【稽古日誌】肘から先は子供みたいだ・・・

今日は豊橋中日文化センターでの講座と浜松での大人の武道塾。
豊橋の文化センターも自由に講座をさせてもらっています。ありがたいです。
10月という事で初めての方もお見えになり、どこから始めようかと思いましたが、やはり、伝えることは研究の最先端の術理になりました(笑)。
 
 
 
体験会や単発講座であれば興味を持ってもらう事や実際に抱えている悩みをそこで解決する事が一番になりますが、3ヶ月、もしくは6ヶ月と言う連続講座であれば、その複数回を使って、自分の持っている身体に対する先入観を変えていくお手伝いをしたいと思っています。
 
 
 
多くの人が年齢と共に動けなくなる、と思っています。
でも、それ、嘘かもしれないんです。いや、嘘ですね。
身体には色々なレベルがあります。それを次元と言っていいかもしれません。
私が感じているのは、もし、明日身体が動けなくなっても、心の世界にも豊かな感性を持っていけるかもしれない、と言う事です。
 
 
 
人間ですからいつかは死にます。
死ぬ直前まで、元気にぴょんぴょんと飛び跳ねていられれば楽しいですが、人生、なにがあるかわかりません。
健康でなくてはいけない、と条件をつけた瞬間、ケガや病気が恐ろしくなるし、今、怪我や病気と共にしている人たちにはその時点で身体の楽しさを伝える事ができなくなります。
 
 
 
動いている、という事が条件ではないんです。
自分の中に自由が感じられるかどうかが大切です。
 
 
自由なんだから動き回っているのではないか、と思うかもしれません。
でも、動いていなくても自由な時には心に自由があるはずです。
 
先日、世界的冒険家が宇宙からスカイダイビングをした、とニュースになりました。
冒険家は自由です。
自分の気の向くまま、様々なチャレンジをして行く事で多くの人に夢と希望を与えてくれます。
きっと、次はなにをやってみせようか・・・と自由な気持ちが広がっているはずです。
 
 
しかし、誰もが冒険家になれるわけではありません。
この社会は多くの人たちがそれぞれの役割を与えられて出来上がっています。
その与えられた役割を否定して、いやいや生きてしまう事が不幸を呼びます。
今、この瞬間、自分の中に自由があるだろうか・・・?
その問いに応えてくれるのが身体です。
身体から生まれる感覚が自分にそれが確かだ、と感じさせてくれます。
 
 
 
自分の中の自由を広げていくのに、身体は頼りになる存在です。
頭で作ったものは一面的で、ある条件が崩れた瞬間、不安がやってきます。
しかし、身体で感じているものは別の面から自分を見ることになった時、これでも大丈夫だったか・・・安心を感じさせてくれるのです。
 
 
常に自分と向き合うことができるのが感覚です。
この感覚が広がった時の気持ちをうまく言葉にできればいいのですが、もう、それは諦めました(笑)。
むしろ、変に上手に伝えなければ・・・と思いすぎてしまったからこそ、この半年の間、感覚を文字に起こす事ができなくなってしまったのです。
 
 
それが、道具の術理に気がついたことで、このブログを今、自分が感じている事をその時感じたままの言葉で伝える事だけを目的にしたところ、また、たくさんの言葉になってきました。
 
今、稽古で研究しているのは肘の術理と道具の術理ですが、違った側面から何度も伝える事によって、適当なところでいい部分だけを受け取ってもらえそうな気がしています。
大切なのは、正しい考え方を受け入れることではなく、信じたい事を身体で確かめ、感じる事です。
頭主導の生き方から身体の感覚主導で生きていく事ができると、いつでもどこでも、なにがあっても、楽しく、幸せに生きていけるようになります。
 
 
 
それにしても、よく、毎回違う説明がでてくるなぁ、と我ながら不思議になります。
今でこそ、このスタイルが楽しく、自分でもどんな講座になるんだろう、とワクワク出来るようになりましたが、以前は与えられた時間をどう使おうかと考えて計画し、びくびくしながら、仕事をしていました。
 
 
思いつく言葉はその時間を共有している仲間がいるからこそ、出てくる言葉です。
一人でじっと考えていても出てこない言葉がふと、出てくる事があります。
今日の武道塾ではこの腕が自分の子供のようなもの、という解説がピタリとはまりました。
 
私も親ですから、自分の子供に対して、どう接し、育てていけばいいのかが不安です。
頭で考えても実際にはうまくいかないこともたくさんありますので、知識は知識として入れていますが、最後に頼るのはいつも身体です。
 
この腕は道具であり、自分ではありません。
これが道具の術理です。
とはいえ、目に見える腕はどう見ても、自分の腕です。
でも、自分ではないんです。
この変な感覚を使いこなす事が、自分と子供との関係と似ているんですよね。
 
 
 
我を使って腕を使う感覚と、腕を切り離し、腕に任せて動く感覚との違いに気がつくと、もう、我を使って動く事ができません。
だって、まったくレベルの違う動きになるんですから。
我で使う動きはまさに過保護な自分です。
自分の腕を信頼できないからこそ、我がでます。力むんです。
 
しかし、うまく切り離す事ができると、今度はとたんに自由に動き出していきます。
この時、前腕と上腕との間、つまり肘の部分に隙間が感じられるのです。
この隙間を感じてもらう事が稽古のキモだと思いますので、手をとって、それを意識してもらっています。
意識する事ができれば、それを自分で再現できるようになりますからね。
後は時間だけの問題です。
それを行う材料は全て、揃っているんですから。
 
 
 
今日も、まとまらない文章になってしまいました(笑)。
それでも、親子関係に気づくきっかけが身体にある、という事を伝えられただけで十分です。
また、言葉にする機会があるかもしれません。
気になるようでしたら、メールでも、講座の際でも聞いてください。
 
 
 
おやすみなさい。

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