【稽古日誌】アクシデントをどう受け止めるのか。

日付が変わったので、昨日の話。
ちょっと遠出をして大阪まで行ってきました。
仕事ではなく、遊びだったので、気も抜けていたのかもしれません。
通天閣を見て、おいしい串カツを食べ、心も身体も満たされたところで、さぁ、次に!と言うところで、駐車場から車を出す時に、商店街の街路灯と接触・・・久しぶりに事故を経験してきました(゚o゚;;
 
 
 
ガリガリっという音と共に感じる振動・・・。
身体がぎゅっと縮こまります。
 
こんな時、間違いなく、心もそこにはいられません。
いったい、自分の心はどこへ行ってしまったんだろう、と思うぐらい、自分を見失ってしまいます。
 
こんな時こそ、身体に任せて自分の心を取り戻すんだ!と頭には浮かんだものの、さすが超ネガティブな私の心です。
なかなかいつも通りの自分には戻れません(笑)。
 
 
 
師匠である甲野先生は愛用の刀が演武の際に欠けてしまった事があるそうです。ほんの僅かだったそうですが。
その瞬間、いろんな思いがわいてきたそうですが、次の「瞬間」にはこれを受け入れ、いつも通りの自分に戻ることができたとのこと。
 
そのレベルにはとうてい、遠く及ばない、って事がよ〜く、わかりました。 
 
 
 
それでも、こんなに心を揺らされ、身体をビビらされるのは久しぶりです。
この経験、この感覚を稽古、研究に使わない手はありません。
 
この世には時間って言うエネルギーがあって、ぼーってしてると、その時間が自分の悩みをいつの間にか解決しちゃったりします。日にち薬って奴です。
 
でも、そんなもったいないこと、出来ません。
帰りの道中、そして、帰ってからも、ずっと、この感覚を材料に今、自分が持っている観念、先入観を探してみました。
ブログの更新が出来なかったのもそのため。
毎日の更新が大切なわけではなく、いかに自分の中をより、クリアに掘り下げていくか、ですからね。
 
 
 
ちょっと前にケガと病気のいついて考えました。あっ、一昨日だ(笑)。
病気は地運、ケガは天運、ってところまで、いったんです。
病気もケガも自分の中や周りにある力、エネルギーなんだと。
 
それが自分の中ではっきりと分かったことで、病気やケガに対して考え方が変わってきました。
きっと、この先、生きていれば、病気もするし、ケガもすると思うんです。
世の中は病気やケガをなくす努力をしてますが、私は違うんです。
病気やケガと出会っても、普通でいたいなぁ、と思って稽古してますから。
一昨日という日はそれに一歩近づいた日なんです。
 
 
 
生活習慣からくる事の多い病気に比べて、ケガは偶然、アクシデントのようなものです。
事故というのも不注意というのもありますが、思いも寄らない出来事、という事で瞬間的にやってくるアクシデントと考えられるかも。
 
事故は事故として反省するとして、なぜ、事故が起きたかと言えば、自分の周りに勢いがあるからではないか、って考えてみました。
天運、という外にある波のようなエネルギー。
波はエネルギーになりますが、うまく乗りこなせられなければ、おぼれてしまいます。
 
波のない平和な生みはぷかぷか浮いて楽しいですが、ずっと、そこにいればどうしても、飽きてしまいますよね。
波があっても、それに乗れることを知っていれば楽しくなるはずです。
 
 
 
事故を通して自分の中の不安や心配ってのを見ることができます。
そもそもその事故にあったときの備えとして保険があります。
もちろん、その保険にも入っていますから、不注意を反省することはあっても、事故を起こしたことで自分を見失う事っていらないんです。
そのための保険なんですから。
 
頭では普通、平常心でいたい、って願うんです。
でも、勝手に心が揺れてしまいます。
それを周りで見ている人は、大丈夫、ケガもないし、相手もいないし、保険もあるでしょ、良かったじゃん、って言うかもしれません。
それは自分の「アタマ」では分かるんです。
でも、自分の身体と心は勝手に不安と心配と足らない自分を責め続けるんです。
 
仕事なんかでもこういう事ってありますよね。
いや、むしろ、車で事故を経験するよりも、仕事の中での失敗の方が多いかもしれませんね。
 
大きな失敗があったとしても、その失敗に囚われず、次になにができるかを考えていった方が遙かにいい仕事が出来ます。
それと同じかもしれません。
でも、世の中にはそれを簡単に出来る人と、そうでない人がいますよね。
もちろん、私はクヨクヨ考えてしまうタイプです。
 
 
 
それは今でも変わりません。
ただ、依然と違うのは今はそのクヨクヨした思いを身体を使って、動き方、姿勢を変えることで、とってしまうことが出来るようになってきたんです。
時間はまだ、かかりますけどね(笑)。
 
 
 
人生で起きることは全部、経験なんです。
失敗も経験です。
その失敗に自分は負けない人間なんだ、と分かれば、もっと強くて優しい生き方ができるはずです。
 
その経験をえるのにお金はあまり役に立ちません。
経験をできるって実はものすごい事かもしれないんです。
 
便利なモノが無かった昔であれば、毎日を生き抜くだけで、そうとう、たくさんの経験が出来るようになったはずです。
しかし、現代は身体の負担が機械や高度なサービスのおかげでどんどん減っていきました。
経験がアタマで止まってしまっているんでしょうね。
アタマで止まったものは経験とは言えないかもしれないんです。
身体で感じてこその経験ですからね。
 
 
 
甲野先生はアクシデントに出会ったとき、こう思うそうです。
「これは人生の税金なんだ・・・」と。
あらゆるところに陰と陽のバランス、法則があります。
アクシデントなく、思い通りの出来事ばかりになった時、そのままですむはずがありません。
光のあるところには影も強くでてきますからね。
 
 
 
久しぶりの事故の経験は自分の中の弱い部分をとってもよく、見せてくれました。
その弱い部分をつい、強くしたい、って思ってしまうのも人間です。
でも、その弱いと思いこんでいるものですら「我」なのかもしれないんです。
今必要なのは弱いところを強くする努力ではなく、自分が弱いんだ、と思っている観念を手放すこと。我を抜くことです。
 
そのために必要なのは自分が軽く身体がなくなったかのように動くことです。
自分の周りに渦巻いている波のエネルギーに乗れるほどの軽さを探すきっかけになったかもしれません。 
 
 
 
ケガはまったくありませんでしたので、ご心配なく。
 
そうそう、今日はとにかく、変な日だったんです。
帰りの際、高速道路を降りたとき、ETCカードが反応せずにバーが開かないんです!
こんな事初めて。
色々あるんですね(笑)。
 
 
 
さて、今から、自分の周りにあふれている波を見つけ、乗れるようになれるか、転びながら遊んでみようかと思います。
 
もっともっと、偶然と必然、天運と地運についても話を続けたいですが、そろそろ、おしまいにしますね。もし、興味があれば、稽古、講座の時に話しましょうね。
ありがとうございました。

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