【稽古日誌】大人の武道塾の前に

今日はこれから浜松での大人の武道塾です。今駐車場でこのブログを書いています。
手軽にブログが更新できるようになってその瞬間、思っている事、感じていることを言葉にできるようになって随分と研究が進みました。
古武術の稽古はコツコツ積み上げるものと言うよりもいかに自分の中にあるもの吐き出し続けるか、というところにあるみたいです。
今、研究の中心になっている肌の動きに関しても、昨年の稽古納めの際、稽古しすぎてもうそれ以上自分の中に何も残っていない、そんな状態から新しく気づかされた動きでした。
その日は結局、12時間ほど稽古し続けたわけですが、それだけ長い間、体を動かし、言葉にしているとさすがに自分の中でも、「飽き」というのが出てきます。
なんとなく飽きというのは不真面目な印象を与えると思いますが、実はこれ、自分の中の求めているものが素直に出ている状態ですから、飽きている状態の時ほど新しい発見が生まれやすいともいえるんです。
それでも私たちは学校というシステムの中で知識を押し付けられる経験をたくさんしてきました。つい、今抱えてる問題の正解があるように感じてしまいますが、本当の意味での正解というのは、ありえないものです。
正解があるとすると、それは自分自身の中でこれでいいという納得こそ、その時の正解といえるんじゃないかと思います。
古武術の体験は常に非日常的な感覚の経験です。自分が崩され倒された瞬間、理由がわかれば納得もできますが、ただ触れられただけ、わずかな接触で崩された事実は頭にパニックを引き起こします。
武術的にセンスのいい人というのは、パニックを起こしたあと、冷静に自分の状態を観察できる人です。しかし、多くの人にとってその自分の観察というのは難しい事です。なぜなら、毎日の生活の中でパニックというものは排除すべきものであり、考える機会が少ないですからね。慣れていないんです。
それでも、武術の技というのは再現性のあるものです。その瞬間たまたま相手に技がかかったのではなく、術理というものがあって、常識的には考えられない接触で相手を崩しているわけです。その瞬間頭にパニックを起こしたとしても、少し時間を経って改めて技を受けてみると今度はもう少し冷静になって自分を観察する事ができます。
人によってその冷静になる時間というものは違ってきますが、ひと月もあれば間違いなく冷静さを取り戻して自分の状態を観察する事ができます。
私は子供の頃から自信のない人間でした。何をやるにしてもネガティブな思考が先に生まれてきました。それでも、古武術を通して体を観察していく事と、この体の可能性の大きさにワクワクせざるを得なくなってきました。
無理やり自分は凄い人間なんだと暗示をかけるのではなく、どう考えてみてもこの体の精妙さに頭を落とすしかないのです。
ポジティブな人であればあらゆる事を通して前向きにどんどんどんどん進んで行けるはずです。自分の思い通りに前にすすんでいけばそれで幸せになれるでしょう。
しかし、ネガティブ思考な人はまず、自分自身への重要観をしっかりと持つことが先かなと思っています。身近にいる人達はきっと、あなたは大切な人、価値のない人なんていない、と言ってくれるはずです。しかしそれを否定するのも自分だったりします。私はそうでした。
今、身体を通して自分自身に無限の可能性を感じるようになってきました。そしてそのカラダは私だけではなく、みんなが自分のものとして持っている体です。才能があるないと言うような小さな問題ではないです。
どうしたら皆さんも持っているその体の凄さをもっと、もっと、伝える事ができるんだろうか。私のレベルでは手を合わせてでしか今はまだ伝えられません。
今は自分にできる事をしっかりと目の目の前の人に、この体を通して伝えていこうと改めて思っています。きっと今日もまた良い稽古ができるはずです。
言葉にするのは苦手ですが、あきらめずにこちらの方からもしっかりとお伝えしようと思っています。

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