この世界に起こる現象はなんと、4つの力で説明できる、という話を聞きました。
ありとあらゆる現象が、たった4つの力で・・・、いやはや、すごい話です。
ちょうど、身体を伝導体として考えてみたらどうだろうと思っていたので、せっかくなので、この身体を利用して、表現できる力はどれだけあるのだろうか?と考えてみました。
4つの力に毒されてしまったのでしょうか、結局4つしか見つかりませんでした(笑)。
まずは、筋力、おなじみです。
そして重さの力、重力です。
後は反射の力。
最後に他力です。
面白いのはそれぞれに、陰と陽のように力が分けられそうなんですよね。
筋力を二つに分けると、こんな感じです。
相手にどうぞと力を渡していくような伸びる力と、自分の内側へと引き込む力。
重さの力は存在そのものの力と、部分を組み合わせた構造体の力に。
反射の力は身体に起こる反射と心に起こる反射がありそうです。
他力は乗れるか乗れないのかが鍵になる運の力と自分を取り巻く場の力に分かれそうです。
単純に「力」と言っても、色々あるわけです。
筋力だけを問題にしてはもったいないですよね。
まぁ、正しいかどうかというよりも、楽しいかどうかで生きています(笑)
精神世界、宇宙の法則
【音声】カラダが教えてくれる新しい見方
その1
その2
その3
古武術的なりたい自分になる方法
自己啓発、願望実現の本を読むと、そこには「なりたい」ではなく、すでに「なった」自分をイメージしなさい、と書いてある。その言葉を発している著者はもちろん、それを実践してきて、そこへとたどり着いているんだろうが、こちらとしては、いっている事は分かっても、実際に出来ないジレンマがある。
私の理解の基本は武術の場面でそれができるかどうかを試している。
ひとりひとり、社会生活の中で言えば、十人十色の願望がある。彼氏彼女が欲しい人、お金が欲しい人、仕事が欲しい人、ワクワクドキドキの生き方が欲しい人・・・。
「理論」でいえば、そうなりたいと願うのではなく、すでにそれでなくてはいけないらしい。でも、彼女がいないのに、いるようにふるまう。お金がないのに、あるようにふるまう。難しくないか?
まぁ、ほとんどの人はこういう現実をみて諦めてしまうんだけど、私はしつこいんです(笑)。そういわれていて、そうやっている人がいるとすると、そうなんだろう、と考えちゃう人なんです。あとは、自分がそれを理解できていないだけなんだ、と。
それがようやく、武術の場面で願望理論を適応させる事に成功した。つまり、どう考えようが自由なんだけど、その理論にあわせた身体の使い方があった、という事が見つかったのだ。
相手に襲われた場面で、彼女が欲しい、お金が欲しいっていう人なんていない。つまり、この場面では多くの人が「助かりたい」「自由になりたい」と願うはずだ。今まさに、襲われているこの状況で「助かりたい」と思うのではなく、「助かっている」自分をイメージするってなんでしょう?
それが出来るようになれば、彼女も出来るかもしれないし、お金持ちになれるかもしれませんよ(笑)。
具体的に書いときましょう。
相手に襲われました。彼は敵です。力いっぱい、憎たらしい顔をして、この両手を押さえてくるとします。ぎゅ~っと。
痛いです。離せ~って思えてきます。
この時、自分の中でこの状況は逃げられない、という不安が生まれます。
これをどうにかしなくちゃいけないわけです。
この時、具体的に「使う」部分というよりも、「使わない」方法を考えるのです。
使う、というのは前腕。これを使ってしまっているのです。
前腕って言うのは工夫の手、想像力、創造力の手です。
良いイメージも作る事が出来ますが、極限になると、正直にネガティブなものもイメージしてしまうのです。
その手を動かさないようにしてみると、なにもやれる事がなくなります。
すると、不思議と上腕に動きが出てきます。
この上腕は自由の手、子供の心を持った手です。
この手はなにかをしよう、と思ったときには超わがままにそれをやりきる力を持っているのです。
メンタルな部分で考えると、最初は敵でした。
その敵に対して、説得を試みたり、反撃して脅してみたり、これをやっているのがこの前腕です。でも、敵を敵として認識してしまえば、争いがくるに決まっています。
でも、この時、相手に「寄り添う」のです。相手をなんとかしよう、とするのではなく、「怖いけれども」自分から寄り添っていきます。この時、結果として、前腕が折りたたまれ、上腕へと役割が変わっているのです。
すでに、自分は自由なんだ。
つまり、目の前にいるのは敵ではなく、友達だ、という事です。
でも、友達には見えません。考えても怖い顔ばかり見えてきます。
この時、なにをどう、考えるかなんていらないんです。
必要なのは動き方。
それが前腕を折りたたむ、相手に寄り添う、という事です。
簡単に説明するとこうです。
分かりにくいのは当たり前。だからこそ、みんな願望実現がうまく行かなくって新しい本やセミナーへと通っているんでしょう。新しく同じ事を聞くと、不思議と、今度はできるかも?って思います。でも、それを続けると、「自分には」できない、と強く、イメージしちゃうみたいです。
真逆から考えてみたらどうだろうか?
私はうまくいったので、それを試してもらおう、と企画したのが、この講座です。
まずは人間関係の話から。嫌いな人をキライで無くする動き方を一緒に考え、試しましょうね。
講義型というよりも、感覚型で行こうと思います。
少ない人数でやりますから、一緒にもっと、楽の方法、確かな方法を求めてくれれば嬉しいです。
やる事は一つでいい。
悩みには色んなものがある。
個人的なもの、社会的なもの、未来の事、過去の事、時間を越えたものまである。
その一つ一つを解決していこうとすると、とてつもない、知識が必要となってくる。
インターネットが普及し、知識が爆発的に増えた。
悩みに対しても、質問すれば、世界中の誰かが、ちゃんと答えをくれる。
ただ、それがうまく行くかどうか分からない。
アドバイスを正確に実行できるかわからないし・・・。
心は形がコロコロ変わるから心。
その心の状態に合わせてたくさんの答えを作る、というのはまぁ、悪くない。
しかし、それではとっても、行動しにくい。
身体は心ほど動かないものだから。
そこで、術理だ。
どんな事にであっても、自分のやる事は、その瞬間、自分の能力を一番出せる事をするのだ。
今、私で言えばその術理は「足指」。
困った事に出会ってしまった瞬間、身体は固まり、浮き足立ってしまい、なにもかんがえられなくなる。その時、この足指を固めて、地面に刺すのだ。
すると、カラダが落ち着き、余分な力は足元から地球へと流れ、緊張が解けていく。
それまでの不安がウソのように取れていく。
なにがあっても、それ、なのだ。
こういうものを持っていると、安心できる。
いざとなれば、それをするだけだから。
例え、それで失敗をしても、自分のもてる力、出し切れる力を全部使うわけだから、後悔がない。それがとってもうれしい。
星と私と年輪
私は私なんだけど、自分が私だと思っていた私は案外簡単に壊れる。武術であればその壊れる瞬間は新しい身体の動かし方、感覚に気がついたとき。それを再現するために言葉にしたものが「術理」だと思っている。
その新しい自分で動いてみると、それまで出来なかった事がウソのように解決してしまう。それどころか、自分が考えていた自分の能力は全部ゴソッとレベルが上がってしまうのだ。
でも、これは苦労して身につけたのではなく、自分の中に埋もれていた能力を思い出したに過ぎない。思い出した瞬間、それまでの自分があっという間に過去のものになってしまう。これがきっと、成長。子供の頃にはこんな成長を何度も繰り返し、経験してきたに違いない。でも、大人になって、そういう成長を感じなくなってしまっていた。
一つ頭に浮かんだ事がある。
太陽を中心に水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星(入れといて!)と並んでいる。この一つ一つを魂の成長といっている人がいる。それぞれの惑星は決められた道を通り、進んでいる。その道は交わることなく、淡々とすすんでいる。それぞれの惑星にはそれぞれに一番似合う問題を抱えながら、そこで学んでいるらしい・・・。
成長すると一つ、外側へといってしまうんだ!
そんな事を考えた。
樹木には年輪がある。
あれも同じように、一年一年、円が外側へと広がっている。
似ている・・・。
自分が成長したと感じた時にはそれまでの悩みは悩みでなくなってしまい、新しい悩みがやってくる。それが分かった事はとっても、大きい。