であったら・・・
 手の働きが今の私とは比べ物にならないはず、だと。
 
 子どもの頃、私の家もお風呂は薪で沸かしていました。
 お婆さんが「自然」に火に向かい、
 薪をくべるのです。
 どう、薪を組むのか、どこに火を入れるのか、
 火を落とさないように、薪を追加していく。
 
 それを行う為の手の精度って、どれぐらいなんだろう?
 今はスイッチ一つで火もつくし、お湯も出ます。
 温度まで管理をしてくれるし、危なくも無い。
 手の精度は必要がなくなりました。
 
 ちょっと長くなりましたが、
 最近の稽古のテーマは「センチからミリへ」です。
 大雑把にしか動けなかったのが、
 細かく動けるようになるんだ、という事を
 「認める」事が大切だと思っています。
 
 人を目の前にした時に、見えてくる「隙」、
 これまでは大きな穴しか見えませんでした。
 でもどうやら「穴だらけ」のようなのです。
 それも一番入れやすい隙は、
 一番自信のあるところの「1ミリ横」です。
 
 針の穴に糸を通すような精度があれば、
 まず間違いなく相手は崩れていきます。
 
 私のカラダにはその「精度」はありません。
 生まれた時から「便利」な道具ばかりでしたから・・・
 でも「不便」な頃を知っている人たちには
 もうカラダに染み付いているはずです。
 
 後は思い出すだけ!
 ぜひその感覚を教えてください。

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