自分の事は自分がよく分かっている、と言われながら、なかなか冷静に見えないのがやっぱり自分。言葉遊びで楽しめるうちはいいんだけど、じゃあ、本当に自分を客観的に観てみたい、と思った時にできないと、底なし沼のような辛さがやってくる。
「冷静に」見るのに一番有効なのは「研究者」になるという事。
研究のためなら、良いことも悪いことも興味の対象に出来る。その入り口として呼吸やストレスをわざと作るという稽古法はかなり有効だと思う。
自分の脳が外の世界を認識するのに、五感を使っているとすると、その五感を身体の内側から感じるのではなく、「身体に伝えている」役目を自分がやっている、と考えるのだ。
例えば、押されたときに、内側にいると、その圧力に対して、過剰に反応してしまう。でも、その圧力を頭の中で、この身体に伝えているという意識で見守ってみるのだ。自分の身体の内側にいるときには、つい、力を入れすぎてしまう事がある。でも、外側から、情報伝達する役目、として振舞うと、身体はぴったり、間違いなく反応してくれるのがわかる。
「人間」という文字は見ての通り、「人の間」と書く。
正確な意味は知らない。でも、実感として、自分の身体と外側の世界の間に立ち、情報を伝える存在が本当の自分なのかもしれない、そんなロマンチックな事を考えられたりするから面白いのだ。