【稽古日誌】半歩の術理、応援の術理

昨日、このところ話をしている半歩をだす術理の意味に気づいちゃったんです!
ただ、足をポンとだす動きに、こんなにも深い意味があるとは思いも寄らなかったなぁ。
もちろん、これは、自分の中に生まれたものなので、全然、それに従う必要ってありません。
むしろ、この記事を読んでむかむかしてくる人もいるかもしれません。
でもね、体に出てきたこの感覚と思いには揺るぎないものがあるんです。
ちょっとやそっとでは引き下がりませんよ(笑)。
 
 
 
仙骨の意識から始まって、背骨を使うことで情熱、信念を育てることができるようになり、その余裕から筋肉を原動力ではなく、舵取りに使うコツをみつけ、軽く体全体を動かすことが出来るようになりました。
誰でも、この体を軽く早く、動かすことができる、という自覚は体の可能性を伝える事を仕事にしている私にはなによりの自信になってます。
 
 
 
その後、肘から先は体ではなく道具、という言葉から肘を切り離す感覚が生まれ、自分の中にあった「我」を見つけ、それを抑える事で、これまで以上の「結果」を引き出すことができる事がわかったんです。
 
道具を活かすことで結果として出来ることが増えたんだけど、やはり、そこでも満足しなかったんだよね。
自然と、自分の中にあるものを相手にも伝えたい、と思うようになったんです。
そしてアドバイスをしながら思ったことがあったんです。
 
 
 
 
それは、相手を怖いと思って向き合うよりも、相手に対して、なにか出来ることはないかという目で向き合ってみると、自分の体は崩れないし、相手も敵として力を出しにくくなる、と言うことだったんです。
 
 
 
刀を振り下ろしてくる絶体絶命の状況でも、相手の指導をする意識、サポートする意識を持つと、心と身体に余裕が生まれてくるんじゃないか、と感じるようになり、稽古の中にすこしずつ、それを当てはめて、どんな原理がそこにあるのかを探してきました。
 
 
結果を生み出す道具の術理の次は、相手を自分が導き、人と思い向かい合う事ではないか、と予測していました。
 
その予測が昨日、現実になったんです!
 
 
 
まさに、「相手の為」を思うことで、立ち会いの状態が変わります。
変わるというのも、ちょっとした変化ではなく、大激変!
とにかく、衝突の質が変わってしまったんです。
 
もちろん、まあ、昨日の今日ですから不確かなことは山ほどあるんですけど、間違いなくこれまでとは違ったレベルに入ったな、という実感があるんですよね。
 
 
 
具体的には相手に対して「半歩」だすんです。
半歩の術理はそのままです。
半歩の術理に気づいたのは手指が勝手に動く事がきっかけで、それを足にも見つけたからですが、その足指には手とは違った意味があったんですね。
 
 
 
 
当たり前すぎて気がつかないことばかりですが、私たちのこの足は転ばないように、無意識的に、いつも、バランスを保とうと働いています。
肉体的なバランスをです。
 
あっ、もしかしたら、この手指は心のバランスをとってるのかな?
これも、ちょっとおもしろいテーマになりそう!
でも、今日は足指に話を戻しますね。
 
 
 
足指は無意識に肉体を転ばさないようにバランスをとっているよね。
私たちの脳はバランス保持にその働きの多くを費やしている、とどこかで聞いたことがあるけど、そのバランスって、自分だけのバランスを考えていることが多いの。
 
でもね、昨日気がついた応援の術理は相手に対して、自分のバランスを捨ててまで、向き合うって事をしてる、そんな気がするんです。
 
 
 
お客様は神様です、って言葉があるよね。
相手のことを気遣うことは日本の文化の中ではとっても大切なことです。
でも、それはどのレベルで気遣っているんだろう?
ネガティブな私はいつも、そんな事を考えます(笑)。
 
頭では目の前の人を大切に、と「考えること」はできます。そして、考えたい!って事も。
でもね、その考えたことはちょっと、アクシデントが起こると、すぐになくなってしまうほど弱いものだったりするんだよね。
これって、結局、口ではいいことをいいながら、心の奥では自分のことばかり考えていることじゃん、って思うの。
厳しい?(笑)。
 
 
 
特に武術は自分を倒そうとしてくる相手を排除したい敵と思わず、その立ち会いの瞬間を最高に自分にとって必要であり、納得できる瞬間にする、というものです。理想がとっても、高いんです(笑)。
いや、私がそう考えるってだけですよ。
たいていの場合は目の前の相手をとにかく排除したい、って事を考えちゃうはずですから。
 
 
 
 
この答えを出すのが不可能に思えるきっかけになりそうな事が今書いてる半歩の術理、応援の術理です。
とにかく、今、感じていることを残しておきたくって、昨日の体の感覚を思い出しながら、書いています。
 
 
 
 
相手に向かって半歩をだすって動きは、相手を受け入れるという意味を持っているようなんです。精神的にではなく、肉体的に。
普段は自分だけのバランスをとるのに精一杯です。
両足でしっかりと立っていられるのも、たくさんの外からの刺激、ストレスに対して、自動的に足がバランスをとり、支えているから。
時々足がバランスを取れないほど崩れたとき、心に不安が生まれ、弱気になったりしています。
 
 
この時、我を張らずに、足指に任せておくことが一番のバランスをとる方法だ、と気づいたのは手指の動きと同じですが、足指を相手に対して使うことで、相手と一つになることができるようだ、と気づいたんだよね。
 
この相手と一つ、というのは肉体的なバランスを通してですよ。
 
 
 
普段は自分の事だけで精一杯です。
外からの刺激は肉体的には、めんどくさいもの、ない方がいいものとしている人が多いはず。
だからこそ、私たちはストレスを感じないですむように便利な世の中を作ってきました。
 
 
 
ストレスに対して、排除するという方法で向き合ってきたんだよね。
しかし、半歩の術理は外からの刺激をストレスとして受け止めるのではなく、自分の一部として、受け止めるの。
それを体で表現したのが、半歩の術理、心で表現したのがお客様は神様です、じゃないかなぁ、と。
飛躍のしすぎでしょうか(笑)。
 
 
 
相手を認識した上で足を「出す」んですが、足を出そうとしてしまうと、大変。そこには「我」が入り込みます。
この「我」はどうしても、今の自分を守ろうとしてしまいますからね。
 
足指に任せることで、自然と出て行くようになるんです。
この時の動きが「半歩」です。
 
 
 
その足指が自動的に動き、相手とのバランスをとると、自分にとって、相手はなくてはならないものになります。
それまで、自分が転ばないことだけを求めてきたのが、相手を守る、という意識に変わっているんです。
 
この力はどれぐらい向かっているんでしょうね。
 
 
 
私たちの脳の性能は考えている以上に、遙かに高い、というのは知ってるよね。
その大部分を転ばないように、っていう姿勢保持に使っているはずです。
その大部分をそのまま、相手に渡してるんです。
 
相手はこちらからの思いをもらうことで、自然と、敵ではいられなくなり、自然と一体化するんじゃないだろうか・・・というのが今考えられる事。
 
 
 
とにかく、とりあえず書いてはみたけど、どうも意味不明です(笑)。
いや、体では確かにわかってますから、再現はできるんです。
そして、その感覚は昨日よりも今日の方が、さっきよりも、今の方が強くなっています。
人でしか感じられなかった一体感が、目の前のコップに対しても使えるようになってきました。
 
 
 
きっと、すこしずつ、感覚が言葉になって、伝えられることが増えてくると思います。
また、たくさんの面からお話ししていきますので、興味があれば、また、読んでください。
言葉にすれば、ややこしいことも、体験すれば、あっという間にわかることもあります。
興味がある人は、ぜひ、試してみてください。

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