【稽古日誌】怖れを手放すそのタイミング

ちょっと変な話をしますね。
普段、好きなだけ時間の取れる大人の武道塾辺りではこんな話ばっかりしているんですけど(笑)
どうしても、2時間ぐらいの文化センターの講座だと、ここまでは入り込めません。
なぜかと言えば、答えのないものだから。
答えが無いものを一緒に追い求めるって、ちょっと、慣れていないとストレスになるんです。
 
言って見れば、その答えのないところから、少しずつカラダの使い方として出てきたのが術理っていえるかもしれません。
ちょっと前に話をしていた「親・子・孫」の話も技の体験無しに話をしだすと、間違いなく、不機嫌な顔をされちゃうもん(笑)
 
それでも、動きを通して体でその「違い」を体験してもらうと、それは厳然たる事実として、カラダに入ります。
暗示じゃないだろうか・・・とか、いろいろと考えて良いんです。
カラダラボの稽古にはなにも遠慮するものがないですから。
 
そういう、自分の頭を守っていた常識が壊れて、いよいよ今、このカラダで感じていることはなんだろう・・・となった時、新しい価値観が得られるんじゃないかなぁ、と。
 
 
 
「親子孫」の話もカラダで分かるってすごい事だと思うんです。
親として困っている人、子供として困っている人、いっぱいいますよね。
どんなに「正しい」事を言われても、それを受け入れるまではやっぱり大変です。でも、カラダでまず確かめてしまったことって強いですからね。それが進むべき指針になってくれるんです。
 
 
 
と、まぁ、昔の話は置いておいて、今、この瞬間の話です。
この「皮膚」の発見から自分の体が触覚として受け取っている情報は今までは加工されたものだと分かってきました。
そして、加工していたのは自分なんだと・・・。
 
 
 
よく「ありのまま」を感じる、今ココを生きるって言いますよね。
でも、あぁ、そういう耳触りの良い言葉で自分をごまかしていたんだなぁ、って反省しますもん(笑)
 
もしかしたら、今日の話は聞きたくない人もいるかも(笑)
武術的に調べると、今ココを・・・と言っている人も、実際に体に直接ストレスを受けてしまうと、その感触にやられて、嫌な気持ちを出してしまっているからです。
 
でも、続けさせてくださいね(笑)
どんな事を言われても、今、この体で感じている感覚の「層」は伝えなきゃいけない、確かなものだと思っていますから。
 
 
 
触覚で言えば「肌」が一番最初にそとからの刺激を受け取っているんです。
でも、普通、僕らは筋肉にその刺激を感じて、抵抗しようとします。しかし、その筋肉に入った段階でもう、ありのままではなくなってしまっているんです。
少しでも、意図が入ってしまうと、そこに相手の意思とのずれが生じます。そのギャップが衝突として出てくるんでしょうね。
負けないために他の力を集めたり、トレーニングで鍛えたりして解決を図りますが、そもそも、最初の刺激を肌で感じ、任せていれば、相手と一つになれるような問題だったのかもしれません。
 
 
 
そして、今からが本題。
頭の中でぐるぐる、考えては壊している問題です(笑)。
 
 
肌が触覚としての「1次情報」なんです。加工されていない、相手のありのままの力を肌が受け止めています。
この「1次情報」ってのを考えた時、もしかしたら「視覚」にもあるんじゃないか・・・と思ったんです。
 
そこで稽古になるのが武器の稽古です。
目の前に自分の力では敵わない武器を持った相手が現れると、とたんに体が緊張し、困りますよね。
武器と言うのはガマンの聞かないものです。素手で殴られたり、極められたりするのであれば、それに負けない力を用意しておくとまだ、我慢が出来、そこに隙がうまれて逆転も可能です。
でも、相手が武器となるとそうはいきません。触れたら切れてしまうんですから。
 
そんなものをどう相手にするのか?
もちろん、テクニック的にはたくさんのものがあるでしょう。
相手に負けない強い武器を持つってのも方法の一つです。
 
でも、なにがイヤかって、怖いんです。
武器を持った相手を前にした時、自分の中に生まれる怖さがイヤなんです。
 
 
 
これがね、スポーツとかならいいんです。
ルールの中で勝てばいいんですから。
でも、武術となれば、その状況でなんとかなっても、自分の中の怖さを隠したままでは、どこかでその怖さがまた、顔を出してきます。
 
 
合気上げのような状況ではだんだんと、怖さが無くなってきました。
どんなに抑えられても、大丈夫だよなぁ、って思えるようになってきましたから。
でも、そこにナイフ一つでてくると、もう「怖い」です。
もしかしたらナイフが怖くない人もいるかもしれません。
でも、どこかで自分の限界を超えて怖さが出てくる事もありますよね。
「怖さ」って何だろう?って考えた時、ちょっと、答えが見えてきたんです。
 
 
 
大丈夫かな?
なんか、長くなってきました(笑)
まぁ、いっか・・・。
 
 
自分になぜ、怖さが生まれるのか?
その仕組みのようなものを感じたんです。手がかりになったのは「1次情報」。視覚的になにが「1次情報」なんだろう?と考えていて、自分の心に怖さがでてくる瞬間がすこし、見えたんです。
 
目の前の武器に対してどこで、怖さがでてくるのか?
自分が見ているものは当たり前ではなく、なにかを見た、と認識した時にはもう、それは加工されたものだったんですね。
 
おそらく、私たちのこの目はあらゆる瞬間、光をこの瞳に集めています。
ビデオカメラを廻し続けるように、ただただ、情報として、刺激として入っているはずです。
そのたくさんの情報の中から、フォーカスを集め、なにかを見つけるんです。
このフォーカスを集めてしまう事を無意識にさせてしまっているからこそ、体の自由を奪われてしまうんです。
 
 
 
もしかしたら、この瞬間に起きている事が「ひらめき」かもしれない、そう思いました。
つまり、ひらめきはある特殊な状況だけで起こるものではなく、私たち人間にとって、「常に」起きているものかもしれないぞ!って。
一人、こっそり、興奮してました(笑)
 
それでですね、そのひらめきを得た時には、それに対する質問を持っていることに気がついたんです。
 
目の前に武器がやってきます。
反射的にそこにフォーカスをあわしてしまうんですが、その瞬間、自分にはこれ、交わせないよなぁ・・・っていう質問を投げかけてるんです。もちろん無意識に。
その出来ないよね、っていうほぼ諦めともいえる質問に対して、体が応えます。そう、無理無理・・・って。
そして体はいつもと同じように、固まってしまうんです。
 
 
私たちの脳は問えば必ず、答えを返してくれるそうです。
自己啓発、願望実現の世界ではよく言われていることです。
それを少し考え、応用して、質問をしてみると、怖れを抱く前に、なにをすればいいのか、という答えを得る事ができるかもしれないんです。
 
これまで漠然と受け取ってしまっていた「怖れ」という感情。この感情は自分が持っていた無意識の諦めに対する答えだったんですよね。
目にした瞬間、その状況をそのまま、見てみる。
この時の目の使い方は以前お話をした「遠山の目付け」です。風景として、ただただ、目の前の状況を観察するんです。
そして、この状況でベストな行動はなんだろう?と質問をしてみるんです。
すると、脳はその瞬間、これがいいんじゃないか、と答えを返してくれるんです。
 
この時、柔術が得意な人は投げを打ちに行くでしょうし、打撃が得意な人であれば、カウンターで相手を打つかもしれません。また、常に、相手の事を考え、相談にのるという人は、適切な言葉が浮かんでくるでしょう。
 
そうなんです。
ここで返ってくる「ひらめき」はそれまでの自分が得てきた経験と知識の中から一番可能性の高いものを瞬時につれてきてくれるんです。
 
 
 
まずはビジョンとしてなにがしたいのか、それがないまま、いや、むしろ、諦めを持ったまま動いたとしても、よっぽどの幸運がなければ、解決ってできませんよね。
まずは自分がなにをすべきなのか、その答えを得るために怖れを手放さなくてはいけないなぁ、って思っていたんです。
 
 
 
どうすれば怖れを手放せるんだろう、と考えていましたが、まずなにより、怖れを受け取ってしまった段階で遅いんです。体がもう、その怖れに反応してしまっているんですから。
受け取ってしまった時に手放す方法は体に任せることが一番なのかな。でも、それをさせてくれない時にはどうしようもありませんよね。
今日、お話しているのは怖れを受け取っているのは自分の中にそれを受け取る質問があったから、そしてその質問の仕方を変えてみることで、ベストな答えを得る事ができる、という事です。
その怖れが出てくるタイミングを体で確かめられるのが武術の良いところ、といえるかもしれません。改めて、武術の可能性の大きさを感じました。
 
 
 
いや・・・勝手にだらだら、答えのない事を書いちゃいました。
おかげで気分、すっきりです(笑)
この気分のよさはまた、講座、稽古でお返しいたします。
ありがとうございました。

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