今日は大垣で大人の武道塾。
カラダラボって「会」は多分、変なところ。
でも、それは、甲野先生から学んだものだって、思い込んでます(笑)。
なにが変かって、自己紹介もないし、名前も仕事も別に言わなくてもいい。
その日の稽古、講座にも途中からの参加も、先に帰るのもとにかく自由。
連絡すら、要らないと思ってます。もちろん、連絡してはいけないってわけではなく、連絡してくれれば、予定は立ちますけど(笑)。
何年も顔を合わし、手を交えているのに、なんとなく、名前を聞くタイミングをなくして、名前がわからない、なんて、事も!
それでも、大丈夫なのは、そこに参加している人が皆、自分の体からみる自分に真剣だから、だと思うんだよね。
義務感なく集うってなかなか難しいです。
特に、「組織」という形があると。
組織に入会し、名簿ができると、そのメンバーのなかでなんとなく、約束ができます。
練習日が決まってくると、そこに「行かなきゃ」という気持ちも生まれます。
もちろん、その義務感で向かっても、稽古しながら、気分が良くなる事もあるはずだから、まぁ、良いんですけど。
自分の中でわかってればいいんです。
もしかしたら、その自分が「決める」という事を最初から甲野先生はさせてくれていたのかもしれない・・・。
この辺のあたりは甲野先生の「武術を語る」という著書など、初期の頃の本に詳しく書いてあります。この辺の本はマニアックで、敷居も高く感じられるかもしれませんが、ぐっと、心を掴まれてしまうかもしれません(笑)。
オススメしておきます。
さて、今日の大垣の稽古でも中心になったのはハサミの原理。
紙をビリビリ破りながら、両手の間に「関係性」があるのを見つけます。
両手が連動している、って事がわかると技がこれまでとは全く違う感じになるんですよね。
働きとして注目している点は二つ。
「速さ」と「気配」です。
相手が抑えてくるのはこの「手」です。
抑えられてくれば、当然、力がぶつかり、動かしにくくなりますよね。
これを抜いたりするというのはどこの流派にでもある「技」ですが、技を発揮するのは、その状態を「困った事」と「認識」しているからです。
その状態をね、困ったと思うのか、平気だと思うのか・・・、ここに、大きな差があるんです。
ハサミの原理で出てくるスピード。スピードが桁違いになる事で、抑えられても気にならなくなるから。
抑えるってのには「方向」があるんです。
手を抑えて上がらないようにするってのは、上に来ないように下へと抑えてるよね。
上がダメなら、下へと手を動かしてみたらどうなると思う?
上に来ると思っていた手が下へと逃げる事で、抑えている人は騙されて、崩されます。
まぁ、フェイントとですね。
でも、この後が違うんです。
フェイントで崩された後、下へと向かっていた手が今度は一転して上へと戻ってくると、その動きを抑えきれずに、今度は上への力も止められなくなるんです。
下から上への力がものすごいスピードで変わるから結果として、抑えきれずに、手が上がるようになります。
この時、説明をしながらすれば、手の動きの軌跡も見えますが、説明なしにそれを行うと、なにをされているのか、わからないかもしれません。
さらに、「ハサミ」ですから、相手が抑えてきた時に「何度も」力の方向の転換をしていけば、だんだんと崩れていくんです。
頭では分かっていても、体が動くまで、タイムラグがあります。その「速さ」を生む事ができるのが、左右の手の連動です。
でも、どうして、その連動に気づいただけでこんな「スピード」がでるんだろう?
稽古っていつもこんな感じです。
自分の動きなのに、よくわからないんです(笑)。
出来るが先、分かるが後、です。
自分の中に生まれた速さの原因はきっと、バランス。
肘から先を道具として、子供として認識した時、その手は無邪気に暴れるように、反射的なスピードが出てきました。
ただ、子供ですから、転ぶんです(笑)。
それでも、相手を崩すのには十分なんですけど、転んだ瞬間を抑えられると、ちょっと弱いんです。
その弱い瞬間を反対の手が「常に」バランスをとる事で、崩れないっていう安心感が生まれるんじゃないかなぁ、って。
私たちの頭の中では「転びたくない」って無意識の願いがずっと、動いているんですって。
その転びたくないってのはね、姿勢の話です。
人としてこんな重い頭を持ちながら、この小さな足で直立二足歩行ができるのは、無意識のバランスを常に取っているからだそうです。
怖さが常にあるんでしょうね。
子供であれば、転ぶことに抵抗はありません。ただ、興味のまま、楽しめばいいし。
でも、僕らは大人だからね。いろんなところに不安を作り、恐れています。
怖れが出てきた時、なぜ、それを怖れるのか?それを考えるきっかけにもなりました。
逆に、自分の中にワクワクする期待感が生まれた時、なぜ、それが生まれるのかを考えたくなっています。
これ、「陰陽」の話と一緒だな、って。
ものごとには陰と陽があるんだ、ってのは知ってますか?
太極図ってありますよね。黒と白とが動いているような絵。
あれは宇宙の根本原理をあらわしているんだそうです。
頭ではそういうのって、分かるんです。
左があれば右もある。上があれば下があります。表があれば裏もありますし。
でも、そのバランスを取るのが大変ですよね。
しかも、それを体を通して、実感できるようになるのは・・・。
その陰と陽との秘密を今、この体で感じています。
自分の体を見ればそこに左と右があるじゃないですか。
普段、無意識の時にはその左と右は抜群に良いタイミングで連動しているんです。
でも、つい、意識をしてしまった瞬間、どちらかにとらわれちゃうんですよね。
バランスというのを体で感じた事で、これから自分の中で生まれてくる「対立」に対して立ち向かえるかもしれない、って希望が出てきました。
やっぱり、カラダラボはこんな事を考える場所なんです。
まぁ、それが私の性格なんですけど。
めんどくさい事なんか考えたくないって人もいるかもしれません。
でも、自分ってなんだろう?社会って何だろう?生きるって何だろう?って答えの出ない疑問を持っちゃう人もいると思うんです。
私は甲野先生から体、というのがある、というのを教えてもらいました。
それまで、目には見えていても、感じた事のないものでした。
体を感じるようになって、歳を重ねるごとに、どんどん、心が軽くなるんです。もちろん、その理由は体が軽くなるから。
歳を重ねるごとに楽になるって、すごいと思いませんか?
どうも、そういうものって、普通には見当たりません。
頂いたものを今度は私が伝えていく番だな、って思っています。
来週金曜日、甲野先生が名古屋で講習会を行います。
人生が変わるきっかけになる人もいるかもしれません。
もちろん、全員ではありませんが。
それでも、今の自分ってなんだろう?って事を感じられる経験になると思いますし、目の前で60歳を過ぎた方がものすごい動きをされるのを見る事で、人間に対する無意識のストッパーが外れます。
もちろん、当日、疑問があれば、サポートもしますからね。
お待ちしています。