身体に「流れ」がある、というのはずっと前から分かっていました。
ただ、そこに「方向」があるとは思いもしなかったんです。
そもそも動きがなかったところに突然流れが見つかり、世界が拡がったんですから、それで十分楽しかったんですね。
それが、一方向だけではなく。反対側にもあったとは・・・。
「次元」として考えていけば想像する事も出来たかもしれませんが、まさか、こんなにも身体が数学や物理のようなものと関係が深いとは思いもしませんでした。
それまでの私の身体は内向きへの力ばかりでした。
外から入ってきた力は常に、内向き、つまり、背骨や腰に入ってきました。
そして、その入ってきた力を使う事を一番の方法だと思っていたのです。
今、その反対側、つまり、指先側へと力が流れ、相手に渡す方法があったんです。
反対側を使う事でどんな事が起こるかといえば、なにより、衝突しにくい、という効果があります。
相手に力が向かうのに、衝突しにくい?
伝わりにくい言葉に聞こえるかもしれませんが、こう、考えてみてください。
外に出て行く力は全て、「プレゼント」のようなものなのです。
普段、衝突だと思っているのは、力同士がぶつかっているのではなく、お互いの奪われたくないものを引き合っている力なんです。
それに対して、外へと出て行く力は、プレゼント、ギフトです。
自分の事を思って贈られたプレゼントはたとえそれが自分にとって気に入らないもの、必要のないものであっても、つい、受け取ってしまいます。
「モノ」そのものよりも、贈ってくれる「気持ち」がうれしいからです。
特に、日本人はそうですよね。
この原理(と言っていいのかは分かりませんが(笑))が武術の中でも生きてきます。
なるほど、先人が愛を持って戦うなど、教えの中に愛や調和といった優しい言葉を入れたのも納得です。
さて、左手と右手の話でした。
内向きに使っていた時、相手の力が左から入っても、右から入っても、内向きですから、たどり着くのは背骨や腰、腹です。
体幹部を鍛えようと意識しているアスリートはその内向きの力の行き着く先の感覚が鋭いんでしょう。
乱暴な言い方ですが、左でも、右でもそれが気にならないほど、身体に入れるので、ある意味左と右が統一されます。
外向きの力は正反対です。
左手から外へと出て行くとき、右手は寂しいです。やる事がないですから。
そんな時、ふと、抑えられている手とは反対の手がすぅ~と動いたんです。
その時動いた手は普段どおりですから「内向き」でした。
内向きに動いた手から生まれた力が身体の中心に届いた時、今度は押さえられている手のほうから「外へ」と、力が流れていったんです。
改めて考えてみると不思議さはないのですが、具体的な「技」として考えてみると、とっても不思議です。
なぜなら、抑えられている手を何とかしようと考えた時、必要になるのは、正反対の手を動かす事なんですから。
もし、これが日常の生活の中でおきるトラブルの場面だとしたらどうでしょう。
目の前に困った相手がいます。
その人を何とかしたいと思いますよね。
でも、その時、自分がつい、内向きになったりしていませんか?
無償の愛、なんて言葉がありますが、まさに、それはプレゼント、ギフトの心です。
でも、なかなかそれを体現するのって難しくって、つい、自己保身が入り込んできます。
まぁ、何とか、ギフトモードになれたとします。
そして、次に必要なのは、その困った状況とは正反対のところで動きを出す事なんです。
これ、何でしょうね?
まだ、よく分かりません。
もう、ちょっとで、なにか気づけそうな気もするんですけど・・・。
関係ないような話に聞こえるかもしれませんが、これが、武術を現代に生かす基本パターンです。
武術を通して、そこに原理、原則を見つけるんです。
「うん」と納得する事ができれば、その原理を信じていけば、強く生きていけるようになりますもんね。
今考えているのは左手と右手を結ぶこの身体がより、レベルの高い「伝導体」になる事かな、と思っています。
左手や右手、それぞれでなにかをするのではなく、この二つをうまく組み合わせる事が大きな力を生み出していくんではないかと思うんです。
まぁ、分かりませんけどね(笑)。
身体を通して分かった時、動きが変わり、技が変わるので、その時まで笑いながら、待つことにします。