古武術的なりたい自分になる方法

自己啓発、願望実現の本を読むと、そこには「なりたい」ではなく、すでに「なった」自分をイメージしなさい、と書いてある。その言葉を発している著者はもちろん、それを実践してきて、そこへとたどり着いているんだろうが、こちらとしては、いっている事は分かっても、実際に出来ないジレンマがある。
 
 
 
私の理解の基本は武術の場面でそれができるかどうかを試している。
ひとりひとり、社会生活の中で言えば、十人十色の願望がある。彼氏彼女が欲しい人、お金が欲しい人、仕事が欲しい人、ワクワクドキドキの生き方が欲しい人・・・。
 
「理論」でいえば、そうなりたいと願うのではなく、すでにそれでなくてはいけないらしい。でも、彼女がいないのに、いるようにふるまう。お金がないのに、あるようにふるまう。難しくないか?
 
 
まぁ、ほとんどの人はこういう現実をみて諦めてしまうんだけど、私はしつこいんです(笑)。そういわれていて、そうやっている人がいるとすると、そうなんだろう、と考えちゃう人なんです。あとは、自分がそれを理解できていないだけなんだ、と。
 
 
 
それがようやく、武術の場面で願望理論を適応させる事に成功した。つまり、どう考えようが自由なんだけど、その理論にあわせた身体の使い方があった、という事が見つかったのだ。
 
相手に襲われた場面で、彼女が欲しい、お金が欲しいっていう人なんていない。つまり、この場面では多くの人が「助かりたい」「自由になりたい」と願うはずだ。今まさに、襲われているこの状況で「助かりたい」と思うのではなく、「助かっている」自分をイメージするってなんでしょう?
 
それが出来るようになれば、彼女も出来るかもしれないし、お金持ちになれるかもしれませんよ(笑)。
 
 
 
具体的に書いときましょう。
相手に襲われました。彼は敵です。力いっぱい、憎たらしい顔をして、この両手を押さえてくるとします。ぎゅ~っと。
痛いです。離せ~って思えてきます。

この時、自分の中でこの状況は逃げられない、という不安が生まれます。
これをどうにかしなくちゃいけないわけです。
 
この時、具体的に「使う」部分というよりも、「使わない」方法を考えるのです。
使う、というのは前腕。これを使ってしまっているのです。
前腕って言うのは工夫の手、想像力、創造力の手です。
良いイメージも作る事が出来ますが、極限になると、正直にネガティブなものもイメージしてしまうのです。
 
その手を動かさないようにしてみると、なにもやれる事がなくなります。
すると、不思議と上腕に動きが出てきます。
この上腕は自由の手、子供の心を持った手です。
この手はなにかをしよう、と思ったときには超わがままにそれをやりきる力を持っているのです。
 
 
 
メンタルな部分で考えると、最初は敵でした。
その敵に対して、説得を試みたり、反撃して脅してみたり、これをやっているのがこの前腕です。でも、敵を敵として認識してしまえば、争いがくるに決まっています。
でも、この時、相手に「寄り添う」のです。相手をなんとかしよう、とするのではなく、「怖いけれども」自分から寄り添っていきます。この時、結果として、前腕が折りたたまれ、上腕へと役割が変わっているのです。
 
 
すでに、自分は自由なんだ。
つまり、目の前にいるのは敵ではなく、友達だ、という事です。
でも、友達には見えません。考えても怖い顔ばかり見えてきます。
この時、なにをどう、考えるかなんていらないんです。
必要なのは動き方。
それが前腕を折りたたむ、相手に寄り添う、という事です。
 
 
 
簡単に説明するとこうです。
分かりにくいのは当たり前。だからこそ、みんな願望実現がうまく行かなくって新しい本やセミナーへと通っているんでしょう。新しく同じ事を聞くと、不思議と、今度はできるかも?って思います。でも、それを続けると、「自分には」できない、と強く、イメージしちゃうみたいです。
 
 
真逆から考えてみたらどうだろうか?
私はうまくいったので、それを試してもらおう、と企画したのが、この講座です。
まずは人間関係の話から。嫌いな人をキライで無くする動き方を一緒に考え、試しましょうね。
講義型というよりも、感覚型で行こうと思います。
少ない人数でやりますから、一緒にもっと、楽の方法、確かな方法を求めてくれれば嬉しいです。

真逆の成功法則~クリエイティブリレーションシップ編 Ⅰ

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