このところ、毎週のように、発見が続きます。
甲野先生にお会いして、半年ぐらいたった頃から、発見を通して元気になる、って事を繰り返してきました。
大人になると、肉体的な成長が止まります。成長と言うよりも、衰えを感じる方が多くなるのかな?
とにかく、子供の頃の自由さが無くなり、色々と考えるようになっていきます。
でも、そうじゃないんだ、と知ったのが17年前。
以来、ずっと、自分の中に成長を感じながら、暮らして来れました。
なにより、この自分の中に成長を感じられる、というのが、楽しくて仕方がありません。
そして、この成長感はきっと、この先もずっと、なくならないだろう、と思っています。
甲野先生は自分にはスランプがない、と言われます。
これは、スランプを感じるよりも、まだまだ、こんなものでは古人の足元にも及ばない、という思いがあるからだそうです。
自分が「いい」と思えば、そこの場所を大切にしてしまいます。
しかし、それは、守りの姿勢も同時に作ってしまいます。
成長って進む事です。
その場でじっと守ると言うよりも、前へ前へと、進むこと、いや、進んでいってしまう情熱が成長ですね。
だからこそ、稽古に義務感やガマンがあってはいけないのです。
情熱を感じて、それに従っていれば、自然と身体がそれに引かれて成長していってしまう。
これが私の感じている稽古です。
去年の夏ごろだったと思いますが、胸の中に熱さを感じた事がありました。
え~っと、どんな手順だったかなぁ・・・(笑)。
両肩を締め、腰を背骨に沿って突き上げ、少し、身体を回転させてみると、ちょうど、胸の辺りで火起こしをするように切りもまれる感覚があり、その接点にボワッと熱を感じたんです。
これだけであれば、まぁ、そんな妄想があっても、となるんですが、武術の良いところは自分の感じた「感覚」を相手が受け取ってくれて、変化を外に見せてくれる部分です。
自分が熱を持った状態で相手に近づいていくと、相手が一歩、後ろへ引いてしまうのです。
衝突するべき場所が触れる以前に、「つい」、引いてしまうんです。
対峙している人の間に感覚が共有される、というのはこれまでも感じていましたが、触れてもいないのに、その感覚がこれほどまでに影響しあうのか、というのを初めて感じた術理でした。
問題はその感覚の共有を扱えるかどうかです。
共有するのは簡単、そして、確かです。
後は、それを使って、導いていけるかどうか、それが大切ですからね。
情熱、という点で言えば、時々情熱がパッと出てくる時もあるでしょう。
しかし、次第にその情熱の炎がまた、小さくなっていきます。
これでは、武術としてはつかえません。逆にそれに振り回されてしまっているのですから。
しかし、自分の身体を操作して作り上げた情熱は自然な情熱には及びませんが、いつでも、どこでも、生み、動かせる炎です。
炎になってしまえば、その元が火起こしだろうが、マッチだろうが、ガスであろうが、変わりません。
燃えた情熱を武器に進んでいけば自然と相手との情熱の勝負になります。
武術の身体操作で生まれる感覚は自然なものではありません。少なくとも、私のレベルでは。
求めているのは、これをいかに、自然にしていくか、です。
ドラマを見ていれば、自然な演技をされる俳優さんはごく一部です。
皆、フリをしながら演じているのが、見えてきます。
私たちのこの生活も、色々な役目を背負い込んだ演技のようなものかもしれません。
子供たちは自然に自分の身体のまま、心のまま、生きているのでしょう。
しかし、大人になれば、それこそ、自然に、誰かの影響を受けていくものです。
そして、そこで、ガマンをつくり、硬くなっていきます。
自分を固く抑えているものはなんだろう?
そんな問いを持たなくっても、表面的には幸せに生きていける世の中を私たちは作り上げてきました。
しかし、いつか、どこかで、心の声が大きく叫びだす事もあるんじゃないかなぁ、と思います。
そうでなければ、こんなに豊かで恵まれている日本なのに、これほどの閉塞感がでてくるはず無いですもん!
機械が進歩しましたからね、ついつい、新しい機械や仕組みに頼り、この今の状況をなんとかしてほしい、と願ってしまいますが、もう一つ、この環境を変える方法があるんだ、という事を忘れないで下さいね。
武術の世界は環境に文句をつけないところから始まります。
ルールが無い状況で、いかに、自分らしく生きるか、を求めていると考えています。
相手が複数かもしれない。
こちらの体調が悪いかもしれない。
不意を突かれ、卑怯な策略にはまるかもしれない。
それでも、文句を言えないのが武術の世界です。
変えられるのは、自分の身体、心です。
はっ!と驚いても、次の瞬間、自分の身体を整え、落ち着く事がなによりの解決法だと教えてくれているのです。
現代では直接的に戦いを必要とする人は多くありません。
しかし、目に見えないレベルではみんな、戦っているのです。
あと、数百年もすると、みんな仲良く、という世界もくるかもしれませんが、今は今です。
今のこの世を充実させ、満足、納得していきるには自分の覚悟や情熱、そして、経験から学ぶ遊び心が必要です。
武術はそれを教えてくれるものだと思っています。
カラダラボの講座は各地、月に一回、二回ですが、私が道院長をしている道場では少林寺拳法を通じて心と体のつながりを週に二回、繰り返し教えています。
お近くの方はぜひ、見学からお越しください。
こちらが少林寺拳法のホームページです。
写真では子供が多いですが、大人の方も大歓迎です。
むしろ、親である大人、老いを感じているけど、なんとかしたい、と思われている大人の方と一緒に練習していきたいと思います。
子供たちの良いお手本になりたいですよね。