【思考実験】手先の先にあるもの

肘先をなくすことで、不便ではあるけど、自由になれる事を実感しました。武術の「技」は知識です。その「知識」を生かす際に、自分を自由な存在として認めているのと、そうでないのとでは、知識の生かし方が違います。
 
文化はこの肘先の発達なんじゃないかな?と考えるようになりました。小手先の技術と時々、揶揄されたりしますが、小手先がなければ、なにもできません。その小手先を生かすために「腕」があるかも・・・。
 
小手先にあるものが「単純」であれば腕を磨けば良いんです。単純とは、ピアノのように打てば響くもの、刃物のように、触れれば切れると言う事です。
現代ではその小手先の先が複雑になってしまいました。パソコン、携帯電話、ボタン一つで色々な機能を持ちます。
 
私はパソコンも携帯も無かった時代を辛うじて知っています。でも、パソコン、携帯電話が当たり前の世代の人は、その便利なものをなしで生活する事はきっと、難しいでしょう。無かった頃の「自由さ」を知らないのですから。
 
確かに、機械は便利です。しかし、その便利さにしがみついてしまえば、手放すときに苦しくなります。でも、それにしがみついているから不自由かというと、それも違います。手放せなくって窮屈に思えても、一つ、見方を掘り下げると自由になります。それを手、肘、腕、肩で試しましたね。
 
手放せないものといえば、私達のこの身体もそうです。いらない、と思っても手放せません。肘先を捨てる気づきは、いろいろ考えるきっかけくれた気づきでした。

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