リアルタイム報告

【リアルタイム】足指を刺す

久しぶりのリアルタイム更新。
決して、進歩が止まっていたわけではありません。むしろ、その逆かな?

覚えているところでは、反射神経の活用法がみつかり、どう展開していくかと思いきや、上腕を働かす事に気づき、そこからもっと身体の奥へ・・・と心臓にまで意識を伸ばし始めました。

それが先日の甲野先生との稽古をきっかけに、ようやく「虎ひしぎ」について、気づくところがあり、それを自分なりに展開させていたところ、足指を固めて、それを「刺す」という動きが見つかりました。

コンパスをイメージしてくれればいいです。
それぐらい、シンプルな話です。
一つの足指を固めて、刺す事で、そこに「軸」が出来ます。
これまでの軸とは違うのは、その細さです。
細い軸を保っていられるのは、足指自体が強くなったから。
その強さの元になっているのが、虎ひしぎです。
自分的には関係は大有りなんですが、足と手との違い、指の指す方向の違い等あって、なかなか理解されません(笑)。

それでも、動きの方は段違い。これまでの動きが遠い昔の幼稚なものに見えてきています。
また、動画を撮って、以前の動きと比べられるようにしながら紹介できたらと思います。

ただ、時間が・・・。すいません。基本的に一人でやっているものですから。
積み重なっていくのは、稽古だけです。稽古をしてくれる仲間には恵まれていますからね。
お盆休みの間ぐらいに編集ができればなぁ・・・。
気になる人はぜひ、稽古へ!

【リアルタイム】根を張る方法

虎ひしぎで指に緊張を作った事で生まれる不自由と自由にようやく気づき、感動して1週間。やっぱり、その「次」を考え、動き出している自分がいました。まぁ、毎度の事です(笑)。
 
 
 
単純ですが、手の指にあるのならば足にもあって良いだろう・・・。そんなところからです。指の緊張で前腕の遊びがなくなり、安易に使えなくなりました。だからこそ、上腕の自由さが発揮できるわけです。これをそのまま足に持っていってみました。
 
とはいえ、足指はもう、全然動きません。動かしても、コントロールしている感じがありません。そこで、足親指を人差し指の上に乗せ、その緊張感を使うことにしました。これだと、そこに「ある」事がわかります。
 
この方法で歩いてみると、確かに不自由は得る事ができます。単純に歩く事が出来ませんから。だからこそ、より体幹に近い部分が働きます。・・・しかし、なんといっても、形が不自然です。気がつくと、親指を重ねた人差し指の皮がめくれています。皮一枚でも、敗れてしまうと、気になってしまって、イライラします(笑)。
 
 
 
そんな中、ついに、足指にも感覚が生まれてきたんです。
 
どんな感覚かといえば、指を回旋させる感覚です。親指と人差し指を対になっている「ギア」のように、内側にかませます。すると、その挟まれた部分に強い、圧力が生まれてきているのです。あぁ、昔の人はこうして、鼻緒を掴んでいたのかなぁ・・・そんな想像をしましました。
 
 
 
外へと力があふれ出てくるほどの圧力を使って、それを地面にめり込ませます。とうぜん、動く事ができません。しかし、単純に力を入れて立っているわけではないので、下半身、特に足裏はしっかりするものの、上体は軽く、どんな形であっても良いような気がします。
 
 
 
上虚下実とは良く聞く言葉ですが、ここまで、それがピッタリ来るとは思いませんでした。なぜなら、これまで、下を強くしてしまうと、どうしても「居ついて」しまい、バランスが崩れてしまっていたからです。しかし、あえて、「動かない」選択を自らの身体に課した事で、上半身に信じられない軽さが生まれてきました。
 
 
指先から、地面へとめり込ませたもの、なんとなくそこに「根」のようなイメージを持ちました。植物は自分が生まれた場所に文句を言いません。強い風、雨の時も、ただ、そこに居るだけです。文句を言わずに。この時、いじめられるのは外側にある茎や葉っぱ、そして花です。しかし、植物の本体は地面の中に伸びている根です。根をしっかり守っておけば、また、やがて、成長し、大きくなれます。
 
 
 
陰陽の教えがありますよね。人にも陰陽の法則はあります。では、自分の根に当たる部分はなんだろう?今、自分が「ココ」にいるぞ、と自覚できるもの、それってなんだろう?
 
また、カラダから宿題を頂いた感じです。そして、その答えが見つかるのも、やっぱり、カラダからです。自分の感覚に気づく事は、今、この時代にこそ、必要なんです。どうしたら、伝わるんだろう。

【リアルタイム】目を閉じてみたら見えるもの

この話はどこかで書いたような気もしていたのですが、ブログを読み返してみると、どうも書いていないみたいなので、改めて書いてみる事にします。目を閉じるという話です。
 
上腕と前腕との役割の違いを通して、便利さと自由さを実感しました。「腕」を二つの部分に分けて考えてみて、「便利だけど、困る」部分と、「不便なんだけど、自由」な部分に分けることが出来るんですよね。この二つはケンカするのではなく、共に自分ですから、「自由であり、便利」を求めていけば良いわけです。
 
 

ふと、腕は触覚だけど、目にもそういう、「便利」や「自由」があるのかな?と思ったんです。う~ん、と頭を捻って考えてみて、ヒラメキました。そうか、目を閉じてみればいいんだと。
 
目を開けているとき、そこに見えるのはそれぞれの「違い」です。その違いを探すのに、私達は苦労をします。いや、違いを見つけてしまって苦労をするのかもしれません。でも、閉じてみた時には違いを見つける事はできませんよね。
 
ここで問題です。
目を閉じた時に見えるものはなんでしょう?
 
 
 
答えは「真っ暗闇」・・・ではありません。目を閉じた中に「光の濃淡」が見えないでしょうか?見えない、と思っていた世界に濃淡がある、という事に気づいたんです。ぎゅ~っとまぶたを閉じても完全な闇は作る事ができません。光があれば闇もあるように、明るい「方向」が見えてきます。
 
もし、目が見えなかったら・・・。「見る」という事がどういう事か分からなければ、一体その人はなにを「見て」いるのでしょう?全くの闇なんでしょうか?今、自分の目は外の世界に違いを見つけることが出来ます。そして、目を閉じてみないようにする事もできます。目を閉じる、というのは能力なのかもしれません。
 
でも、目を閉じた後に、周りが見えない・・・といって違いを探してしまえばなんにもなりません。目を閉じた時には違う物差しで世界を見なくてはいけないのです。
 
 
 
この光の濃淡と、上腕の自由さがピッタリなんですよね。
どういう事かと言えば、目を閉じた時には見ないようにしても、光を感じる方向と、闇を感じる方向が「見えて」しまいます。もし、目を開けていれば、どこへ逃げるか、なにをしようかと「迷って」しまう事が、光と闇の世界では明るい方向、闇の方向、と二者選択なんです。明るい方へ行きたいと思えば行けるし、暗いものを見て落ち着きたいと思えば行けるのです。
 
 
 
見ないことが見えない、ことではなく、違う選択、しかも強い信頼を持った決断をさせてくれるとは思いもよりませんでした。
 
考えてみると、子供は友達を明るさ、暗さ、そういうもので選んでいるかもしれません。大人になると、学歴、仕事、家柄、年収・・・いろんな違いで選んだりします。どっちもいいんです。自分の心にちゃんと信頼があれば。
まぁ、たまには目を瞑ってみてください。 

ようやく虎ひしぎに納得(笑)

昨日の甲野先生の稽古会、突然の告知ということで、いつもの稽古の半分ぐらいでした。参加された皆さんもこれまで、お会いしたことある方が多く、世話人としても、気楽にさせていただきました。
 
というわけで、普段は受付に張り付いている私も、甲野先生の動きと解説をじっと、観察させて頂きました。珍しいんです(笑)
 
 
そのおかげか、この数ヶ月の間、ずっと気になっていた「虎ひしぎ」にようやく、納得がいく感覚が生まれてきました。今日、ついさっきの出来事です。
 
 
いつも、こんな感じです。先生に話を伺い、体験をしても、どうも、わからないんです。なんとなくは、わかるものの、その形を作っても目が覚めるような変化はあまりないんですよね。
 
 
いつしか、それをまぁ、いいや、と気にしない技を身につけました(笑)。のんびり、楽しく、過ごしていると、ある日、はっ、と気づくんです。これが、あの術理の効果なのかな?と。虎ひしぎもそんな感じです。これでも、早い方なんですよ(笑)
 
 
大きな効果は上腕の動きをより意識できる姿勢になれることです。虎ひしぎの形を作ると、前腕に緊張感がうまれ、簡単には動けなくなります。なにかしようとは、姑息な大人の考え方。それが、虎ひしぎを作ると、その形から強制的にできなくなります。結果的に、上腕の持つ、自然さ、子供のような自由さが表現できると考えました。
 
 
甲野先生が行っていた虎ひしぎの効果を表現する技も、難なくやれるようになり、まさしく、稽古とは退屈な反復練習ではなく、体を通しての感覚を事だな、と確認しました。
 
また、講座、稽古の中でご報告いたします。

【リアルタイム】首を締められたら

馬乗りになって、首を締められる。なんて、凶悪な状況なんでしょう!!
 
なぜか、今、その状況を乗り越える、という稽古をしています(笑)。今、出来る事がどこまでで出来ない事はなんなのかを探っていたら、こうなっちゃいました(笑)。
 
状況を確認しましょう。地べたに仰向けになって寝転びます。その上に馬乗りになって、しっかり、体重を乗せて、首を締めてもらいます。まぁ、そのままですね(笑)。さて、どうしましょうか?
 
やってみるとわかるんですが、首が怖いんです。やっぱり、息が出来ないですし。そうすると、つい、首に意識が集まってしまい、相手とケンカになってしまいます。ケンカをしてなんとか出来ても面白くありません。
 
では、どうするか・・・。心臓が転がるように、そこから動いてみます。すると、相手は首をしっかり押さえているからこそ、こちらの心臓の動きに気づく事ができません。ちゃんとここ(心臓)を見ててよ、というと、あっ、ホントだ、とそこから動くのを分かってくれます。でも、ついつい、首を締める方に一生懸命になってしまうのです。不思議ですね。
 
 
ですから、首を締める、というのは思ったよりも簡単なんだ、と分かりました。それでいて、印象は抜群です。コストパフォーマンスが高い、って感じです(笑)。しかし、これが袈裟固めのような柔術系の抑え方になってくると、だめなんですよね。首を締められても、朝起きるようにむくっと普通におきる事ができました。それは相手がこちらの胸に意識をしていないからです。でも、袈裟固め等は相手も胸でこちらを抑えてきます。自然と、こちらの胸の動きが伝わってしまうんです。おぉ、すごいぞ、柔術・・・と思いました。
 
 
つまり、頭で考えることと、実際に働きを生み出す動きは違うんですね。コンチクショーと相手を抑えようとした時、素人はやっぱり、この手を使います。憎らしくて、つい、手で首を絞めるかもしれません。でも、それでは普通に返されてしまいます(笑)。コンチクショーと袈裟固めをかけてくる相手って想像できません。武術は頭を柔らかくする効果が絶対あります。分かっていてもつい、やってしまう事のバカらしさを教えてくれるんですから。
 
そして、今私の目標はこの袈裟固めのように、胸を胸でつぶされて身動きが取れなくなっている中でどう、普通に起き上がれるかを考えています。さてどうなることやら。