大人の武道塾

脱呼吸法のススメ

呼吸法を捨てる勇気

今日のタイトルは見る人にとっては過激なものかもしれません。本当はもっともっと、過激にいらない、と言いたいぐらい。でも、喧嘩の仕方も知らないので、いつものように今、感じていることをそのまま書かせてもらいます。

当たり前ですが、呼吸法は捨てられても、呼吸は捨てれません。順番として、まず、呼吸そのものを受け入れてからでないと、ダメじゃないかい、という事です。ダメというよりも、もったいない。今日の話を時間たっぷりに体を使って感覚的に伝えさせてもらえるのならば、捨てる、という表現でなくてもいいと思います。ちょっと横に置いておいて、と。

しかし、感覚がわからないまま、横においても、つい、それにまた頼ってしまいます。だから、「捨てる」決意を持ってほしいんです。

よし、捨てるぞ、と決意をすれば見えてくるものが違ってきます。そこで見えてきたものにまた呼吸法を掛け算するのは自由です。でも、どうやら、呼吸法を知っているから、それ以外のものに気付けないようなんです。もし、今、壁にぶつかっているのなら、騙されたと思って、呼吸法を捨ててみてください。呼吸なんてなんでもいい!って。

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6/27の大人の武道塾稽古内容

呼吸と仙骨

初めて呼吸について体ではっきりと動きとして自覚できました。

その方向は「前後」です。この前後の運動は相手との「間合い」を作り、コントロールします。相手から見て奥行であるこの方向の運動は見えにくいので、気配の出ない動きになります。

具体的な技としては突き、崩しにはもちろん、寝技的に抑えられた状態から起きるときにも有効です。

また、ふっと触れただけで人が飛ぶような不思議な技、そこへの手掛かりにもなりそうです。

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スーパーコミュニケーションツール 類人猿分類

ガイアの夜明け 快進撃スーパーの裏側 驚きの人材力!

2015年6月23日放送のガイアの夜明けはご覧になりましたか?

類人猿分類という手法でチームワークを向上させて実績を上げている「エブリイ」というスーパーが紹介されていました。安売り競争激しい時代に、コミュニケーション力で成果をだすのは素晴らしいです。とても面白く見させていただきました。

 

類人猿分類は人のタイプを4つの類人猿(ボノボ、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン)に分類しています。自分のタイプ、相手のタイプがわかれば、お互いの理解の助けにできますよね。

下記のサイトから簡単に診断できますので、まずは一度、試してみてはどうでしょう。

類人猿診断

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自分の事を好きになろう、興味を持とう、それが世界を変えてくれる

以前、筋肉は疲れる、って話をしました。
それ、どうやら、私の見方が狭かっただけだったみたいです。訂正させてください。

2月3日、突然、動きが変わりました。気づいた瞬間、動きが変わり、それまで出来なかった事が出来るようになりました。
身体感覚の稽古は自転車に乗るようなもの、と思っていましたが、こんなにも大きな成果が出てくるとは夢にも思いませんでした。

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その成功は半分だ!

 今、お風呂の中で思いついた。もしかしたら、自分は本当には困っていないんじゃないか、という事。そして、それは自分だけではなく、今、日本に生きている多くの人がそう、という事。
 
 
 
 本当に「困った」って事がまず、わかっていないかもしれない。生まれたときから恵まれた環境にいて、苦労をせずに大人になった。でも、ちょっと前の日本は今とは比べ物にならなかったはず。昭和の初めはもちろん、近代化する前はもっとだろう。さらに、歴史が語られる前の人間の暮らしは間違いなく、困ったものだっただろう。
 
 
 
 時代はいつのまにか変わっている。最近、それをものすごく感じる。現実に流れも速くなっていると思う。流行はどんどん速くなり、一つのものをじっくりと楽しむ時代ではなくなっている。
 
 
 
 今の時代の「困った」はきっと、「困っていない困った」だ。退屈を防ぐために作られた困ったなのかもしれない。
 
 
 
 CMで「物欲」と大きな声を出しているのがあったが、単純な物欲がある人はある意味幸せだ。欲しいものを並べていけばいくつも出てくるけど、本当に欲しいものか、と問われれば必要ないものばかり、という事も実は知っている(笑)。
 
 ようやく、自分は物が捨てるのが苦手だ、とわかってきたので、手に入っても、きっと、すぐに普通になって、それをその辺に散らかしてしまうのも想像できる(笑)。そして、そのモノたちが場所を占拠し、散らかりだす。そうなったら、もう、ストレスの方が大変だ。
 最近見つけた方付けの方法はとにかく部屋を小さくする事(笑)。自分の部屋だ、と思っている場所が減ってくれば散らからせるスペースもなくなり、方付けも楽になるのだ(笑)。
 
 
 
 つまり、一面では欲しい欲しい、といいながら、結構、今のままでもまぁ、いいや、と無意識は思っているかもしれないのだ。
 考えてみると、本当に欲しいものがあったならばきっと、どんな事をしてもそれを手に入れるために行動に移すだろう。行動に移す前に四六時中それの事を思い、考えるだろう。
 生きるために必要な食べ物が不足していた時代の「欲しい」と今の「欲しい」は明らかに違う。
 
 
 
 無意識は今、満足しているのだ。無意識はもう、成功した、と思っているのかもしれない。
 
 
 
 一時期、本屋に行けば自己啓発やビジネス書コーナーをいつも回っていた。それは、もっと、大きな人間になりたい、成功したい、と思っていたから。でも、結局知識ばかりが増え、その知識に振り回されるようになってしまった。私が幸運だったのは、知識だけではなく、同時に身体の方へと興味を持つ事ができたこと。まぁ、気がつけば、その大好きになった身体感覚を教える事が仕事になったりして、結果的に自己啓発的な本を肯定する生き方をしている(笑)。
 
 しかし、まちがいなくいえるのは、身体の感覚を磨く事をなしに、あの、自己啓発的知識は使いこなせなかった、という事。ポジティブでいなさい、それを「知ってはいても」、機嫌よくすごすのは大変だもん。
 今は身体の動かし方を知ったので機嫌が悪くなったら身体を操作し、平常心に戻れるようになった。書いてある事は「正しい」のだ。しかし、それを「行う」のは難しい。多くの人にとって動き方はそれまで生きてきた中で出来上がってきた「反射」だからだ。
 
 
 
 今日、かなり身近で見かける人が何百億円という会社の社長を務めている、という事を知った。文句のつけようがない「成功」だろう。もし、ビジネス書コーナーを徘徊していた頃の自分だったら嫉妬の炎で倒れていたかもしれない(笑)。
 しかし、今はちょっと賢くなった。大きな会社は管理をするだけで大変なのだ。社員だけで500人ほどいるらしい。関係する人は何千人とでてくるだろう。そのコミュニケーションをとる事のコストがどんどん高くなっていくのをもう、知っている。
 
 
 
 実はこの状況は武道の持つジレンマと似ているのだ。
 自己探求の手段として武道を選び、技を練り、身体が変わってきて実力が付くと自然と人が集まる。人が集まれば組織を作る。勢いのある組織は人が人を呼んでどんどん大きくなる。ある面では自分が持っているものを共有する仲間が増えていくわけだから満足かもしれない。でも、いつしか、自己探求、人間探求の道から離れだしたりする。
 大勢の人を楽しませるために試合をする。試合となればルールという枠を作らなくてはならない。その枠の中で安全に勝ち負けを競えるのだ。楽しくないはずがない。
 いつのまにか、それが目的になってしまったりするのだ。
 
 
 
 また、一度大きく膨らんだ組織はなかなか小さくなる、という選択をするのが難しくなる。お金を持ったら貧乏には戻りたくない、そういうのと似ているかもしれない。組織を維持するために精一杯になれば本来の目的から離れてしまい、楽しくなくなってしまう。無意識ではおかしい、と思いながらも、動けなくなってしまうのだ。
 
 
 
 私が教えてもらった稽古法はとにかく、研究が第一。一歩でも先へと人間の可能性、自分の可能性を掘り下げる事だった。これがもう、本当にすごく楽しいのだ。
 
 
 
 今日のこのだらだら長いブログはこの一言が言いたくて書いている(笑)。
 
 
 
 「その成功は半分だ!」
 
 
 
 もしかしたらまだまだ全然、成功なんかしていない、人生苦しい事ばっかりだ、と思っているかもしれない。もし、本当に困っていたら、その困った事に全身全霊が向き、逆に生きている、という強い思いがでているはず。
 無意識は困っていない、この「思いつき」が正しいかどうかはわからない。でも、行動に移さないで今をただ流れている人ってすごく多い。命を懸けてなにかをしなくてはいけない「毎日」はなかなかない。
 もしかしたら本当に人がうらやむ成功をしている人もいるかもしれない。欲しい物はすべて手に入れ、自分はなんでもできる、と思っている人。でも、その成功も半分なのだ(笑)。
 自分の身体を通して軽やかに、滑らかに動ける、それを実感せずに生きているのは本当に、もったいない!
 
 
 
 人間は必ず歳をとる。老いて死ぬのだ。特に日本人はもともとの身体が弱い。50、60歳ぐらいは元気でもいきなり身体が壊れる事がある。そのとき、楽しさを感じられるだろうか?
 身体感覚ならどんな状態でも楽しさを感じられるのだ。
 
 
 
 無意識は困っていない、と思いつき、同時に考えた事がある。死ぬ瞬間ってどんな欲があるんだろう、と。
 生きていればいろんな欲がある。物欲、色欲、名誉欲に支配欲・・・、そういうものはそれをかなえる下地があるからこそ沸いてくるもの。本当に死ぬ直前、身体はきっと、ものすごく繊細なものになっているはず。その繊細な身体であればいろんな欲はなくなっているかもしれない。
 
 もちろん、死にたくない、という欲はなかなか消えないだろう。でも、同時に、自分を縛っている欲が消えればそこに幸せな気持ちが生まれているはず。一応、まだ、死んじゃう予定はないので、これから自分の感覚を探る稽古ができる。まだまだ伸びて、一番ピークで死ねるんじゃないか、と思っている(笑)。
 
 
 
 無意識は困っていないから、必然性が出てこない。でも、身体の楽しさを知ると、もっともっと知りたい、探りたい、そんな気持ちが必ず出てくる。きっと、子供の頃持っていた好奇心はそのまま自分の心の奥にしまいこまれているんだろう。それを引き出してくれるのが身体感覚。
 
 
 
 というわけで、思いついたことを一気に書かせてもらいました。発散しすぎて、ちょっと反省です(笑)。
 でも、その成功は半分だ、ってのは忘れずにしたいな、と。もう半分の楽しさを伝えるお手伝いをさせてください!!
 
 
 
 
 
来年、1月18日(日)に甲野先生を名古屋へお招きし、公開稽古会を開催します。どなたでも参加できます。詳しくはこちらをご覧ください。