稽古報告
自動化の話
今日は自動化の話。
自動化された動きはとにかく、気配がなく、自然なんです。
しかし、自然な動きを求めてみても、なにかをしようと考えた瞬間、不自然な動きとなってしまいます。気配が出て来ちゃうんです。
自分の中に取り込まれた自動の動きは疑いのない動きです。
その自然な動きに近づくための鍵になるのがキャスター、それも、手の中にあるキャスター、第三関節なんです。
気がついていないだけで、みんな自動化された動きを持っています。
朝起きて顔を洗い、ネクタイを締め、通い慣れた道を進み、学校、会社へ行きます。これ、全部、無意識化された自動の動き。それらは全部、気配のない自然な動きです。
きっと、技術のある俳優さんならその瞬間、その人になりきり、自然な動きが出来るんでしょうね。しかし、私たちはなにかをしよう、と考えてしまうと普段自分が行っている動きも、不自然なものになってしまいます。いったい、なぜ、出来ている動きが出来なくなってしまうんでしょうか?
カラダの構造が分かってくると、まだまだ自分のカラダは動くって気づきます。自分が「持っている」ものを今は気づかせてくれる人が少なくなりました。たくさんの便利な機械は増えましたけどね。
それはそれで喜んで、楽しんで使えばいいんです。でも、自分への信頼をなくして生きていくことだけはしたくないなぁ・・・って思います。
第三関節から指を動かしてみると、その先にある第二関節、第一関節が楽になるんです。楽になるってのは大切です。楽になればなるだけ、気にすることのない動きになっていきますから、自然な動きにつながるのでは・・・。
無意識の時には指先から動いているんです。きっと。
でも、武術が必要な場面って、敵が目の前に現れた緊張状態の時です。余裕がある時には夢を描いて、それに身を任せればいいんです。しかし、現代ってそのリラックスをする時間と場所が限られています。
だからこそ、自分のカラダを信頼し、動く力を身につけることが必要なんだと、考えています。
実は身体から見直すって意外と簡単。
徹底的にこの身体の動きを見直すだけですから。
手指の第三関節から動く、と決めたらそれをちゃんとやる。そしたら、ちゃんと、第二関節が整い、第一関節も楽になります。気持ちの持ちようなんか、いりません。
逆に、考えすぎてしまう人は、自分にはできない、これではダメだ、と身体の事から気持ちの方へと意識を置きすぎてしまうんです。ちゃんと、狙って、そこから動く、と決めてやるだけ、それだけです。
第三関節からの動かし方を紹介して今日は終わり。
第三関節をまず、動かそうとしても、実は気づいていませんが、結構、指先にもう力が入っちゃっているかも。
指先をのばしたまま、指の付け根から折り曲げたり、起こしたりしてみると、それだけで第三関節が生きてきます。指回し体操をしても、第三関節がよく動くかも。
でも、きっと、一人でクイクイ指を動かしてもこれでいいのかなぁ、って分からないはず。自信が持てません。
だから、武術的練習なんです。
この手を抑えて動かさせないようにしてくれる敵がいれば、ちゃんと手指を動かしたときには、動けた、という結果という形で、しっかり自分が第三関節から動けているというのがわかりますから。
もちろん、一人でその感覚が分かるようになれば、なにをしているときにも、指先に軽やかさが感じられますよ。
そうそう、きっと、鉛筆を持って字を書く、ってのは、この第三関節が大切なんです。子供の頃、しっかりと鉛筆を掴むように言われても、それでは書けないんです。だから、指先でくるくる小さなカッコ悪い文字しかかけなかったんだなぁ、って。
でも、それは当然、だって、指が掴む動きしか出来なかったんですから。でも、第三関節が動くと、鉛筆をしっかりとホールドしたまま、手を素早く動かすことができます!
印刷が簡単に出来て、手書きの必要がどんどんなくなっていく時代。でも、自分の手を使って、動けているって感じられると、なんといっても、楽しさ、それも、自分だけの楽しさが内側から出て来ます。そういう事がもっと、もっと、伝えられればと思っています。
では、ありがとうございました。
【緊急避難】ウェブサイトが見れないようなので・・・明日の甲野先生の稽古会の案内を。
甲野善紀先生をお招きして講座を行います。
これまで、カラダラボの稽古、講座に参加されたことのない方も参加できます。
甲野先生と出会い、もう17年です。
信じられないかもしれませんが、その間、ずっと、甲野先生は気づきを積みかさね、「今が一番身体が動く」を続けられています。
どれだけ言葉を尽くしても、甲野先生の動きを見て、体験する事の驚きにはかないません。
現実にそこに「いる」んですから。
武術やスポーツ、介護の技はもちろんですが、生きるという事を真剣にお話してくれる甲野先生の講座にご期待ください。
話しを聞くだけの場にはしたくないので、定員があります。満席の際にはご容赦ください。
日時は下記のとおりです。
日時:2013年1月27日(日)午後2時から午後5時
場所:名古屋市緑区浦里4−209
少林寺拳法の道場をお借りしています。1階がカラオケ屋さんになっている道場です。
地図:地図へのリンク
参加費:6000円(1名)
申込と同時に確認のメールが自動返信されます。このメールが届かない場合はメールアドレス入力の間違い等が考えられますので、jun@karadalab.comまで問い合わせください。
携帯メールは届かない事がありますのでなるべくパソコン用のメールをお使いください。
会場になる道場への問い合わせはご遠慮ください。
駐車場は7台ほどありますが、満車になりましたら近隣の駐車場をご利用願います。
電車でお越しの方は名鉄名古屋本線の「鳴海駅」もしくは「本星崎駅」です。ともに駅から徒歩で20分程度かかりますので、地図を確認の上、お時間には余裕をもって、きてください。
その他お問い合わせはメールでお願いいたします。
jun@karadalab.com
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腸で投げる、腸から動く?
腸から動くと動きが変わるみたいです。
まだ、腸、腸、と口にするのも違和感があります。
だって、これまで、全く考えもしなかったのですから。
とりあえず、技が一気に変わったので、写真だけでも。
引っかかりやすい片手での切り落としも
腸から動けば、このとおり。
両手でしっかり押さえつけられても
たた、前へと進む事ができます。
首を絞められたとしても
腸は自由に動くんですね。
一本釣りも前より、ずっと楽になりました。
大切にしているのは「技にたよらない」という事です。
ただ、普通に引きたいんです。
でも、普通は綱引きになります。
でも、ハラ、腸から引いてみると・・・
ちょっとこれは苦労しました。
「丁寧に握る」事をしないと、ただ、普通に起き上がる、というのはできなかったなぁ・・・
【稽古報告】武術書法
もう少し、違った面から技のお話をしておきます。
今、考えてほしい事は「転ぶ」という事。
自分にとって「転ぶ」とはなんだろう?という事をもう一度、考えてみてください。
私が転べるようになったのは、昨年末です。
今考えると、転ぶ事は役に立つ、という気づきに至るまでに、いくつもの発見をしました。
昨夏、足指をピボットにして、相手の力を自分の動きに変えてしまおう、という気づきを得ました。
その辺りから動くために必要な力ってなんだろう・・・と考えはじめました。
いや、ずっと考えていた事ではあったのですが、まさか、他力を意識することなく、自動的に動きに使えるとは思いもよらなかったのです。
それが、気がつけば、転ぶ、という動きまで扱うようになったりして(笑)。
ホント、身体って不思議で、楽しいものです。
もしかしたら、この「転ぶ」という動きが当たり前の人もいるかもしれません。
というのは、私たちは無意識の時には常に、転び続けているかも知れないからです。
なぜ、こんな不安定な二足歩行なのに、転ばずに歩けるのでしょう。
先日、点字ブロックの上を目をつむり、歩いてみました。
もう、全然だめ。
すぐに、身体のバランスを失い、外れてしまいました。
目が開いていれば何の気なしに歩く事ができるのにです。
でも、目が開いていても、そこが手すりのない、10メートルの高さの場所なら、脚が震え歩く事ができないはずです。
私たちのバランスっていったい・・・。
バランスをとろう!と求め続けてきたわけですが、逆転の発想で「転んでやれ!」と考え、活用法を探してみると、これが、よかったんです。
バランスをとるのは難しくても、転んでいく、という動きはそれほど、苦もなく、行う事ができます。
もちろんレベルはありますよ。
でも、ただ、あっ、と脚を出せば、それも立派に転んでいる事になります(笑)。
とにかく、自分の持っている「転ぶという能力」を意識するところがスタートです。
転ぶようにして、相手に寄りかかっていきます。
すると、相手はその転びを止めようとして、動き出すはずです。
この瞬間、相手は転んでいる自分に気を向けてしまい、それを止めようとしてしまうのです。居ついてしまったわけですね。
その瞬間を見逃さず、今度は意識を使って、相手を押し崩していけば技が完成です。
ちょっと違う方面から検証してみました。
「字」です。
まぁ、隠す事でもないのですが、もう、私は自分の字が大嫌いなんです。
当然、下手くそなんです。
どうにか、上手にならないか?と思っている次第です(笑)。
とは言え、書道にいくのもなんだかなぁ、と思っています。
どうすれば、自分らしく、納得のいく字がかけるんでしょう?
別に、ものすごいレベルの高い事を望んでいるわけではないのです。
ただ、自分が納得できればいいだけなのに、どうにも手がありませんでした。
いつも、動き方が変わると密かに「字」に応用しています。
もちろん、今回もそう(笑)。
そして、初めて、自分の字を認めてあげれたのです。
なにを試したかといえば、武術の動きと「全く」同じです。
ただ、相手が動かない紙ですから、もう少し、内面に集中して、動く事ができます。
その細かい意識の使い方もお役に立つんじゃないかと思いますので、お話しておきますね。
動きとしては「転ぶ、イメージする、任せる」です。
武術の中での「転ぶ」は倒れていく事で行いました。
まぁ、ペンでも同じなんですが、迷わず、ペンを紙に下ろします。
そして、「動かさない」。
武術の技でなら、その転んだ瞬間、相手は固まりますから、その隙に技をしなくてはいけないのですが、文字でなら、もう少し、余裕をもって、観察できます。
ペン先を紙に落とした状態で、文字を「意識」します。
イメージする、と言ってもいいのかもしれません。
そのイメージが溜まって限界を超えると、手がガマンしきれず、動き出します。
そうなれば、もう、その手に「任せて」みるだけです。
ポイントはイメージをする際にペン先をつけておく、という事。
この動きがないと、ペンと紙、そして、カラダの中に力がうまれません。つまり、カラダが働きにくいのです。
これまで、私は「イメージする」という言葉が大嫌いでした。
技の説明の際にも極力使わないようにしてきた言葉です。
しかし、「触れる」という状況があれば、意識を使ってイメージができます。
今まで苦手だと思っていたのはイメージをしよう、と思いすぎていたんでしょうね。
「触れる」というのは「当事者」になる、という事です。
どんな悩みや問題も、第三者的に考えているうちはアドバイスはできても解決しません。
必ず、自分がその問題と向き合い、困った瞬間に「どうなるか」をイメージしなくてはいけないのです。
アドバイスをうまく生かすためにはそれを実行している自分の姿がイメージできなくてはならないはずです。
いかに、ショックなく、相手とぶつかるか、そこが鍵です。
そしてそのために必要なものが「転ぶ」という「偶然」です。
相手と衝突した瞬間、それがどういう状況であったとしても、それを後悔してはいけないのです。
スポーツの世界であれば不公平を審判に訴える事もできるでしょう。
しかし、武術はそれをしなかったからこそ、新しい動きの可能性を見つけ続けてこれたのです。
まずは、始めてみる。
おっかなびっくり、怖がりながら、なにかを始めるのではなく、始める事が成功への一番の近道だとわかれば、最初の一歩も怖くなくなります。
どうぞ、ご自分のやりたい事をどんどんやってみてください。
応援しています。