【稽古日誌】マンツーマンの稽古

昨日の深夜の稽古でだんだんと形になってきた道具の術理。
腕を肘から分離させ、動かす。いや、腕に勝手に動いてもらう、と言った方が似合います。
自分ではない誰からがこの腕を動かしているみたいな感覚があります。
 
 
その感覚がまだしっかりと残っていたのか、今日の西春ではそれをまた、確かなものへと進める事ができました。
 
 
 
西春の講座も今日から新しいクールです。
最初の1時間は初めての方とのマンツーマンの稽古となり、それも、良かったのかもしれません。
古武術とは何か、と話しながら、簡単に伝えられるもの、考えられるものを試してもらうと、一つ一つにうん、うん、と新しい刺激に驚いている雰囲気を返してくれます。
この瞬間はなにより、楽しいです。
 
 
僕らは新しいものに出会って、自分の可能性にワクワクする、って事をずいぶんと忘れてしまいました。
身体で感じる新しい感覚、不思議な感覚は虚像ではなく、自分の手にも感じられる形ある、不思議なものです。
その不思議なものを身体で感じる事で、無意識の中で自分に対する可能性を伸ばしているんじゃないかと思います。
 
 
 
そうでなければ、あれだけ自己否定のカタマリだった私がこんな気持ちになり、こんな仕事をしているはずありませんもの!
 
今、私は世界一の幸せ者かもしれない、という気持ちに日に何度もなります。
特になにをしているわけでもなく、当たり前の生活の中でです。
なにも変わっていないのに、幸せな気持ちになるって言葉にすると、変ですが、きっと、幸せに生きていくためには一番大切な力ではないかと思います(笑)。
 
 
 
一時間、初めての方とのマンツーマンの稽古は久しぶりです。
何度も手を合わせている方との個人稽古とはまた、一味も、二味も違う面白さがあります。
身体の感性、感覚の楽しさを伝えられるか、っていう真剣勝負の場でもあるからです。
 
50歳をこえられていた男性ですが、全然問題ありません。
きっと、彼よりも私の方が、彼の身体をすごいすごい!と思っているんです。
 
 
 
人は誰かに認められると成長します。
子供たちを育てるのに、知識だけを詰め込むと、絶対に失敗します。
こいつはダメだ、心配だ、と見てしまうと、その視線の奥にある思いを彼らは敏感に感じ取り、自分は心配されている、だめなやつなんだ、と思ってしまうから。
子供に対しては、大丈夫だよ、信用してるよ、という見方が大切なんです。
 
子供たちはピカピカで可能性の塊です。
実は、子供たちを見て、可能性の塊に見ることは、それほど、難しい事ではありません。
問題は私たちのような大人です(笑)。
 
 
 
ちょっと考えてみてください。
あなたは特別な存在でしょうか?
他の誰とも違う可能性の塊だと自分の事を思えるでしょうか?
 
 
俺は誰とも違う、ものすごい可能性を持つ存在なんだ、と声高らかに宣言すると、周りから白い目で見られる時代です(笑)。
特に、日本は普通が大切、均質化の力が大きな国です。
自分の可能性は周りと共に感じる事が難しくなっていくんです。
 
 
 
周りが自分の事をすごい可能性がある、と見てくれなくなることで、どうしても自分でそれを感じる事ができにくくなるんです。
 
 
 
しかし、今の私は自分自身の事が良く分かりません。
普通、年齢と共に身体は動かなくなってきます。
しかし自分の身体で感じるものは全くの反対。
毎日の発見、気づきを通して、動きがどんどん良くなり、今までできなかった動きができるようになっていっているんです。
 
自分だけの勘違いであれば、妄想癖、虚言癖ですみます。
しかし、武術はそれを形にして、確かにちがう、という事を教えてくれるのです。
 
 
これまで崩せなかった相手を崩せるようになる。
そこには必ず理由があります。
相手が遠慮をしていないのであれば、こちらが変わったのだ、とわかります。
運動オンチだった自分が、この歳で、ほめられたりするのですから、不思議です。
 
 
 
とにかく、「人は皆」すごいんです。
ものすごい可能性を持っていると確信しています。
その確信があるから、「誰を見ても」その内側にまだまだすごい可能性があることを感じられるんです。
 
 
 
セルフイメージって頑固です。
私の中のセルフイメージも頑固でした。
自分はできない、才能がない、ってセルフイメージはものすごかったんですよ(笑)。
しかし、今の自分を見つけられたのは、その自分はできない奴だっていうネガティブなイメージがあったからこそ、体の研究に満足せず、どんどんと掘り下げていけたような気がします。
 
今、ちょっと見た感じでは私をポジティブにみる人もいるかもしれません。
でも、心の中では全然ダメだ~って思っているんです。
しかし、だからこそ、また、研究に真剣になれるって分かると、自分の事が嫌いではなくなります。
この自分で良かった・・・と心の底から感じられるようになりました。
 
もちろん、これは甲野先生がそういう見方を私に対してしてくれたからです。
先生はこの17年、変わらず、私を見てくれました。
手取り足取り親切に稽古をつけてくれたわけではありません(笑)。
むしろ、なにもしない。
ただ、私の前でご自身の一番したい研究をしている姿を見せてくれました。
 
でも、これがいい、よかったんです。
もし、私を手取り足取り、じっくり稽古つけてくれたらそのたびに、できない奴だからこそ、一生懸命教えなければ、とこちらが受け取ってしまったかもしれません。
でも、違うんです。
 
動ける自分になる、というのが分かっていたからこそ、なにをやっても、心配せず、普通にお付き合いをしてくれたのだと思います。
心配ではなく、信頼されていた、と。
 
 
 
皆だれでも、自分自身でいいんです。誰かになる必要はありません。
ネットが広がり、バーチャル上では別人格を表現しやすい時代になりました。
逃避するように違う自分をネット上で演じれば少しは気楽になるかもしれません。
しかし、朝起き、ご飯を食べ、トイレに行き、働く自分は体を持つ自分です。
その自分が嫌いなままだとちょっと生きていくのが楽しくなくなります。
 
 
 
ひさしぶりにマンツーマンの稽古をしたことで、改めてこの仕事を選んだ事をうれしく思います。
それと同時に、責任も。
 
今、たくさんの知識をくれる人はたくさんいます。
セミナー、講習会は毎日山ほど、開催されていますから、ネットを探せば知りたい情報にすぐにアクセスして機会を作る事ができます。
 
 
 
でも、私はどうだったか、というと、講習会にでて知識を得ても、なにも変わらなかった人でした。
もちろん、余韻の残っている数日はやる気が出ます(笑)。
でも、やっぱり、セルフイメージがもとの自分に戻してたんでしょうね。
知識と身体が手をとることで初めて、力が出てきます。
 
 
身体感覚というのがあり、それを掘り下げ、広げていく事が新しいセルフイメージを作ります。
目の前の人にしか伝わらない事もあるはずです。特に感覚は。
大勢の中に埋もれると「自分には」無理、と思われる人もいるかもしれません。
私がそうでしたから、きっといるはずです(笑)。
 
そんな昔の自分のような人に手を差し伸べないでいいんだろうか、そんな気持ちになりました。
文化センターのお仕事はたくさん頂きました。
時間を活用すれば、同じ時間内にたくさんの人に伝えた方が良いに決まっています。
でも、自分はマンツーマンでしか気づけない人だったんです。
 
 
 
改めて、マンツーマンの稽古にも真剣に取り組もうと思います。
稽古というと重いかもしれませんが、身体のカウンセリングだと思っていただければいいです。
自分の身体を知識からではなく、感覚から見直してもらいます。
手の上げ下げが感覚を意識しながらやってみると全然、違うものになるんです。
 
現在、個人稽古は名古屋の稽古場で行っていましたが、今日の思いを機に出張稽古にも対応いたします。
稽古代プラス交通費でお考え下さい。
なお、場所はどちらでも結構です。
公民館でもご自宅でも。
個人とは言いましたが、お友達どおし、ご夫婦でもかまいません。
気の知れた安心できる環境で自分の身体に向き合ってみる、という事ができれば、OKですから。
 
 
詳しくは下記のページでご確認下さい。
 
 
それにしても、なにが自分の思いをつくるきっかけになるか本当にわかりません。
今日の西春での講座でたまたまマンツーマンにならなければ、こんな思いにはならなかったのですから。
文化センターの講座でマンツーマンになるって、ほとんど、無いんですから、余計にそのありがたさを感じたのかもしれません。
 
 
長文お付き合いくださいり、ありがとうございました。

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