- 意識を抑える手ではなく、抑えられている体に持っていく。いや、抑えて居る手はちからづよくなんだけど。抑えながら無意識にバランスをとってくれている体に気づくと体に一まとまり感が生まれているみたい。
- こんな稽古を考えた。左手で右腕上部を抑えながら暴れてみる。普通に抑えたままでは変わらない、むしろ、不自由さが増す。次に、意識だけ変えてみる。抑え方は一緒にして。
- そこで、もう一度、暴れるという事を考えよう。自由に暴れても、そこに意識があるとどうしても、手を、足を、体を動かそうと思ってしまう。自分の意識を残しながら自由に動く事は可能なのか?
- 実は僕らの何げないとき、無意識の時はどうも「自由」らしい。ただ、それを気にした瞬間、その自由さから外れちゃう。
- この時、自分が考えている「自由」しかなければ、それは「自由」に思えるかもしれない。でも、それとは違う「自由」に少しでも気付けばもう、もどれないんだけどなぁ。
- 例えば、自由に体を動かしたい、と思って暴れてみる。ちゃんと「全部」自由に動いているだろうか?
- 自分の中にある矛盾を能力として感じられると、ちょっと強くなれる気がする。
- 所有権の奪い合いと行っても、強引ではもちろんダメ。自分の中にある、バランス維持機能に任せられないかを検討中。
- 手の押し合い、モノの上げ下げを所有権の奪い合い、と考えてみる。抽象的なだけに、応用がひろがる。
- 今までみてきたものは意識的なものばかり。意識に上がるからこそ、気づく事ができるから。でも、忘れている時、何げないときには、悩みなんかもわすれているはず。無意識に目を向けるチャンネルを見つけるとおもしろい。
- 自分は完璧のバランスで存在しているという事がすこし見えた。自分を信じるきっかけになると思う。
- 自分の中に二人おいてぶつけてみると、意識をしている方と無意識に分かれている事に気づけるかな?無意識の側は完璧のバランスでそこにいるのがわかると思う。
- 他人から指摘をされると、なかなか、ピッタリ、その言葉を受け入れる事が難しい。武術的にもそう。でも、自分との対話ではどうだろう?左手で右手を押してみる。この時、どちらかが負ける事ってあるのかな?
- この数日で考えた事をそのまま、書いておこう。体から自分が分かれる感覚に気づいたのは大きかった。どうすれば簡単に分ける事ができるのか。その答えは自分との対話である。
- うどんの旅から今、帰宅。この金土日をふりかえると恐ろしいスケジュールだった事がわかる。でも、その瞬間はずっと、楽しかったんだよな~。ともに過ごしてくれたひとたちに感謝です。ありがとう。
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