稽古報告

稽古のある生活

 連休中は生活のリズムがずれて、いつもとは違う「部分」に負担がかかるらしい。どかんと、大きくわかりやすい疲労ならば「そこ」を狙って癒したり、そうなった原因もわかるだろうからまだ、気は楽だ。
 
 でも、無意識に少しずつ積み重なっていくズレから来る疲労はなかなか気づけない。もう、俺も歳なんだ、というあきらめの呪文の力も強いし(笑)。周りがどうなろうと、自分は大丈夫、という気持ちはなくさないほうがいい。動きは日々、よくなり続ける可能性があるからだ。
 
 
 
 昨日久しぶりに膝が痛くなった。それでも、階段をちょっと上るときに痛みがやってくるぐらいでエスカレータやエレベータが当たり前のこの時代だと、まぁ、どうでもいいぐらい。
 そして、予定に忙しい日々ならきっと、こんな痛みの信号は見逃していたと思う。連休中だったからこそ、気づけた信号なのだ。
 
 
 
 暇だったので自分のこの膝の痛みはどこから来るのかを探ってみた。手がかりは稽古で得た五行の仕組みだ。
 
 
 勝手に見つけた五行なので説明を少し。簡単に言えばこんな感じ。
 陰陽五行は「木」「火」「土」「金」「水」の五つの要素が回り続ける理論。20年前始めてそれを聞いたときには、それまで目の前のものしか見ていなかった、という事に気づかされ衝撃を受けた。あらゆるものは変わり、関係を持ち続けていたという事だ。
 大きく見ることができれば対応策もみえてくる。
 
 その五行をカラダの動きに当てはめてみて、ぴたっと決まって一つの答えのような安心を得たのがつい先日。人間の体はよくできているのだ。
 
 「木」は背骨、バランスを取るところ。このバランスが取れていれば、その後の崩れは生まれない。主に鼻を使ってバランスを取る。
 「火」は動き続けるもの。肩の動きはそれに近い。肩は上げるものではなく、まわすものなのだ。しっかり押さえつけられた腕を「つい」上げてしまうと、引っかかる。でも、上げたい衝動に負けず、「いつもと同じように」まわし続ける。実はそれで解決してしまうことも多い。
 「土」は筋肉。肘の関節が似ている。肘はヒンジのように、伸ばすか畳むか。その「間」を求めてちょうどいいところを探さなくてはならない。その時、伸ばしきったり、畳みきったりして、「限界」をカラダで感じることも必要。「経験」と「工夫」の大切さを教えてくれる。
 「金」は動かないもの、動かしてはいけないもの。衝突する役目を持っているのがここ。部分で言えば「手首」。この手首が不安になり、動きすぎると、どんなにいい計画を持っていても、うまくいかない。やると決めたらやらなくてはいけない、それを教えてくれる。
 「水」は想像力。金の部分が決まると(それが失敗だろうが、成功だろうが)、そこから意識に浮かんでくるものがある。カラダを材料にして色々なことを考えるのが人間。つまり、カラダが色々と変わっているうちは想像力を広げようとしても、一つの方向には進みにくい。一つのものに進むときには自分の役割(金)を固めたほうがいい事がわかる。
 
 
 
 まぁ、こんな事をカラダは教えてくれた。その事を材料に膝を見てみると、膝も痛いが足首も痛いのだ。しかし、その足首の痛さはほとんど気づけないレベル。集中してみると、少し足裏が「傾いて」いたのだ。
 そのわずかな傾きを整えるようにしようとしても、なかなかうまくいかない。意識できるのが小指の方だけなのも気づいた。うまく親指の方が動かない。
 
 
 
 そんな事を考えていて、思い出したことがある。3月、自分の手の指が小指側しか動いていないことを材料に手指の使い方を工夫していたことだ。この手指の工夫が今研究している指先の集中から想像力を生む方法だからとっても大切なきっかけになっていた事だ。それと「似ている」。
 
 この時はまず、「手首を起こす」事から始めてみた。手首が折れ、死んでいる状態になっていると理由はわからないが、小指しか動かない。手首を起こすと五本の指をちゃんと意識し動かせる。もちろん、これは「自分だけの感覚」、だからこそ、その自分の感覚を頼りに工夫ができる。
 手首を起こし続けるには力がいる。すぐに疲れてしまう。デモンストレーション的になにかをするだけならこれでもいいけど、「毎日」ちゃんとしていたい、と考えると、まだ、なにか必要だ。
 
 そこで工夫をしたのが「肘」。実は肘は鼻に似ている。この肘をバランサーにして手首の動きを制御してみた。すると、手首が折れている状態でも五本の指はとらわれることなく、動かす事ができるようだ。
 
 
 
 肘がセンサーになり前腕部分の正中線を作り続けると、結果として末端である指の先っぽもよく動く。最初、動かない指先をなんとかしようと力を入れ続けていたのは無駄な努力だった、というのに気づかされる。ただ、この努力も経験であり、その事から、それぞれの「役割」が見えてきて、自分のすべきことがわかってきたんだなぁ、と思うと、やっぱり、必要な無駄な努力だったと思う。
 
 五行にあわせれば、肘が「木」、第3関節が「火」、第2関節が「土」、第1関節が「金」。そして、そこからくる思いが「水」。「木」がずれれば、当然、「金」としての動きは悪くなる。最初がずれているのに、結果はなんとかなっている、という事もあるけど、それは、「火」「土」「金」のどこかに負担がかかりすぎていて、体で言えば、いつか、疲労がたまり、痛みとして信号がでてくる。
 
 今回、膝に痛みが出てきたのは、これと同じじゃないか、とひらめいた。
 
 さっそく痛みの強い膝を「バランサー」にして足裏までの部分の正中線を整えてみる。案の定、小指側に捻じれていた。そういえば、私の靴裏はいつも、外側が磨り減っていたなぁ・・・。原因はこれか!
 
 足裏がまっすぐになるように膝の位置を動かしながら探す。あるポイントに来ると、それが見つかった。そのポジションを大切にしながら足指を動かしてみると、5本の足指が気持ちよく動くのがわかる。
 やはり、おなじだったかぁ・・・。
 
 
 
 新しく出来上がったカラダのセンサーがどれほど役に立つのかを実験するのはこれからの作業。でも、さっきまで気になっていた「痛み」は忘れてしまうほど、気にならなくなっている。むしろ、バランスを保ち続けるための心地よい信号に役割を変えてしまっている。
 
 
 と、まぁ、こんな事を家族といった大型ショッピングセンターの中にあるソファに座りながら考えたのだ(笑)。家族は新しいお店、好きなゲームで楽しんでいる。でも、私は自分のカラダで遊んでいたのだ。昔、ただ、荷物もちとしてついて行っていたときには退屈だった。でも、今は違う、どこでも、なにをしていても楽しいからだ。自分のこのカラダに気づくチャンスは山ほどある。そして、なにか自分のカラダに違和感を感じたときにはパッと、瞬間的にひらめき、答えも出てくるらしい。
 この気づきも、あれ、痛いな、と思ってから、15分ぐらいの間で思いついた事だ。
 
 
 
 きっと、もう、体の中にはやまほど、答えは「ある」のだ。後は、それをうまく引き出すだけ。才能のせいにするのは簡単。でも、才能が・・・というのであれば、全部、自分のカラダを使い切ってからではないと、失礼だ。
 
 
 
 甲野先生はこういう「稽古の仕方」を教えてくれた。稽古は日常であり、練習とはやはり違うものだった。
 甲野先生の昔の著作に日記形式の本がある。そこに書かれているなにげない一言になぜ、この人はこんなに敏感なんだろう、と憧れた。すこしでも、その感覚に近づきたい、と思って自分も体の感覚を探り始めた。
 気がつけば、その感覚の豊かさ、奥深さにはまっているけど、これも、きっと好み。五行で言えば、「金」じゃないところ。きっと、今の時代はわかりやすい「金」の時代なのだ。ただ、その結果だけでは幸せになれない、と思おう人も山ほどいるはず。結果に振り回されず、感覚を頼りにいきる生き方「も」楽しい。自分の中には全部ある、そう思って暮らしてみるのも悪くないと思う。
 
 
 
 甲野先生が名古屋に来ます。
 日時は2014年5月26日(月)午後6時半から9時です。
 詳しくはこちらを。
 
 また、大人の武道塾、わかる瞑想教室も下記の日程で開催します。
 大人の武道塾
  【名古屋】5月25日(日)
  【大府】毎週火曜、金曜
  【浜松】5月14日(水)、5月24日(土)
 わかる瞑想教室
  【名古屋】5月25日(日)
  【大垣】5月17日(土)
  【浜松】5月14日(水)、5月24日(土)
  【掛川】5月28日(水)
 
 それぞれの講座の詳細もウェブサイトから。
 また、出張講座も受付しています。

自動化の話

今日は自動化の話。
自動化された動きはとにかく、気配がなく、自然なんです。
しかし、自然な動きを求めてみても、なにかをしようと考えた瞬間、不自然な動きとなってしまいます。気配が出て来ちゃうんです。
 
 
 
自分の中に取り込まれた自動の動きは疑いのない動きです。
その自然な動きに近づくための鍵になるのがキャスター、それも、手の中にあるキャスター、第三関節なんです。
 
気がついていないだけで、みんな自動化された動きを持っています。
朝起きて顔を洗い、ネクタイを締め、通い慣れた道を進み、学校、会社へ行きます。これ、全部、無意識化された自動の動き。それらは全部、気配のない自然な動きです。
 
きっと、技術のある俳優さんならその瞬間、その人になりきり、自然な動きが出来るんでしょうね。しかし、私たちはなにかをしよう、と考えてしまうと普段自分が行っている動きも、不自然なものになってしまいます。いったい、なぜ、出来ている動きが出来なくなってしまうんでしょうか?
 
 
 
カラダの構造が分かってくると、まだまだ自分のカラダは動くって気づきます。自分が「持っている」ものを今は気づかせてくれる人が少なくなりました。たくさんの便利な機械は増えましたけどね。
 
それはそれで喜んで、楽しんで使えばいいんです。でも、自分への信頼をなくして生きていくことだけはしたくないなぁ・・・って思います。
 
 
 
第三関節から指を動かしてみると、その先にある第二関節、第一関節が楽になるんです。楽になるってのは大切です。楽になればなるだけ、気にすることのない動きになっていきますから、自然な動きにつながるのでは・・・。
 
 
 
無意識の時には指先から動いているんです。きっと。
でも、武術が必要な場面って、敵が目の前に現れた緊張状態の時です。余裕がある時には夢を描いて、それに身を任せればいいんです。しかし、現代ってそのリラックスをする時間と場所が限られています。
だからこそ、自分のカラダを信頼し、動く力を身につけることが必要なんだと、考えています。
 
 
 
実は身体から見直すって意外と簡単。
徹底的にこの身体の動きを見直すだけですから。
手指の第三関節から動く、と決めたらそれをちゃんとやる。そしたら、ちゃんと、第二関節が整い、第一関節も楽になります。気持ちの持ちようなんか、いりません。
 
 
逆に、考えすぎてしまう人は、自分にはできない、これではダメだ、と身体の事から気持ちの方へと意識を置きすぎてしまうんです。ちゃんと、狙って、そこから動く、と決めてやるだけ、それだけです。
 
 
 
第三関節からの動かし方を紹介して今日は終わり。
第三関節をまず、動かそうとしても、実は気づいていませんが、結構、指先にもう力が入っちゃっているかも。
指先をのばしたまま、指の付け根から折り曲げたり、起こしたりしてみると、それだけで第三関節が生きてきます。指回し体操をしても、第三関節がよく動くかも。
 
 
 
でも、きっと、一人でクイクイ指を動かしてもこれでいいのかなぁ、って分からないはず。自信が持てません。
 
だから、武術的練習なんです。
この手を抑えて動かさせないようにしてくれる敵がいれば、ちゃんと手指を動かしたときには、動けた、という結果という形で、しっかり自分が第三関節から動けているというのがわかりますから。
 
 
 
もちろん、一人でその感覚が分かるようになれば、なにをしているときにも、指先に軽やかさが感じられますよ。
 
そうそう、きっと、鉛筆を持って字を書く、ってのは、この第三関節が大切なんです。子供の頃、しっかりと鉛筆を掴むように言われても、それでは書けないんです。だから、指先でくるくる小さなカッコ悪い文字しかかけなかったんだなぁ、って。
 
でも、それは当然、だって、指が掴む動きしか出来なかったんですから。でも、第三関節が動くと、鉛筆をしっかりとホールドしたまま、手を素早く動かすことができます!
 
 
 
印刷が簡単に出来て、手書きの必要がどんどんなくなっていく時代。でも、自分の手を使って、動けているって感じられると、なんといっても、楽しさ、それも、自分だけの楽しさが内側から出て来ます。そういう事がもっと、もっと、伝えられればと思っています。
 
 
 
では、ありがとうございました。

【緊急避難】ウェブサイトが見れないようなので・・・明日の甲野先生の稽古会の案内を。

甲野善紀講座

甲野善紀先生をお招きして講座を行います。
これまで、カラダラボの稽古、講座に参加されたことのない方も参加できます。

甲野先生と出会い、もう17年です。
信じられないかもしれませんが、その間、ずっと、甲野先生は気づきを積みかさね、「今が一番身体が動く」を続けられています。

どれだけ言葉を尽くしても、甲野先生の動きを見て、体験する事の驚きにはかないません。
現実にそこに「いる」んですから。

武術やスポーツ、介護の技はもちろんですが、生きるという事を真剣にお話してくれる甲野先生の講座にご期待ください。

話しを聞くだけの場にはしたくないので、定員があります。満席の際にはご容赦ください。

日時は下記のとおりです。
日時:2013年1月27日(日)午後2時から午後5時

場所:名古屋市緑区浦里4−209
少林寺拳法の道場をお借りしています。1階がカラオケ屋さんになっている道場です。
地図:地図へのリンク
参加費:6000円(1名)

申込と同時に確認のメールが自動返信されます。このメールが届かない場合はメールアドレス入力の間違い等が考えられますので、jun@karadalab.comまで問い合わせください。

携帯メールは届かない事がありますのでなるべくパソコン用のメールをお使いください。

会場になる道場への問い合わせはご遠慮ください。

駐車場は7台ほどありますが、満車になりましたら近隣の駐車場をご利用願います。

電車でお越しの方は名鉄名古屋本線の「鳴海駅」もしくは「本星崎駅」です。ともに駅から徒歩で20分程度かかりますので、地図を確認の上、お時間には余裕をもって、きてください。

その他お問い合わせはメールでお願いいたします。
jun@karadalab.com
なお稀にお使いのPCのセキュリティ環境の違いから当サイトでの登録や申し込みができないことがあるそうです。もし自動申し込みができない方は上記のメールにまでご連絡ください。

腸で投げる、腸から動く?

腸から動くと動きが変わるみたいです。
まだ、腸、腸、と口にするのも違和感があります。
だって、これまで、全く考えもしなかったのですから。
とりあえず、技が一気に変わったので、写真だけでも。
引っかかりやすい片手での切り落としも
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腸から動けば、このとおり。
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両手でしっかり押さえつけられても
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たた、前へと進む事ができます。
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首を絞められたとしても
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腸は自由に動くんですね。
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一本釣りも前より、ずっと楽になりました。
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大切にしているのは「技にたよらない」という事です。
ただ、普通に引きたいんです。
でも、普通は綱引きになります。
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でも、ハラ、腸から引いてみると・・・
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ちょっとこれは苦労しました。
丁寧に握る」事をしないと、ただ、普通に起き上がる、というのはできなかったなぁ・・・
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【稽古報告】武術書法

もう少し、違った面から技のお話をしておきます。
今、考えてほしい事は「転ぶ」という事。
自分にとって「転ぶ」とはなんだろう?という事をもう一度、考えてみてください。
 
 
 
私が転べるようになったのは、昨年末です。
今考えると、転ぶ事は役に立つ、という気づきに至るまでに、いくつもの発見をしました。
 
昨夏、足指をピボットにして、相手の力を自分の動きに変えてしまおう、という気づきを得ました。
その辺りから動くために必要な力ってなんだろう・・・と考えはじめました。
いや、ずっと考えていた事ではあったのですが、まさか、他力を意識することなく、自動的に動きに使えるとは思いもよらなかったのです。
 
 
 
それが、気がつけば、転ぶ、という動きまで扱うようになったりして(笑)。
ホント、身体って不思議で、楽しいものです。
 
 
 
もしかしたら、この「転ぶ」という動きが当たり前の人もいるかもしれません。
というのは、私たちは無意識の時には常に、転び続けているかも知れないからです。
 
 
 
なぜ、こんな不安定な二足歩行なのに、転ばずに歩けるのでしょう。
先日、点字ブロックの上を目をつむり、歩いてみました。
もう、全然だめ。
すぐに、身体のバランスを失い、外れてしまいました。
目が開いていれば何の気なしに歩く事ができるのにです。
 
 
 
でも、目が開いていても、そこが手すりのない、10メートルの高さの場所なら、脚が震え歩く事ができないはずです。
私たちのバランスっていったい・・・。
 
 
 
バランスをとろう!と求め続けてきたわけですが、逆転の発想で「転んでやれ!」と考え、活用法を探してみると、これが、よかったんです。
バランスをとるのは難しくても、転んでいく、という動きはそれほど、苦もなく、行う事ができます。
 
もちろんレベルはありますよ。
でも、ただ、あっ、と脚を出せば、それも立派に転んでいる事になります(笑)。
 
 
 
とにかく、自分の持っている「転ぶという能力」を意識するところがスタートです。
転ぶようにして、相手に寄りかかっていきます。
すると、相手はその転びを止めようとして、動き出すはずです。
この瞬間、相手は転んでいる自分に気を向けてしまい、それを止めようとしてしまうのです。居ついてしまったわけですね。
その瞬間を見逃さず、今度は意識を使って、相手を押し崩していけば技が完成です。
 
 
 
ちょっと違う方面から検証してみました。
「字」です。
まぁ、隠す事でもないのですが、もう、私は自分の字が大嫌いなんです。
当然、下手くそなんです。
どうにか、上手にならないか?と思っている次第です(笑)。
とは言え、書道にいくのもなんだかなぁ、と思っています。
どうすれば、自分らしく、納得のいく字がかけるんでしょう?
別に、ものすごいレベルの高い事を望んでいるわけではないのです。
ただ、自分が納得できればいいだけなのに、どうにも手がありませんでした。
 
 
 
いつも、動き方が変わると密かに「字」に応用しています。
もちろん、今回もそう(笑)。
そして、初めて、自分の字を認めてあげれたのです。
 
 
 
なにを試したかといえば、武術の動きと「全く」同じです。
ただ、相手が動かない紙ですから、もう少し、内面に集中して、動く事ができます。
その細かい意識の使い方もお役に立つんじゃないかと思いますので、お話しておきますね。
 
 
 
動きとしては「転ぶ、イメージする、任せる」です。
武術の中での「転ぶ」は倒れていく事で行いました。
まぁ、ペンでも同じなんですが、迷わず、ペンを紙に下ろします。
そして、「動かさない」。
武術の技でなら、その転んだ瞬間、相手は固まりますから、その隙に技をしなくてはいけないのですが、文字でなら、もう少し、余裕をもって、観察できます。
ペン先を紙に落とした状態で、文字を「意識」します。
イメージする、と言ってもいいのかもしれません。
そのイメージが溜まって限界を超えると、手がガマンしきれず、動き出します。
そうなれば、もう、その手に「任せて」みるだけです。
 
 
 
ポイントはイメージをする際にペン先をつけておく、という事。
この動きがないと、ペンと紙、そして、カラダの中に力がうまれません。つまり、カラダが働きにくいのです。
これまで、私は「イメージする」という言葉が大嫌いでした。
技の説明の際にも極力使わないようにしてきた言葉です。
しかし、「触れる」という状況があれば、意識を使ってイメージができます。
今まで苦手だと思っていたのはイメージをしよう、と思いすぎていたんでしょうね。
 
 
 
「触れる」というのは「当事者」になる、という事です。
どんな悩みや問題も、第三者的に考えているうちはアドバイスはできても解決しません。
必ず、自分がその問題と向き合い、困った瞬間に「どうなるか」をイメージしなくてはいけないのです。
アドバイスをうまく生かすためにはそれを実行している自分の姿がイメージできなくてはならないはずです。
 
いかに、ショックなく、相手とぶつかるか、そこが鍵です。
そしてそのために必要なものが「転ぶ」という「偶然」です。
相手と衝突した瞬間、それがどういう状況であったとしても、それを後悔してはいけないのです。
スポーツの世界であれば不公平を審判に訴える事もできるでしょう。
しかし、武術はそれをしなかったからこそ、新しい動きの可能性を見つけ続けてこれたのです。
まずは、始めてみる。
おっかなびっくり、怖がりながら、なにかを始めるのではなく、始める事が成功への一番の近道だとわかれば、最初の一歩も怖くなくなります。
 
 
 
どうぞ、ご自分のやりたい事をどんどんやってみてください。
応援しています。