稽古報告

裏の発見までの道のり その二

新しいものに気づくときにちっちゃな法則がある。

それは、硬い動きなら柔らかく、速い動きなら遅く、全体を見ていたのなら、今度は細かく。

とにかく、それまでの興味とは真逆なものに興味が移るのだ。

 

甲野先生から教わった稽古の仕方は独特。どこにも似たようなものはない。そもそも、私は勝手に師匠だと思って背中を追ってはいるが、甲野先生からみたら、弟子ではないはず。

こんな師弟関係、いや、その関係がないのが甲野先生が教えてくれた稽古法。

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裏の発見までの道のり その一

とにかく、本当に、動きの変化が激しい。

ツイッターでなんとか、細々と書き残しているが、しっかり、伝えようとすると長くなる。連続ツイートをしていると、なんだか、申し訳なくなり、最後はいつと、端折る(笑)

 

 

久しぶりにこちらでも、この数ヶ月の動きの変化を残しておこうと思う。もう、ほぼ、稽古の度に新しい感覚に気がつくのだから、月に一度や二度稽古をする方も聞いたことがない話もあるかもしれない。

一応、私の動きは全て、つながりがある。前の何かをヒントにして、新しい何かを生み出す。ずっとそうだ。

もしかしたら、このあたりを丁寧に、伝えたほうが役に立つかもしれない。動きは変わり続けるが、伝え方はなかなか、見つからない(笑)。

もしかしたらずっと、みつからないのかも。ただ、それは、人それぞれ、1番の伝え方が違うからなのかも。

とにかく私にやれるのは、私達のすべてか持っている「身体」に対して、興味を持ってもらうことだけ。

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左右の手の連動について

連動が必要な理由

背骨を「しょんぼり」させてみると、両手が自由になります。
この感覚に気が付く前の状態はどうやら、背骨、体幹の力に頼っていたみたいです。もちろん、頼ってみたら応えてくれるほどの強い背骨ですから任せて動けばいいのですが、自分の体幹よりも強い力を持っている相手に対しては無力です。
具体的には「刃物」。

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7/25、26 甲野善紀先生の名古屋・浜松稽古会報告 後編

連動・シンクロで気配が消える

まさか、こんなにも長くなるとは思いませんでした(笑)。

しかし、こうしてお付き合いしてくださる人のために、少しでも感じたままを記録しておこうと思います。なんだか自分の感じたことを記録しているうちに、この気持ちの変化こそ、楽しいことだ、と再確認しています。正しさよりも、研究の進展を求めてきましたが、それは一人一人が新しい自分を見つける事だったと思います。

 

さて、前編では「背骨が消える」体験をした事をお伝えしました。中編では「しょんぼり」の姿勢をヒント実際に自分の身体で「背骨を消す」ところまで書きました。今日は「背骨を消した事で出てきた副産物」の話をします。

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7/25、26 甲野善紀先生の名古屋・浜松稽古会報告 中編

背骨は消える

昨日のブログで伝えたかったのは「背骨は消える」という事でした。長々と書き連ねてしまったのは、自分の体の中に生まれた感覚がまだ全然、言葉になっていなかったからです。

いつもそうですが、もやもやと自分の体の中に感覚的なものが生まれます。それを材料に何日か稽古をすると、だんだん、言葉になっていきます。言葉にするときはシンプルにするのを望んでいるようで、昨日の何千字かの文章も「背骨は消える」という単純なところに落ち着きだしています。

 

言葉が単純化すると、その動きを再現するのに時間がかからなくなります。これはメリットのように思われますが、きっと、モヤモヤとした感覚のある一面だけをクローズアップした結果で、その他の働きから目をそむけてしまっているかもしれないなぁ、とデメリットの部分もありそうです。

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