今帰ってきました。
今日は朝から大垣の中日文化センター、そして、四年連続となる、掛川市役所での講座のダブル。
大垣から掛川までの移動中、そして、真夜中の帰宅の間、頭にあったのは、働くって何だろう?と言うこと。
20代の頃、なぜ自分は働くのか?自分はなにがしたいのか?という疑問を持つこともなく、ただ、生活の糧として働いていた気がします。
あの頃の忙しさと今の忙しさ。比べるとはるかに、今の方が時間をとられます。また、決まった仕事ではないため、うまく感覚が言葉にならないときにはもどかしさも感じることがあります。
それでいて、決まりきった安定収入があるわけでもなし…。
それでも、心の充実、体の充実を考えるともう、比べようがないほどの喜びを感じています。
今日の講座も、初めての方もお見えになって、普段仲間同士では当たり前になっている動きや感覚も、驚きとともに受け取ってもらえて、人生がかわる、なんて大きな感想を頂いてしまいました。
まさしく、僕が古武術に出会い、人生が変わった人間ですから、その気持ち、よくわかります(笑)。
働くという事が社会問題化しています。大学生の就職難もそうですし、定年まで勤め上げられるだろうか?という不安もそうです。景気自体が上向かないことで、経営者も従業員もドキドキハラハラしています。
いったい、どうすればいいんでしょうか?
いったい、どうなれば、自分が「幸せ」なのでしょうか?
お給料を安定してもらえればそれでいいんでしょうか?やりがいがあれば、お給料は少なくてもいいんでしょうか?
この悩みの中には自分の力ではどうにもならないこともたくさん含まれてしまっています。
昔の話をもう一度します。私は働く意味を感じられないまま、働いていました。当然、その仕事にやりがいも、楽しさもありません。1日八時間、その大切な時間をただ、我慢して過ごしていたように思えます。今、考えると…ですが。
もし、今、その頃の自分にアドバイスができるのならば、その考えは違ってるよ、と言いたいです。
つまらない仕事はないんです。つまらない自分がいるんだよ、と。
確かに、毎日決まった仕事かもしれません。それでも、そこには必ず気づきや発見があるはずです。その気づきのもとになる、体の感性が低かったからこそ、つまらない自分を作って、過ごしてしまったみたいです。
それでも、その時間があったからこそ、いま、この瞬間に働く事の大切さ、喜びを感じることができました。そういう意味では、その当時のつまらない自分も役に立っているのかもしれません。
この仕事を始めて、これまで、お願いされたことは全て受けてきたつもりです。無我夢中って、こんな感じなんだ…とシミジミ考えました。色々な仕事の中で、赤字のものもありました。もしかしたら、経営という点でみるとダメな事なのかもしれません。
それでも、自分を必要としてくれる人がいる、と感じると俄然力がわいてきます。
これからも、その姿勢を変えるつもりはありません。自分にできること、それをしっかりやっていくだけかな、と思っています。協力させてください。
時々、もともとの自信のなさと、体の潜在的能力を伝える使命のようなものが、自分の中でぶつかりますが、最近は少しずつ使命感の方が勝ってきたかな?と思うようになりました。
これだけ便利な時代です。きっと、これからも便利になるでしょう。だからこそ、体の力、深層心理、潜在意識に対して、体の面からアプローチできる古武術は誰にたいしても、必要不可欠なものだと思います。
自分にできることは、話を聞いてもらえるように、魅力を高めていくことだけかな?とまた、今、この瞬間から稽古を始めます。