ハラをくくってみよう!

突然亡くなった父の四十九日の法要も終わり、いよいよ実務的な仕事を片付けなくてはいけなくなってきた。
 
今日は一日、税理士の先生から色々と話を伺い、今後の道筋を教えてもらってきました。
 
 
 
道場をどうしようか等、問題となる事は多いんだけど、それは全て、形あるものだからこそ。お金や土地、建物は目に見えて誰から見ても、共通に認識出来るものです。
 
頭で騒ぎまくる問題を横において、少し心を落ち着けてみると、父からはとんでもなく多くの、そして、この先生きていく上での武器を得ていたんだ、と改めて思いました。
 
 
少林寺拳法に一生を捧げたような父です。開祖と同じ年齢で亡くなるというのもなんだか、出来過ぎ。
そして、仕事にも全力を注ぎ、生きていました。同じように大人になり、比べてみると、まだまだ、たどり着けてはいないのを痛感します。
 
 
 
ただ、この身体を通して得ている感覚、喜びはちゃんと、父が掘り進めてきたモノを受け継ぎ、今、ここにいるのを感じています。
少林寺拳法で開祖が言われていた人間の可能性。それを身体で実感させてもらえているのは、父自身が生きることに全力で向かってくれていたからだと確信します。
 
 
 
この便利で高度に進化した時代において、甲野先生という一生の師に出会えたことが偶然なのか、必然だったのかわかりませんが、今、甲野先生に出会い、自分がここに身体を持って生きている喜びを感じられるようになったわけです。その事を伝えて行くことが自分の使命なのかもしれない、そう思います。
 
 
 
身体を数字で測ろうとすると、そこに優劣の差がでます。でも、それは、モノサシの違いですもん。自分がどんなモノサシで生きていくかを選ぶことが出来るのが私たち、一人一人に与えられた自由かも知れません。
 
 
最近、また、新たな感覚に出会うことが出来ました。
 
手のひらをクルックルと回してみると、裏と表がひっくり返ります。このひっくり返る動きはどんなに抑えようとしても抑えることの出来ない動きです。
 
動きを止めることが出来ない、ってすごいことなんです。自分はいつでも自由だった、という事が感じられるんですから。
ただ、「自分」という存在を私たちは身体から作るんです。身体にある不自由がココロも不自由にしてしまうんです。今回、改めて、それを自覚しました。
 
 
 
手のひらは自由だったんです。誰でも。
誰の身体も自由なものを持っているんです。
 
 
 
自分の身体に感じた自由は誰からも止められない自由です。その自由を持って生きていくのと、そうでないのと。同じ場所、同じ時間を過ごしたとしても、心に感じるものは全く違ってきますよね。
 
 
 
これまでなかった仕事が増え、時間が奪われてバタバタしていますが、多分、気持ちの問題です(笑)。少し、腹を括って頑張りますから、また、このブログやカラダラボを覗いてやってください。
では!

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