リアルタイム報告

【リアルタイム】肘を消す

ガンキャノン形の練習から考える。
なぜ、前腕を押されると力がぶつかるのに、上腕を押さえられると楽に動く事ができるのか?
その境界線はあるんだろうか?試してみた。
 
まぁ、予想通り、「肘」を境に動きが変わる。
以前、関節は曲がらないためにある、と気づいたことがあるけど、それとなにか関係があるんだろうか?
 
ポイントになりそうな「肘」を消すために、腕をぐるりと廻してみた。
廻し方は2種類。腕を伸ばすようにと、腕を折りたたむように。どっちも限界まで廻すから、非常に感覚的にはキツイ。
それでも、その事で肘が消えるからか、前腕をもたれても上腕をもたれたときのように、「軽い」。
 
ちょっとまてよ?
肘を廻すことで関節を消したけれども、これを指先の操作でもできるのかな?など、アイデアは浮かぶ。
指を緊張させて、ガチャガチャ試してみたが予想通りには行かない。
 
うまく行かない事も、なにかが見つかるかもしれない、という楽しさがあるからやめられない。

【リアルタイム】股関節と胸鎖関節の順番

この【身体感覚の足跡】というシリーズを書き出したんだけど、思い出しながら、書いていると、自分の身体がどう変化してきたのか改めて楽しむ事ができている。
その中で、驚くべき事があった。忘れているもんだなぁ・・・って。
 
また、書くつもりでいますが、股関節と胸鎖関節の話です。
ずっと、胸鎖関節を先に気づき、そこから股関節に展開したと思っていたのですが、逆だったんです。
まぁ、どちらでもいいじゃない、と言われそうですが(笑)
 
やっぱり、僕の頭は信用なりません(笑)
でも、身体は忘れませんからね。身体をすごい、と思えたりして、こういう事も必要なのかな、と思いました。

【リアルタイム】寝ている姿勢で3点バランス

3点でバランスは取れるという当たり前の事だけど、それを「技」として試してみると、夢のような事が出来るようになってくる。
 
カメラの三脚は安定している。その原理そのままだ。
こんな状況を試してみた。
寝転んだ状態で手を引かれ、持ち上げてもらうのだ。
以前であれば、脱力をして、力が腕にいつかないように操作していた。
酔っ払いや寝入ってしまった子供はちょっと重いよな、っていう程度の効果しか出せなかった。
 
そして、今回、3点で身体のバランスをとってみたのだ。
首の辺り、腰の辺り、そして、片足のつま先、特に、つま先をバランサーとしてつかってみると、重くなる、という事が分かった。
 
ずっと以前、ある先生から寝転んだままの姿勢で手をとった時に、崩され、そのまま投げられた事がある。その技の再現に使えそうな予感。
 
ちなみに、この姿勢で寝てみると、安眠できた(笑)
こちらは実用的だ。

【リアルタイム】ガンキャノン

ガンキャノンを知っているだろうか?
まぁ、その形を真似をしてみると、腕の中が通る事に驚いた。
なんとこの形のネタ元は夢の中でその「稽古」をしたらしい(笑)。
夢のお告げじゃないか!!
 
 
いつも、こうなので、まぁ、だいぶ慣れたが、その割りに動きの質が妙に良いのだ。こちらは笑い事じゃない。
肘を曲げ、肩に手を乗せた形で柾目返しをしてみると、腕の中がすぅ~っと通っていく。
そういえば、甲野先生は肘から先は考えるな、なんて事を言われていた。
この形、この感覚となにか繋がりがあるかもしれない。
 
 
反射神経、バランス仕事、浮き、磁力・・・確かめたい動きが溜まりすぎ(笑)。

【リアルタイム】状況は無限、状態は一つ

状況と状態について、思うところがあった。
もちろん、稽古、そして動きを通してだ。
武術には「型」があるとはいえ、その型を行う状況が同じ、という事はない。
特に、カラダラボで稽古をしている「型らしきもの」は、その手を上げるだの、歩いてくるのを止めるだの、最低限の設定しかない。つまり、毎回、違う状況を当たり前として稽古している。
 
この稽古法がいいのか、日常生活の中にとっても生かしやすい。
なぜなら、日常生活というのは常に、変化だからだ。
例えば、目の前に怒っている人がいる。その人は怒りっぽい人で、いつも、怒っているかもしれない。でも、「その瞬間」なぜ、怒っているのかはわからない。
時間は流れ続けていて、同じ時間はやってこない事も、違う状況がやってくる理由の一つだろう。
 

 

つまり、状況は常に、新しく、違うのだ。
 

 

その違う状況にあわせて動こうとすれと、どれだけパターンを用意すればいいんだろう?おそらく、答えは無限。きりがない。それがやれるって人を僕は見た事ない。
 
しかし、状況は無限できりがなくても、状態は一つに出来るかもしれない、という手ごたえを得ている。
状態とは、自分の状態。身体の状態と考えても良いし、心の状態、つまり、感情の状態と考えても良い。心身一如だからね。
つまり、いつも「楽しい」という状態を身体を通して表現し続ける事ができれば、その直面した状況を前向きに受け入れる事が出来るのだ。
 

 

そんな事が本当にできるのか?
それを試すのが稽古であり、稽古を通して、それを信じるのだ。
身体が「浮く」という感覚がある。浮くというのは逆に考えると、踏ん張りたくても踏ん張れない状況をつくる。自然と、その身体からは力みが消えて、落ち着いてくる。ちょっと楽しいのだ。(もちろん、浮かされてしまえば、不安になりますが・・・)
 

 

どんな状況もそれを感じる身体は一つだ。
つまり、人生のどこかで楽しさや達成感、ワクワク感、恍惚感を経験したのならば、よく、それを思い出して欲しい、もちろん、頭だけではなく、身体全体で。それだけで、世界が全く違ってみえるかもしれない、という「知識」です。やるかやらないか、やりたいか、やりたくないか、それはあなたの選択です。