さて、お話をしていく前提となるものが必要なのか?考えてみると、それだけでずいぶん、敷居の高いものとなって、誰も読んでくれなさそうなので、難しい話は省きます(笑)。
これだけ覚えておいて下さい。いや、むしろ、この事を「信じられる」ようになってくれれば嬉しいです。
覚えてほしい事とは「感情は身体が作る」、という事です。
例えば、こんな事です。
とっても怖いもの、嫌なものに遭遇したとします。
この時の感情はもちろん、自分が期待したものではないはずです。
でも、それは自分が望み、求めたものだともいえるのです。
なぜなら、身体がその感情を作り出しているのですから。
嫌な気持ちは誰にとっても、イヤなものかといえば、それは違います。人によっては待ちに待った状況かもしれません。
例えば、長年、自分の身体を鍛え、イザというときに訓練をしていると、その自分の拳を使ってみたくなる時があります。そんな気持ちのときに、トラブルに巻き込まれたとすると、ちょっとワクワクするかもしれません。
ただ、その瞬間、自分にとっては「嫌なもの」だっただけです。
古今東西、様々な「教え」はこの嫌なものに出会ったときの対応法を「教えてくれています」。なにをすればいいのか、分かっているのに、出来ない自分に腹が立つんでしょう。腹が立って、どうしようかと思うと、また、感情は揺れ始めます。もう、悪循環です。どこかに、その悪循環を断ち切るものはないか、とみんな探しています。
ある人は経典を唱え、ある人はお祈りをします。そして、また、石やお守りのような力のある「モノ」に頼ります。
それらのもので改善すればいいんです。でも、実際は・・・。
経典、お祈り、教え、願い、石、お守り・・・その全てに共通するもの、それが私達の身体です。頭(意識)で考え、なにかをした時、自分の身体がどうなっているかを観察する力をつけると、なにが良くて、なにが悪かったのかわかるようになります。
つまり、頭も自分、この身体も自分なんです。
そして、身体が頭とケンカをし始めると、これが厄介なんですね。
身体が求めている事も自分なんだ、と受け入れ、頭との間を取り持つようにする事が大切です。