集中力をつけろ!その2

いきなり日記が長くなり、読みにくくなったりしたかもしれません(笑)。それはちょっと心境の変化があったから。

もともと書く事に関してコンプレックスがあったわけですが、自分が感じたことを伝えればいい、と思ってからは書く事に関して抵抗が少なくなりました。ただ、上手に、伝わるように書こう、書きたい、という気持ちがありました。無いものねだりの欲みたいなものです。

もともと私の講座でも、上手に伝えよう、というのはありません。押し付けることはほとんどありません。だからこそ、教えてくれ~と助けが欲しい方にはちょっと不満が残るかもしれません。ただ、もっと自分の事を知りたい、楽しい可能性を感じたい、という人にはこのスタイルが好評のようです。

普段稽古の中で試行錯誤しながらより楽しいことを探しているように、日記の中でもそれをすればいいや、と思ったんですね。普段稽古に来ることが出来ない人に稽古の雰囲気が伝わればなおいい、と思いました。

少ない文字数で美しく伝えることは諦めました(笑)。

その分、思っていること、感じていること、思いついたことをこれでもかぁ~と残していければと思います。自分にとって都合のいいところを取っていっていただければうれしいです。
 
 
 
それでは集中力について続きを始めます。

集中力をテーマに発想を広げていますが、こうして色々と考えた事を言葉にしてみると、なんとなくすっきりします。自分の中のこだわりを話すことで手放しているようです。ブログを通して付き合ってくれている皆さんにとってこの話がメリットになっているかはわかりませんが、気に入ったところが一つでもあればうれしく思います。

さて、今日は集中力についての2回目の話です。前回は集中力という言葉をしってはいても、「どんな」力を集めてこれるんでしょうね、という問いかけでした。そこで筋肉の力や骨による構造の力、そしてココロの力までも自分の力と認識すればこれまでよりも大きな力を発揮できるんじゃないか、という事でしたね。

ではもう使える力って残っていないんでしょうか?

いやいや、そんな事はありません。

自分の中に力をたくさんの力を認識してもらいました。その力は自分特有のものでしょうか?自分だけが神様から得たスペシャルな力でしょうか?違いますよね。みんな同じ人間です。自分に備わっている力は相手の中にも存在しています。

簡単に・・・とは言いませんが、自分の中に見つかった力はまだ自分のものですから集めて一つの大きな力の塊に出来そうな気がします。でも相手が自分を攻撃してくる力も自分の力にする、というのはどうでしょう?
 
 
 
頭の中では無理だ~の合唱が始まっているかもしれません。ここで諦めてしまえば普通の人です(笑)。ちょっと考えて、試して、工夫するぐらいは「アリ」じゃないですか?

まず、自分のカラダででも感じたように具体的なカラダの力から確認してみます。例えば腕を抑えてもらった時に感じる圧力があります。この時の圧力の元の一つが筋力ですね。目の前にいる人は「敵」だからこそ、抑えてくるわけですが、「敵」だと認識してしまっている以上、相手の力は自分に向けてくる攻撃であり、なかなかそれを自分の力としては考えにくいですよね。

しかし、この認識を乗り越えてこそ、稽古の意味が出てくるともいえます。なぜ、今、稽古が必要なのか、なぜ、武術が必要なのだろうか・・・、決してもしもの時のためだけではありません。むしろ、稽古を通して自分自身を見つめ、当たり前の生活をより豊かに過ごすためにあると考えています。

ついつい、話がややこしくなってきますが、型稽古になってくればそれはシンプルな結果があり、自分の迷いもはっきりとしてきますから、いいんです。相手の抑えてくる力をちゃんと受け止め、自分の力として、集められている、そういう思いをもてるかどうかです。つい自分に意地をはり、評価が甘くなることもありますが、それは勘弁してあげましょう(笑)。いつまでもウソはつきとおせませんからね。
 
 
 
・・・話を動きに戻します。相手の抑えてくる力があります。その力をまずは自分のカラダにまで流し込んでいくようにします。お腹や背中あたりを意識すると「受け止めている」という感覚を得られやすいかもしれません。とにかく「拒絶」するのではなく「受け止めて」見てください。その力が相手の力の一部であっても構いません。自分以外の力があり、それも自分の力に混ぜて使うことが出来るかもしれない、その可能性に気づくことの方が大切です。

相手の力は筋力だけではありません。構造の力もそうですが、「体重」という力もそこに存在しています。試しに相手に寄りかかってもらってください。腕にずっしりと相手の「重さ」が乗ってきているはずです。ただ、腕にかかる圧力は腕力の時と力の大小、方向のずれはあっても質は同じなはずです。元となる力の出所は変わっても、自分のカラダに現れてくる力は同じなんです。これ大切な事です!

カラダにとっては同じ圧力ですから、相手の体重そのものも自分の力として認めることができそうですよね!ねっ、次に進みますよ(笑)。
 
 
 
問題はここから、あまり意識されずに、つい見逃している大きな力の話です。

人が二人集まれば、そこに「関係」が生まれます。良くなったり、悪くなったり、ややこしい人間関係というものです(笑)。この時、心地のいい関係ならばいいんです。そのままその心地よい空間と時間を楽しみながら動けばいいのですから。

問題は嫌な関係が表れてしまったときです。その関係から逃れたくて、もがいて苦しんでしまうんです。目の前に「苦手」というカベが現れるんですね。

例えば仕事で失敗をして叱られた時、その気まずさを「嫌」という認識で受け止めると、どうしてもカラダが強張ってしまいます。この状態、とてもプラスになっているとは思えません・・・。問題はこのマイナスの力をプラスに変換できるかどうかです。自分のココロに起こった事と同じ事ですよね。自分の中で苦労して試したことがそのまま応用できますので、じっくり味わって見ましょう。

このココロの力の感じわかりますか?そんな力はないよ~なんて言わせません。マイナスのカベもわかりやすいマイナスの力ですが、プラスの力もあるんです。例えば応援される力があります。ガンバレ♪ガンバレ♪と言われれば気分がいいものです。
 
 
 
昨日、道場で実験してみました(笑)。一人の男の子に、「〇○君、ガンバレ♪」と大合唱させてみました。言われていた男の子は照れていましたが、楽しそうなんですね。アタマでは否定するかもしれませんが、外から見ればすぐにわかるんです、元気が出てるんですね。応援されたら力になるんですよ。

野球やサッカーだとよくわかりますよね。やっぱりホームグラウンドは強いですよ。周りが全部相手チームのファン、っていう状態であればやりにくそうですよね。そんな状態で燃える選手ってそんなにいないんじゃないかなぁって思います。コンサートなんかも応援ですよね。お客さんが少なければやっぱりやりにくいかもしれません。

自分が歌手の立場であればファンはありがたいですよね。でも、ただ仕事でプレゼンをしなきゃいけない、となった時にはちょっとプレッシャーです。同じ「見られる」という状態でも、自分がその見られる状態をどうとらえるかで全然違ってしまうわけです。

とはいっても、ココロの変化はわかっても、その変化がカラダに「力」となっていなければなかなかメンドクサイ変換作業へのチャレンジまで行動に移せないかもしれません。ドキドキした時、嫌な気持ちになった時、生活の中でココロの変化はめまぐるしいはず。その細かな変化をじっくりと観察するところから始めましょう。
 
 
 
今ヨットの話を思い出しました。甲野先生はよくヨットの例えを出して説明をしてくれます。ヨットは向かい風をも推進力に変えて進むことができると・・・。

そう聞いて、ヨットの仕組みを調べてみると確かにそう書いてあります。風が吹いてくる方向へもジグザグに舵を切りながら進むことが出来るらしいです。もちろんその仕組みは
物理的に説明されています。

昔、理系だったにもかかわらず、じっとその説明を見ても実感が湧きません(笑)。だからこそ相手の力、つまり向かい風ですね、だからこそ、相手よりも、つい、自分の力ばかりを見てしまっていたのかなぁ、と思います。

ヨットに乗ったことがある人なら、その力を「カラダ」で実感しているじゃないですか。アタマだけではなく、カラダ全体で、というのがやはり大切なようでう。

ココロが感じる力というのもそう。これまでは繊細すぎて、カラダで受け止めるところまで行っていなかったんです。ようやくココロの変化をカラダで感じられるようになってきたからこそ、応援のココロは追い風として、プレッシャーは向かい風として利用できるようになってきたんだと思います。

今日も、だらだら、誰のための日記か分かりません(笑)。
まだまだ思いつくことがたくさんあります。またもう少し、集中力の話が続くと思います。

では、今日もありがとうございました。

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