【稽古報告】2012/1/15 迷いが消える指の使い方

さて、日曜日の名古屋での研究稽古の続きです。
今日は技の話はしません。
生活の中での生かし方、応用の仕方について、考えている事をお話しますね。
ただし、ここに書く事は全部、主観です。
理論的に証明できるものは何一つ、ありません。
ただ、技を通してでのみ、確かめた事ですので、無理に信じていただかなくても、かまいません。
まぁ、そういうことがあってもいいかな?と自然と入ってくるものだけ、受け取ってください。
主観だけであっても、役に立つ事もあればと思って、勇気を持って、言葉にしました(笑)。
なにか疑問等あれば、遠慮なく、jun@karadalab.comまでメールください。
もし、もっと詳しく聞きたい、というのであれば、公開稽古かネット講座でなら、遠慮なさらなくてもすむかと思います。
 
 
 
さて、日曜日に考えていたのは、
・指先をそれぞれ、持ち場所につけておくと、悩みや迷いが消える
・言葉の再現性
・デジャブ
・意識と心と肉体
と、まぁ、こんな感じです。
中には当日、はっ、と思いついたものもありますが、どういう順番で思いついたのか、定かではなくなってきました。
・・・というのは、少しずつ、それぞれが絡まっているからです。
まぁ、あまり、気になるところではないかと思いますけど。
 
 
 
技を体験していただく事で、身体を通して感覚的に伝えるのは得意なのですが、こうして、言葉に書くのは苦手です。
分かりにくいところもあるかと思いますが、ご容赦ください。
 
 
 
では、一つずつ、説明していきますね。
まず一つ目、指と脳、悩む事との関連です。
指廻し等が脳を活性化させる、といわれていますが、指先が動くと、頭(脳ですね)が働くんでしょうね。
頭が働くのであれば、それは喜ばしいことじゃないか・・・といわれそうですが、その頭の働かし方が問題です。
なにをしようかと、考えている最中ならば、頭をフルに働かす事がプラスになります。
たくさんの選択肢の中からより、効率のいいものを探す事ができます。
たっぷりと時間があり、考えられる環境であれば、それはプラスです。
しかし、いつもいつも、そんな状況ではありませんよね。
私がいつも考えているのは、どうしたら、自分が悩んでしまった時に、そこから脱し、楽しく過ごしていけるようになれるかです。
確かに、悩み、困ってしまった時というのは、解決策が必要です。
しかし、武術の状況では解決策だけでは足りません。
「選択」した方法を「実行」する力が必要になります。
何をすべきかはわかったんだけどなぁ・・・、という状況を乗り越えなくてはいけないのです。
この時、もう、頭は必要ありませんよね。
だって、なにをすべきかは決めたんですから。
しかし、なかなか実行し、完了する事は簡単ではありません。
だって、怖いですもん(笑)
恐怖のような感情が、自分が選択したものを疑わせます。
この時、「実行力」が無いと、また、違う方法を選びなおしてしまうんです。
すると、当然、また、頭で答えを探してしまいます。
堂々巡りですね。
そして、時間切れになってしまいます。
技の手順などは解決策です。
武術に限りませんが、10年も練習すれば、頭ではどうすればいいか、とわかるようになります。それもたくさんの方法を知るようになります。
しかし、できない。
私自身が実行力と解決策との違いが明確でなかったために、今まで気づけなかったんです。
技ができない時、自分を取り戻す事ができない時には、もっと、「別の方法」があるんだ、と思い込んでいたんです。
だからこそ、「実行力」に目を向ける事もなく、「方法」を探してしまったのです。
まぁ、それも必要な事ですし、役に立っています。
が、今の興味は「実行力」です。
 
 
 
実行しきるために必要な身体が「指」です。
いやぁ・・・ここまで話をするだけでも、大変な「量」になってしまいました。
技で行えばすぐに、伝わるのに(笑)。
 
 
 
実は選択には意味がないかもしれないと思っています。
これまでの稽古・研究をポイッと捨ててしまうのか?と自分の内側から声が聞こえてきます。
しかし、甲野先生に出会い、刺激を受ける事で、こういう経験は何度もしてきました。
そして、ずいぶん、捨てる事は上手になったと思っています。
今回も捨てていきます(笑)。
 
 
 
しかし、いくら実行力を高めたとしても、実行をした際に、時には失敗する事もあります。
必ず成功する、という保障はありえませんからね。
失敗したとしても、迷ったり、悩んだりしなくてもいい方法がないだろうか?と探しています。
頭だけで答えを捜し求めても、もう、答えが出ないほど、世の中は複雑になってしまいました。
環境問題と経済的発展。原発事故から露呈してきたエネルギー問題。
科学技術の発展と人間の幸せについて・・・。
つくづく、白黒つけられない時代なんだなぁ、と思います。
だからこそ、時代遅れに思われるような武術がこの時代に注目されてきたのですね。
武術は頭だけではなく、実際にその場に身をおいたときに、緊張して、ドキドキしてしまう身体も受け入れていかなくてはなりません。
言って見れば自分のみたくない部分、普段の生活の中では隠してきた部分を認めたうえで、行動する力を与えてくれるのです。
 
 
 
失敗も成功も、どちらになっても納得し、後悔しない、そんな欲張りな答えなどあるのでしょうか?
そんな答えを身体は教えてくれます。
 
 
 
今回注目しているのは「指」です。
指を使い切る事で、どんな状況にさらされても後悔しない自分への道がつながります。
指はそれぞれ、よく動きますよね。
この指が動くというのはそのまま、頭の中の活動です。
逆に言えば、この指を動かさなければ、頭の中は静かで、混乱しなくてもすみます。
 
 
 
しかし、休んでいろ、と命令してもこの指は「働き者」なんです。
なにか新しい刺激が自分の中に入ってきた時、まず、反応してしまうのが指です。
つまり、頭でそれを考えてしまうんでしょうね。
例えば、なぜ、こんな事になったんだぁ・・・とか(笑)。
しかし、考えるよりも、まず、逃げなくてはいけません。
脚を止めて驚き、ビクついている暇はありません。
子供の頃にはできた事が、頭がよくなりすぎてしまったせいか、大人である私たちはそれが苦手です。
 
 
 
指を動かさないようにする。
結果的に、その状態になればいいのです。
働き者である彼らに「休め」と言っても、隙をみて、絶対、働きにかかります。
だとすれば方法は一つ。もっと、しっかり、働かせてあげたらどうでしょうか?
 
この指がそれぞれ、仕事を分担し、自分がなすべき事をちゃんとしている、と感じてもらうのです。
すると、どんな時にでも、自分が活かされている、という充実感がやってきます。
大きな力が出てくるからうれしいのではなく、自分に与えられた役目をしっかりやれている、と感じられる時こそ、不安のない瞬間を感じられることを身体は教えてくれました。
 
 
 
生活と同じかもしれない・・・。
人を倒す必要のない時代に武術が活かされた瞬間だと思っています。
誰かから教えられたことではなく、自分の中に得られた強い実感。
この確信はこの先、よほどの事がない限り、壊れません。
そういう確信を積み重ねて自分探しをしているのかな?
難しい事はともかく、それが「楽しい」からこそ、その楽しさを伝えようと、こうして、書き続けています。
 
 
 
それぞれの指のなす事ですが、どこかの指が突出してがんばってはいけません。
五本の指が協力して、ゲンコツや開手など、必要な手の形を作るのです。
手がかりになる考え方は「丁寧さ」です。
実は「掃除」と似ているんだと考えてます。
(掃除が苦手だからこそ、どうしたら掃除できるのかな?と考えたものですから、なにか思うところがあれば、遠慮なく、一言ください。)
掃除が苦手な私は掃除をしなさい、と言われると、目に見える、大きなものから始めます。
そして、押入れなどに普段使わないものを放り込むと、よし、終わったと思います(笑)。
今ではこの考えが「ダメ」というのが分かりますが、客観視できなかったからですね。
しかし、こういう自分にとって「できない事」がなにかに気づく「きっかけ」になったりするわけですし、良い悪い、というのはわかりません(笑)。
 
 
 
さて、掃除ですが、大きなものを隠すのは問題外ですが、どうすればより、良い掃除ができるんでしょう?
掃除ができない私は掃除をしようと思うと、きれいにしなきゃ、と思います。
そして、途方にくれて、あきらめるのです(笑)。
諦めてしまえば、何事も「終わり」です。
時間がかかっても、「やりきる」ためになにが必要なのでしょう。
そこで、まずは作戦を立てます。
大きなものを方付け、床を掃除し、窓ガラスを磨き、本棚、書類を整理し、引き出しの中を片つける。最近はパソコンの中のファイルまで、片つけたほうがいいかもしれません。
ひとつひとつ、自分が気になる事をつぶしてやりきれば、結果として、きれいにもなるし、たとえ、掃除の不備を指摘されたとしても、ココが残っていたかぁ、と自分の気づかなかったところに気づく事ができ、むしろ、うれしいかもしれません。
まぁ、想像ですけど(笑)。
 
 
 
手を握る、という動きにその安心感を得られるのでしょうか?
手を握るという動きを行うと、普通、「1回」しか握りません。
しかし、この「1回」で「納得のいく」握り方ができるようになるのに、どれだけ時間が要るでしょう。
「ただ掃除をしよう」と思って隙のない掃除ができるのには「才能」が要ります。私にはできません(笑)。
でも、「丁寧に」手順を分けて行えば、やれそうです。
 
 
 
こんな風に、「3回」に分けて、しっかり、握ってみます。
すると、「1回」でやってしまった時よりも、はるかにしっかりと握る事ができるのです。誰にでも。
 
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長くなってしまっていますけど、この手の位置が決まって動かなくなってくれれば、頭の中の混乱が納まります。
相手に触れた瞬間も、あれこれ、考えることなく、その手の形を極めたまま、動かさずにすみます。
とはいえ、そこには「衝突」が生まれています。
その「衝突」を何とかしなくてはなりません。
手指が動かないといって、簡単に諦められないのが私たち人間です。
手がちゃんと働いていれば、次に動き出す部分がでてきます。
それが普段意識しない「身体」なんでしょうね。
意識して動かす事ができない、と言ってもいいかもしれません。
身体に任す事で、結果的にその「衝突」が解決されてしまう、そんな解決方法です。
その際の「手順」はなんでもいいんです。
自分の技量と相手の技量の間に「衝突」が生まれます。
そもそも「衝突」自体を消そうと思っても無理なのかもしれません。
いや、この「衝突」をなくそうとしてがんばっているのが、科学技術や社会システムなのかな?
いいところまでは行っているのでしょうが、どこまで、滑らかでスムーズな社会になったように見えても、ちょっとした事で想定外の衝突は生まれます。
その時、もし、衝突を解消する力を失っていたとしたら・・・。
身体に任すために、手指、つまり、頭ができる限りの事をする。
たった、これだけです、伝えたいのは(笑)。
やってみたら、簡単ですからね。
それぐらい、私たちの身体はよくできているんです。
実は、これ、一つ目の「途中」です(笑)。
また、改めて、更新します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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