朝目覚めてふと考えた。
原発は危ない、人が扱えるものではない。もっとクリーンで安全なエネルギーがあるがはずだ。
いや、まてよ・・・「人が扱えるもの」ってあるのか?
火というものはどうだろう?
慣れてきたとはいえ、火の取り扱いは難しい。しかし、なくては始まらない。だから使う。
刃物はどうだろう?
安全なナイフなどありえない。よく切れるからこそ便利なのだ。ことわざにもあるぐらいだから。
ネットはどうだろう?
ネットにはまり、生活を台無しにしてみたり、携帯電話に縛られている、と思いながら生活をしている人も少なくないのではないだろうか?
医療はどうだ?
様々な薬、治療でたくさんの命が助かっている。しかし、薬に依存し、私達の身体は弱くなっているかもしれない。
まぁ、人が作り出したもので、思いつくもの、すべて、使いこなしているとはいえない・・・気がした。
つまり、全て不完全なのだ。完全なものなんてない。
にも関らず、完全なものを人は求めて、自分が持っている事を良いものとして、自分以外のものを敵視し、攻撃をする。でも、それでは答えに行き着かない。
全ては使いこなせない。この前提ではじめると、違った目的が見えてくる。
それまで、自分のモノしか見えなかったこだわり、我を手放す事ができる。
良いとされているもの、悪いとされているもの、それらを均等に眺めた上で行動できるようになる。
と、考えてみる。