関節は動かすためにあるのではなく、止めるためにある

覚書です。最近の日記のテーマとは直接の関係はありません。

昨日の稽古で、100年ほど生まれてくることが早かった友人がこんな事を言いました。

関節は動かすためにあるのではなく、止めるためにあるのではないか・・・
 
 
 
これまでカラダをより多関節化して、いつかないように工夫してきました。
相手とチカラが衝突したときには関節に負担がのしかかってきます。
この負担をどうすれば流すことが出来るのか、それを求めてきたんです。

え~これはつまり、止まってしまった関節を「ダメなやつ」と認めてしまったわけですね。
 
 
 
そんな考えをしていた僕に、先の「関節は動かすためにあるのではなく、止めるためにあるのではないか・・・」という言葉です。
 
 
 
どういうことだろう・・・
カラダを動かしながら、確かめて見ました。
 
 
 
チカラがたまってしまい、動かなくなった関節を「意識して」もっと動かなくさせてみたんです。
すると、その奥にもう一つの指揮系統があるような気がしました。
 
皆さんご存知の意識と無意識の話しです。
 
 
 
自分の意識がそこにとどめて置けることによって、自分の無意識の方向がよりはっきりと見えてくる感じです。
 
 
 
アイデアが生まれ、技へと変わっていく様子が伝えられればと思います。
今日試してきますね!

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