毎月第一、第三金曜日は稽古尽くしの日。
今日は午前中、栄中日文化センター、午後から名鉄熱田の森文化センター、夕方から9時までが少林寺拳法、そして9時から12時過ぎまでが大人の武道塾、と一体何時間、稽古しているんだろう・・・。
そんな私は昔から練習嫌いの怠け者でした。
とにかく反復練習が苦手。
繰り返し練習をする事で身につく事もあるはずでしょうが、どうも、それが続けられなかったんです。
それが朝から深夜まで動き続けても苦にならないどころか、楽しくてしかたないようになってしまいました。
昔の私は知っている人なら絶対に信じられないはず。
こういう不思議さも武術の魅力の一つです。
甲野先生は指導者の役割は興味を生ませる事、と言われます。
強制で練習をしたとしても、それが結果に結びつくとは考えていないらしいです。
そんな師匠の下で稽古をした私です。当然、楽しく稽古する以外に方法をしりません(笑)。
しかし、練習はきつく、苦しいもの、と考えている人も多いはず。
でも、そうではない事もあるのだ、とぜひ、覚えておいてください。
苦しい練習をやり遂げる事ができるのは才能です。
しかし、苦しいだけではつらくなる時もあります。
そんな時、ただ、興味のまま、楽しさを追求してみる練習法もあるのだ、と覚えておくだけでも、つぶれなくってすみますから。
さて、この楽しい練習ですが、結果的に、いつも前向き、発展的な進歩を求めていく事ができます。
これが何よりのメリットであり、この前向きさがドンドンと新しいひらめきを与えてくれるのです。
好きこそモノの上手なれ、という言葉がありますが、まさにそれです。
四六時中、情熱を傾けられるわけですから上達しないはずがありません。
今日の金曜日はたまたま講座、稽古、が重なり、実質的な稽古時間が目立ちますが、稽古の無い時にも私の意識はずっと、身体、心に向くようになりました。
暇な時ってのがずいぶんと減りました。
退屈な時間がなくなったのです。
この退屈な時間が無くなった、という事はものすごい事かもしれません。
今、なにげなく、この言葉を選び、文字にしましたが、どんな技ができるようになること以上に、貴重なものかもしれないのです。
今、この瞬間、思いついた事を書きます。
まとまらない文章になるかと思いますが、なにかのヒントになるかもしれません。
興味が無ければ、聞き流してください。
私たちはついつい、目に見えるものを大切にします。
それは時間に対してもそうです。
今日はあれをやって、これをやって、明日はこういう事をしようかなぁ・・・と。
そして、昔を思い出しては、自分はこんな事をやり遂げてきたぞ、と。
しかし、その時間は目に見える、考えやすい時間です。
もしかしたら、その何かをしている時間よりも、なにもしていない時間の方が多いかもしれません。
サラリーマンの方であれば、朝から夕方まで一生懸命働きます。
定時になり、終わった~と家に帰った後、果たしてなにを考え、行動しているでしょうか?
テレビを見ているかもしれません。ネットをしているかもしれません。
本を読んでいるかもしれません。
その何かをしている時間と時間の間はなにを考え、行動しているんでしょうね。
人にはなにか一仕事が終わると、ふぅ~と一息ついて、頭の中が空っぽになる瞬間があります。
その瞬間こそ、ひらめきが生まれる瞬間とも言われますが、ついつい、そこに、退屈、暇を入れてしまう場合があります。
どうですか?大丈夫ですか?
暇な時間をつぶすように、ダラダラとネットやテレビを眺めてしまう事ってありますよね。
そのぽっかり空いた空っぽの時間に自分への身体の興味が入れられると、時間と共にどんどんと成長していく事が出来るようになります。
人はいつまでも、どんどん成長をし続けていく事ができる。
そんな言葉に憧れてはいましたが、自分の事とはなると、まず、無理だろうと、諦めていました。
しかし、武術を通して体の感覚を掘り下げてきた事で、成長し続ける自分というのを信じざるを得なくなってきました。
少なくとも、この17年、一度も後戻りをした事がないのです。
身体はどんどんと動くようになり、軽やかになりました。
そして、それと同時に心にも軽やかさが生まれてきています。
ココまでがそうなのですから、おそらく、この先もたくさんの気づきで、成長が止まらないと考えてます。
iPS細胞が話題になりました。万能細胞により、医療の世界の進歩は間違いないでしょう。
そうなると、私たちは安易に「死ねなくなります」。
生きることができるのだから、幸せだろうと考えてもいいのでしょうか?
楽しみもなく、ただ、生きているだけで幸せはつかめるのでしょうか?
この世界には毎日新しい話題が溢れています。
退屈から逃げるように、ニュースを探しているし、作り上げてさえいます(笑)。
誰かが自分を楽しませてくれるはず、と思っていませんか?
本当に、この先、何十年もそれで幸せに暮らしていけるんでしょうか?
私はここに不安を感じます。
誰しも、いつか、気づいてしまうんではないか、と。
本当の幸せってなんだろう?と考え始めた時、今、目の前にあるエンターテイメントがそのまま幸せになるとは到底思えません。
だって、自分の心が幸せを求めてしまったのですから、オリジナルを得なければ、幸せにはなれなさそうです。
今、こうして身体には感覚があり、それを掘り下げていく事でたくさんの楽しさが見つかることがわかりました。
「なにが」大切、という事ではないんです。
自分の身体に興味をもち、その気持ちと共に一生いられるんだ、というワクワク感もカラダラボでは渡して行きたいなぁ、と思いました。
今日の気づきは、この日記のおかげです。
日記が続くのも、読んでくれている人がいると分かるから。
ありがとうございます。