【稽古日誌】人の動力源になるものは外か内か

日曜日、静岡保険鍼灸マッサージ師会さんからの依頼で古武術介護の講座がありました。
普段の文化センターは継続講座、大人の武道塾も気が向いたときにいつでも、脚を運べる場所。でも、こうした「会」からの依頼はその日、その瞬間の出会いの講座。
ついつい、力が入りすぎてしまうんだなぁ。
  
 
きっと、その影響なんだと思うんですが、数日前から風邪が入ってきた感じで力が入りにくいカラダになっていました。
ただ、おかげで、体に力が入らなくても、皮膚や骨でなら動くことができるのを発見、なんでも、ヒントになるものです(笑)。
 
 
 
その緊張感を持って臨んだ師会の講座も、参加者の熱意もあって、あっという間の二時間、お顔を見てると楽しんではもらえたと思います。
ただ、いつものように、体感を通して伝える事が人数の関係でなかなか出来なくって、その点は今でも、どうかなぁ、と思ってます。100名ぐらい参加されていましたから。
 
 
 
帰ってきて、無意識の緊張があったんですね、今、体の節々が筋肉痛で(笑)
最初、なんで痛いのか分からなかったんですが、あぁ、これは筋肉痛だ、と(笑)
 
特に、力を入れて行った事は無かったんですけど、気持ちが自然と、筋肉に力を入れてしまっていたようです。
 
 
 
皮膚に気がつき、「疲」れるという文字の凄さに気がつきました。ほら、「皮」に「やまいだれ」なんですよ!
子ども達の動きは全く固いところがなく、いつも、自然を連想させる動きです。その自然さの元になっているのが皮膚なんだ、と考えついたところに、「疲」という字の発見でしたからね。
なるほど、彼らの元気の秘訣はここにあったか、と。
 
 
子ども達が肌なら、僕ら大人たちは筋肉なんです。だからこそ、翌日、翌々日になって、体がぎしぎしと痛むんだろうなぁと。
 
そんな事に気がついてからは、それまで以上に筋肉に負担をかけず、任せないようにと意識をして、動いていましたが、ココロに生まれる気負いのような緊張はなかなか、抜けないようです(笑)
しっかりと、ひさしぶりの筋肉痛を今、楽しんでいます。
 
 
 
筋肉は年齢と共に衰えていきます。
特に、この便利な現代では、日常生活だけで筋力が増えていくことはありえません。
テレビのCM、健康番組を見ていると、老化に対してはまず、筋力強化をと言われてますが、あれは、どうかなぁ、と思うようになりましたもん(笑)
 
もちろん、そこに科学的な根拠は全くありません。
それでも、肌で動くこと、肌が気持ちよく動いているときの快適さを知ったことで、筋力トレーニング一辺倒ではココロ軽やかな老い方は出来ない、と確信しています。
 
 
 
風邪のおかげで、少し力の入れにくい状況を感じることが出来て思うのは、筋力がなくても動くことが出来る、ということ。
そして、筋肉は「頑張る」という気持ちを生み出してくれるものなのだ、と。
 
昔、栄養の取れなかった時代の人間には満足な筋肉、脂肪は無かったはず。それでも、今よりも厳しい環境で生活し、仕事量も多かったりします。
そのエネルギーを支えていたのは何だろう?という疑問に一つ、閃きました。
 
きっと、彼らは頑張ることなく、ただ、必要に応じて、動いていたんだ、と。
 
テオヤンセンという方が作られた風で動く構造体を見たことがありますか?
風という外からの力を受け、巧妙にデザインされた骨格を動かすんです。その動きはまさに生き物のよう。
 
ついつい、「動く」と考えると、そこにエンジンやモーターなどの動力源が必要と考えちゃいます。風や水の流れであれば凧や浮舟ぐらいですよね。複雑な動きをするには、動力源を装備しなくては、と考えちゃいます。
 
 
外からの力、つまり、必然性という力を体が受け、骨を動かして、生活していたのかもしれない、なぁんて。
 
 
 
 
そしてもう一つ。
筋肉の少なかった昔の人にも、皮膚はありました。
そしてその皮膚は周りの空気を敏感にもらっていたのかもしれません。
 
憑依、という言葉を聞いた事はありますか?
取り憑かれてしまった人は時として物凄い仕事量をこなします。そして、たいてい、その間の記憶はありません。
 
憑依というと、怖い感じがしますけど、現代においては仕事、役割と同じかもしれません。
世の中のサラリーマンは強いです!とっても。
多少の熱があっても、胃に穴があこうとも、大雪だろうが台風だろうが、それこそ、地震がきた後でも、会社員という役割をしっかりと、こなしていますよね。
 
その役割があるからこそ、一個人では出来ないこともやりきれてしまうこともたくさんあるはずです。
 
 
 
 
困ったことに出会ったとき、ついつい、頑張っちゃいますよね。
瞬間的には力がでるんです。
でも、持続が難しいんです。ほんと、車と同じ、強い力は出ても、エネルギーを補充し続けないといけないんです。
 
困ったときこそ、頑張りに任せず、自分にとって必要なんだと感じること、また、その真逆の自分の役割なんだと受け入れ、身を任すことが乗り切るための方法かもしれないなぁ、と。
 
 
 
そういえば、蒸気機関が発明されてから、機関車になるまでずいぶんと時間がかかったそうです。現代人にとって当たり前の事でも、誰にもまだ見つかっていないことには気づかれにくい、という例です。
 
自分のエネルギーで自分自身の車を回す、というそんな「当たり前」な事になぜ気がつかなかったのか。
もしかしたら、昔の人には「頑張る」という発想がなかったのかも(笑)
冗談みたいな話ですが、すべての事は、自分という体を通して生まれてくるものです。
 
力を入れて動くのではなく、必然性にまかせて、また、役割に身をまかしていた人達の中からは自分の力で自分の車を動かす発想が出て来なかった可能性もあるかもしれませんよ(笑)
 
 
 
途中から変な方向へと話がずれました(笑)
まぁ、いつもの事ですが。
 
自分の事をたくさん知ってみれば、どんどんこの自分で良かった、と気づけます。
自分のことが好きになれば、たいていの事には負けなくなっていきます。
 
実は、私は自分の事が大嫌いでした。なにも出来ませんでしたからね。
でも、なにも出来なかったからこそ、古武術を通して、いろんな事ができるんだ、と気づき、楽しむ事が出来ました。
時間をかければ、だれでもすごい自分を感じ、見つけることができます。
自分のことが大嫌いだった人間が大好きになるための方法を伝える、というのも変な話ですね(笑)
 
 
時間さえあわせてもらえればどこにでも伺いますし、来ていただいてもかまいません。
不思議で楽しい経験を伝えさせてください。

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