風呂に浸かりながらふと、考えた。
浮力の助けがあると、この手は大気中にあるときと比べて、軽く、動きやすい。
目の前に手を出す、というなにげない動きを試してみる、確かに動き出しは軽く、身体、特に肩への負担が少ない。
軽いからいいや、という話ではないんです。普段から、今の自分の動きを疑うところからスタートしていますから、厳しく観察して行きました(笑)。
この手は軽く動くんだけども、つい先日見つけた肘の三角は肘から先が無ければより自由に動く事ができるのに・・・という事でした。にも関らず、浮力のおかげか、この腕の軽さが気持ち良いだなんて、おかしい。
今、自分の中で一番、深く、自然に近いであろう動きは股関節の三角です。そのわずかな動きが遊びの取れた身体を通って、指先に繋がると、気配は消えて、力も出てきます。でも、浮力の効いた水中の中では、この身体の遊びをとることが難しく、つい、手先で動いてしまいます。
そうか・・・手の三角、肘の三角、肩の三角。それぞれは関節を関節として使わせない工夫だったのか、と。以前、関節は曲がるためのものではない、関節はアラームとして機能している、と考えた事がありました。そのアラームがより精度を高めて帰ってきたのが三角だったのかもしれないなぁと思ったんです。
武術の技では相手がちゃんと自分の動きを封じてくれます。
だからこそ、この手はやってはいけない事を事前にしっかりキャッチする事ができて、動かさずに済みます。でも、水中では「つい」やってしまうのです。
これを生活の中で考えてみると、浮かれているときには口も行動も軽く、つい、やりすぎて、後から反省の時間を持たなくてはいけない時がありますね、それと同じかもしれません(笑)。
どうしたら、自分に厳しく、この動きを抑えることが出来るんだろう?今、それを考えながら、キーを叩いています。
心には規則、ルールなのかもしれません。そのルールが自分にとっての負担になれば、そこで苦しくないように違う発想、考えでバランスも取れますし・・・。でも、身体はどうだろう?三角を作るのは良いと思うんです。でも、浮かれているときですから、身体に負担がありません。つまり、感知できる力が小さい、という事です。
力がなければ、力を生み出せばいいんだろうか?衝突の力を。この手を押す力と引く力は違う系統の力です。この肩と背中もです。相反しています。この繋がっている部分を具体的にぶつけてみれば、そこに衝突は確かに生まれてきます・・・でも、軽くないなぁ。軽く自然に振舞うにはまだまだ時間がかかるんだろうなぁ。
・・・とまぁ、いつも身体の感覚と共に暮らしています(笑)
とっても、楽しいんですよ、本当に。歳をとる事が、マイナスではなく、どこまでいけるかわからない!って気持ちですもん。仲間になりましょう、ぜひ!